グレイの「戦略の二十一箇条」 |
さて、久々のエントリー更新。
今回は私の先生が最近の本に書いていた、「戦略の二十一箇条」について。このまとめの部分をメモ代わりに訳出しました。
私が提唱する「戦略の階層」などがこのアイディアの前提にあることは、このブログの読者の方々にはすでに十分おわかりかと。
今回の特徴は、戦略(strategy)と諸戦略(strategies)を区別している点でしょうか。
===
戦略の21箇条
1、大戦略は、安全保障コミュニティのいくつかの/すべての資源によって構成される、指針とその使用のことである。この資源には、政治によって決定された政策のための軍事的手段も含まれる。
2、軍事戦略は、政治によって決定された政策の目的のための、軍事力とその行使の脅しによって構成される、指針と使用のことである。
3、戦略というのは 政策を軍事力やその他のパワーと影響力を発揮するために使われる道具に意図的に結びつけるために建築されて維持される、唯一の「橋」である。
4、戦略は、戦略的効果を発生させることによって、道具的に政治を助けるものだ。
5、戦略とは相対立するものであり、平和と戦争の両方で機能するものだ。そしてそれは常に敵(そして時には同盟国や中立国も)をコントロールする手段を求めるのだ。
6、戦略には大抵の場合「騙し」が必要であり、その結果は皮肉的であることが多い。
7、戦略とは人間である。
8、諸戦略(strategies)の意味やキャラクターはそれが使われているコンテクストによって(もちろん支配されたり完全に決定されるわけではないが)動かされるものであり、それらはすべて常に効果を発揮していて、それを越えるたった一つのコンテクストである「戦略」(strategy)というものによって構成されている。
9、戦略は不変の本質をもっているが、諸戦略(strategies)――これは計画であったり、公式・非公式の、偶発的な作戦的意図を表したもの――というのはそれらの独特かつ変化するコンテクストや、独特な個人の決定によって表される必要性に(命じされるわけではないが)動かされる、多様なキャラクターを持っている。
10、戦略というのは、概して意見交換や交渉などによって作り上げられるものだ。
11、戦略というのは、アイディアと行動についての価値観が充満している領域に存在するものだ。
12、歴史的にみれば、特定の諸戦略というのは 常に、もしくは往々に文化や人格に形成されるものだが、一般的な戦略は異なる。
13、戦略という「架け橋」は優秀な戦略家たちによって支えられなければならない。
14、戦略というのは、政策、作戦、そして戦術などと比べて、作成したり実行したりするのが難しい。さまざまな種類の「摩擦」というのは諸戦略の形成と実行にはつきものである。
15、戦略というのは、直接/間接的、順次/累積、消耗/機動・殲滅的、持続/急襲的(ほぼ遠征的なもの)、強要/物理的、攻撃/防御的、対称/非対称的、もしくはこれらの名目上だが間違いの多い代替案の複雑な組み合わせの諸戦略として表現できる。
16、すべての諸戦略というのはそれぞれ独自の地理的なコンテクストによって変化させられるものだが、戦略自身は変化しない。
17、戦略というのは、思考と行動の面で変化しない、というよりも変化させることのできない、可変的で動的なテクノロジーのコンテクストの中に設定された人間活動である。
18、戦略とは違って、諸戦略というのは一時的なものだ。
19、戦略というのはロジスティクス的なものだ。
20、戦略理論というのは軍事ドクトリンの最も根本的な源泉であるが、ドクトリンというのは諸戦略を可能にする重要なものであり、そのガイドである。
21、あらゆる軍事行動というのは実行面では戦術的なものであるが、意図する・しないにかかわらず、作戦レベルや戦略レベルにおける効果を持たなければならない。
===
以上