2012年 11月 12日
戦略にまつわるトラブル:その7 |
前のエントリーの続きです。
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規律と直感のはざま
●多くの意味で、「合理的な連続性」というのはたしかに可能なものである。
●国家安全保障会議(NSC)は元々はこのような問題を解決し、国防政策を作成するプロセスにおいて秩序を適用することを意図して組織されたものだ。
●ところがこのような組織でも、目標に集中する政治リーダーたちと、軍事作戦に集中する軍のリーダーたちが、戦略を別々の二つの方向に引っ張って行こうとする現実に影響を受けてしまうのだ。
●今日われわれが知っている国家安全保障会議というのは、元来目指されていたものとはかなり異なるものである。
●ジェームス・フォレスタル(James Forrestal)の元々の狙いは、大統領が走り回って思いついた命令をその場で下すようなものではなく、主な省庁の考え方を体系的に考慮するようにするよう大統領に迫ることにあった。
●国家安全保障会議の主な狙いは、大統領に知らせるための戦略的な討議を行い、性質の異なる省庁の官僚や、国務省、国防省、統合参謀本部、そしてインテリジェンス界の専門家たちを集め、議論する場を提供することであった。
●NSCも自分たちでこのようなことを独自に行っているが、実際にはわれわれが思いつくような役割を果たしてはいない。この会議は実質的に四人のメンバー、つまり大統領、副大統領、国務省長官、そして国防省長官(それにCIAの長官と議長が法定アドバイザーとして加わる)によって構成されている。
●この会議は以前のような役割の重要性を失っており、多くの人々はNSCのことを会議ではなく、単なるスタッフであり、大統領にたいする国家安全保障のアシスタントだと考えているほとだ。
●このような状態は「国家安全保障法」(the National Security Act)が制定されてから十年ちょっとの間存在しただけだ。彼らはNSCを「大統領に制約を与える組織」ではなく、大統領が省庁にたいして自らの意志を強要するための出先機関、というイメージに変えてしまったのだ。
●時期によっては、省庁間の相違が激しくなったこともある。たとえばこれが最も明らかに出たのはリチャード・ニクソンの政権の時であり、大統領は国務省を無視してホワイトハウスに対外政策を実行させ、そのためにヘンリーキッシンジャーを使ったのだ。
●このようなトップからの強力な指示というのは、戦略の「線的なモデル」に確実に当てはまるものであり、ニクソン政権におけるビジョンはモスクワとのデタントや中国との関係改善という劇的なブレイクスルーを実現したのだが、これらは通常の政治のチャンネルを通じた駆け引きや推測ではここまで決定的かつ迅速には動かなかったはずだ。
●トップからの強力な指導は政軍間で深刻な緊張を生まなかったのだが、この理由は、大統領が外交を強力にコントロールしていたにも関わらず、軍に対してはそれほど強力な指令が出されなかったことにある。
●ホワイトハウスとメルヴィン・レアード国防省長官は、統合参謀本部と国防省にたいして大きな外交や予算の上限という制約があっただけで、行動の自由度は大きかったのだ。
●これはジョン・ケネディおよびリンドン・ジョンソン大統領がロバート・マクナマラ国防長官と共に、海軍や空軍があまりにもひどいと感じるほど軍事行動に口出しした、一九六〇年代の政軍間の摩擦の後のことである。
●一九六〇年代の民主党政権と一九七〇年代の共和党政権では、それぞれ階層的で連続的な、強いトップダウン型の政策システムが目指されていた。
●この両者の違いは、共和党政権のほうではホワイトハウスが軍事行動を政策の方向性とそれほど統合しようと思っていなかった点にあり、政策と軍隊の行う仕事を分担して離すことを許していたことだ。
●実際のところ、いくつかの例外を除けば、ニクソン政権における戦略面でのブレイクスルーは基本的に対外政策の分野のものであり、軍事行動は含まれていなかったのだ。
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規律と直感のはざま
●多くの意味で、「合理的な連続性」というのはたしかに可能なものである。
●国家安全保障会議(NSC)は元々はこのような問題を解決し、国防政策を作成するプロセスにおいて秩序を適用することを意図して組織されたものだ。
●ところがこのような組織でも、目標に集中する政治リーダーたちと、軍事作戦に集中する軍のリーダーたちが、戦略を別々の二つの方向に引っ張って行こうとする現実に影響を受けてしまうのだ。
●今日われわれが知っている国家安全保障会議というのは、元来目指されていたものとはかなり異なるものである。
●ジェームス・フォレスタル(James Forrestal)の元々の狙いは、大統領が走り回って思いついた命令をその場で下すようなものではなく、主な省庁の考え方を体系的に考慮するようにするよう大統領に迫ることにあった。
●国家安全保障会議の主な狙いは、大統領に知らせるための戦略的な討議を行い、性質の異なる省庁の官僚や、国務省、国防省、統合参謀本部、そしてインテリジェンス界の専門家たちを集め、議論する場を提供することであった。
●NSCも自分たちでこのようなことを独自に行っているが、実際にはわれわれが思いつくような役割を果たしてはいない。この会議は実質的に四人のメンバー、つまり大統領、副大統領、国務省長官、そして国防省長官(それにCIAの長官と議長が法定アドバイザーとして加わる)によって構成されている。
●この会議は以前のような役割の重要性を失っており、多くの人々はNSCのことを会議ではなく、単なるスタッフであり、大統領にたいする国家安全保障のアシスタントだと考えているほとだ。
●このような状態は「国家安全保障法」(the National Security Act)が制定されてから十年ちょっとの間存在しただけだ。彼らはNSCを「大統領に制約を与える組織」ではなく、大統領が省庁にたいして自らの意志を強要するための出先機関、というイメージに変えてしまったのだ。
●時期によっては、省庁間の相違が激しくなったこともある。たとえばこれが最も明らかに出たのはリチャード・ニクソンの政権の時であり、大統領は国務省を無視してホワイトハウスに対外政策を実行させ、そのためにヘンリーキッシンジャーを使ったのだ。
●このようなトップからの強力な指示というのは、戦略の「線的なモデル」に確実に当てはまるものであり、ニクソン政権におけるビジョンはモスクワとのデタントや中国との関係改善という劇的なブレイクスルーを実現したのだが、これらは通常の政治のチャンネルを通じた駆け引きや推測ではここまで決定的かつ迅速には動かなかったはずだ。
●トップからの強力な指導は政軍間で深刻な緊張を生まなかったのだが、この理由は、大統領が外交を強力にコントロールしていたにも関わらず、軍に対してはそれほど強力な指令が出されなかったことにある。
●ホワイトハウスとメルヴィン・レアード国防省長官は、統合参謀本部と国防省にたいして大きな外交や予算の上限という制約があっただけで、行動の自由度は大きかったのだ。
●これはジョン・ケネディおよびリンドン・ジョンソン大統領がロバート・マクナマラ国防長官と共に、海軍や空軍があまりにもひどいと感じるほど軍事行動に口出しした、一九六〇年代の政軍間の摩擦の後のことである。
●一九六〇年代の民主党政権と一九七〇年代の共和党政権では、それぞれ階層的で連続的な、強いトップダウン型の政策システムが目指されていた。
●この両者の違いは、共和党政権のほうではホワイトハウスが軍事行動を政策の方向性とそれほど統合しようと思っていなかった点にあり、政策と軍隊の行う仕事を分担して離すことを許していたことだ。
●実際のところ、いくつかの例外を除けば、ニクソン政権における戦略面でのブレイクスルーは基本的に対外政策の分野のものであり、軍事行動は含まれていなかったのだ。
by masa_the_man
| 2012-11-12 00:00
| 戦略学の論文