戦略にまつわるトラブル:その6 |
さて、以前に掲載した戦略関連の文献の翻訳のつづきを再開です。
戦略にまつわるトラブル:1、2、3、4、5、
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一つの違った視点から
●戦争にはそれ自体が自律的な動きをしてしまうという傾向があるにもかかわらず、ほとんど人はいまだにひとつのレベルから別のレベルに連続して移るような、古典的な機能のヒエラルキー(階層)のモデルを思い浮かべる。
●この階層とは、戦争前の計画から戦時の実行を通して(統治についての戦略的な計画と共に行われる)戦後の活動に移るものであり、これが実質的に戦闘や大規模作戦を勝つための作戦と戦術を動かすことになり、これが最終的に戦争の勝利と政策の目的を生み出す、というものだ。
●このようなスタンダードな考え方は、戦争についての「線形モデル」(the linear model)とでも呼べるようなものだろう。
●ところがそれとは別の考え方として存在するのが「循環モデル」(circular model)である。これは各フェーズがフィードバックを発生させ、それが別の機能を変化させる、というモデルだ。ここでは作戦の結果や、まだ見えない要件などが戦略を変化させ、この戦略の変化した要件が政治目的を作り変えるのだ。
●この「循環モデル」というのは、エンジニアリング的な指向性が反映された「線的モデル」よりも、むしろカオス理論との共通性を多く持っている。
●戦争に従事する人々というのは、戦略をほとんどの場合に「線的モデル」で考えるものだが、実際の戦争というのは「循環モデル」に近い。そして最悪の場合、「線的モデル」に則した考え方というのは政治という馬を馬車の前に置いてしまうのだ。
●「線的モデル」からの逸脱というのはある意味で不可避なものであり、状況に合わせた修正を行うことは、時としてポジティブな効果を生み出すものだ。
●ところが一般的には「循環モデル」が優勢になる度合いを縮小すること――つまり軍事的要件が優位になるのを制限したり、戦争開始当初の政治的狙いを変形させること――のほうが、「良い戦略」の尺度になることが多い。
●米国憲法は、根本的に反戦略的である。戦略というのは統一性や一貫性、そして計画や行動に志向性や計算を直接転換したものであり、何が欲しいのかを決定し、それをどのように獲得し、実行するのかを解明するものだ。
●ところが米国憲法のほうは、志向性や見積もり、それに計画などの間で、競争や衝突を促すものなのである。この憲法は行政府と立法府の分離を通じて、ある権威が中心となって一貫した計画を他府に押し付けようとするのを防ぐ統治構造を提供するのだ。
●これは実質的に間に合わせの選択や、同時に多方面への動きを促すような、妥協を促すことになる。
●また、米国憲法は 官庁や軍レベルが不変な状態にある間に政治リーダーが行政レベルで政策決定を頻繁にひるがえすことを奨励している。
●官僚機構というのは大統領たちよりも長期的な時間の広がりと権益についての狭い考え方を持っており、このおかげで限定的な範囲の案件を熟慮し、確固とした計画に取り組むような傾向をもつのだが、政治のリーダーたちはそれについての考え方についてはもっと広く浅い立場であり、それらの実行の仕方については「その場しのぎ」になりがちだ。
●これらのすべてはチェック・アンド・バランスという意味では制御を改善するものだが、行動に一貫性は与えない。一旦戦争が始まってしまえば、これは「循環モデル」を促進することになる。
●文民の政治家は「循環モデル」のおかげで直感的に動く傾向がある。彼らは互いに争う有権者たちを管理し、総意をつくり、互いに矛盾する目標をつなぎあわせ、そして政策が展開するにつれ出てくる要求に対処することに慣れているのだ。
●彼らが取り扱うのは「創造的な無節操さ」であり、複雑な同盟関係を作り上げるのに熟達している。彼らは狙いをアウトプットすることには慣れていない。だからこそ決定と実行の間のギャップは慢性的なものとなるのであり、これは国防政策の分野だけでなく、政府のビジネス全般にも言えることなのだ。
●ワシントンで軍のトップになったリーダーたちはこのような現実に直面し、それに甘んじなければならない。ところが彼らは政治的な無秩序が、軍隊の風潮や工学的な直感、それに軍事組織の階層的なエッセンスとは正反対であるために、このような現実を好きにはなれない。
●政治家とは違って、軍は戦争の政治的混乱を、民主制度のエッセンスとしてではなく、「政府が秩序だってビジネスを行えるように矯正されるべき、一種の逸脱である」と捉えるのだ。
●軍人たちにとっては、国家安全保障体制全体をうまく動かす場合も同様であり、彼らにとってはものごとを階層的、明快、単純、正確、そして連続的に見ること――これは彼らの仕事の中で作戦計画と遂行を上手く行かせるためには重要なことである――はごく自然なことなのだ。
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つづきはまた明日。