戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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「いかがなものか」はいかがなものか

今日の横浜北部は朝からなんとか晴れております。朝晩はようやく涼しくなりましたが、まだ日中は暑いですな。

さて、数日前のエントリーにたくさんの方々からご意見をお寄せいただいたわけですが、それに引き続き私が感じていることについてコメントを。

「違和感がある」と同じくらい私が「違和感を感じている」のが、「いかがなものか」というコメント。

もちろんこれは、日本語で「反対だ」とストレートに言うとカドが立つので、そうしないために反意を柔らかく表現した婉曲表現ということになりますし、これが日本の豊かな文化から出てきた言葉というのも理解できます。

ところが豊かな文化の婉曲表現である「いかがなものか」というのは、実際は「反対だ」という意味であることには変わりなく、両方とも言い方は違うが、極端に言えば相手の意見や分析を100パーセント否定しているととられるという意味では同じことになりがち。

日本人はあまり議論をするという習慣を持っていないせいか、ニュアンスの程度がなんであれ、たとえば意見が50パーセントだけ否定されただけでも、なにやら全人格まで否定されたと勘違いしてしまい、建設的な議論ができなくなってしまうという点が見受けられます。

というか、そもそも建設的な議論をしようという前提があるのか怪しい、と言われてしまえばそれまでなのですが・・・

じゃあどうすればいいのかと言うと、私は

「あなたの意見にはここまでは同意、でもそこから先のかくかくしかじかについては違う見解です」

と言って、あえて「同意する点」と「同意しない点」を明確にし、その理由を相手にしっかり説明するやり方が良いのかと考えております。

こうすると、相手の意見を100パーセント否定したわけではないので「対人攻撃」と受け取られる確率は減ります。

ところがその反対に、「いかがなものか」という発言は、表面的には言葉のエッジを柔らかくしておきながら、どこを否定しているのかハッキリ説明していないために、逆にそれを聞いた側としてはすべての意見を否定されたような微妙な「違和感」だけが残ってしまうわけです。

よって、自分と相手の意見を尊重しつつ、どこから何が違うのかとハッキリ説明するのは(日常会話では別としても)外国人とのビジネスの交渉などでは決定的に重要かと。

ただしこのやり方が日本で受けいられるかどうかは別問題で、私はこの点についてはかなり悲観的です。なぜなら日本にはやはり「議論をする」という文化がほとんど根付いていないからです。

もちろん日本人が日本国内でこのまま「いかがなものか」を使い続けてもいいわけですが、これにはメリット/デメリットが。

まずメリットというのは、日本人同士でものごとを穏便かつ平和裡に解決するための手段として引き続き使えるという点。

逆にそのデメリットですが、たとえば「いかがなものか」という曖昧かつ全否定のニュアンスを含む言葉を十分な注意せずに日常的に使ってしまうと、それに慣れきってしまい、論理的に考えて説明することができなくなってしまう点です。

この弊害のケースが、前回のエントリーで説明した、Jリーグ創成時の日本人監督の悲劇かと。

そして現在のように日本人が国内外を問わず外国人と接する機会が多くなってくると、彼らと対処する際に「ここまで説明しなくてもわかってくれるはず」という知的な甘えをもつために、逆に彼らから「無能」と思われてしまうケースが増えてくるのです。

もちろん別に「無能と思われてもいい」「別に理解されなくてもいい」というのなら、これもありなのでしょうが、このような曖昧な言葉使いが結果的には日本にとっての「国益の損失」につながっている、というのは言い過ぎでしょうか?

私はこのような態度が、いまの竹島問題や尖閣問題にダイレクトにつながっていると考えております。

つまり相手にこちらの事情をハッキリとわかってもらえるまで説明をクドクド(ましてや声を張り上げて)するのはヤボだよ、という日本国内だけで通じる論理は、海の向こうから来た人間たちと対処する際にはネガティブな方向に作用してしまうということです。

ところが彼らは日本人とは違うOSを持っているわけですから、こちらの立場をしっかりとわかりやすく(時には大声で)説明しないと何もわかってくれません。日本人がこの事実を理解できないままだと、待ち受けているのは悲劇か喜劇です。

いいかえれば、日本人側の外国人にたいする「想定」が甘いわけで、それはとりもなおさず日本人が「うちらの国の深い文化や習慣を言葉で説明できるわけねぇだろ」と慢心していたために、最近になって「無能な外国人」にわかりやすく相手に説明してこなかったツケが回ってきたとも言えます。

私も諸外国に比べて日本のほうが高い文化を持っているという点については全く否定しませんし、むしろ大賛成なのですが、それを相手に向かって「論理的に説明する」という形で発信できていないと、いくら高い文化を持っていても単なる「宝の持ち腐れ」です。

さらにまずいのは、その「豊かな文化」の便利さに甘んじて、しっかりと説明/発信しないという文化が(私も含めて)日本のメディアや知識人などに浸透してしまっているという点です。

私は新刊の『武器捨て本』の中で「日本人は実は一神教の信者だ」という主旨のことを書きましたが、それは日本人にはどこかで「俺たちのほうが真理に近い」と思って、そこに甘えている構造があると疑っているからです。

これを踏まえての私の提案が、まずはメディアに出てくる知識人が、このような「文化の豊かな日本人にだけ通用するような曖昧言葉」を使うのはやめて、多少クドいと思われても、しっかりと筋道立てて論理的に説明することを始めよう、というものです。

しかもこの提案は、このエントリーを書いている私への自戒も含めてということです。

そのような習慣がついてくれば、私は日本人もまだまだ世界で勝負できると考えております。なぜなら日本人には諸外国にはない「豊かな文化」を持っているわけですから。

すでに告知済みの9月23日(日)に開催予定の新刊の出版記念講演会では、この辺についても少し突っ込んだ議論をしてみたいと考えております。
Commented by 無花果 at 2012-09-08 17:20 x
最新エントリに気付かず、前のエントリに投稿してしまい(しかも内容的にダブリ過ぎました)失礼しました。

少なくとも、欧州に向けて日本の武士道を解説しようとした新渡戸稲造の「武士道」や陸奥宗光の「蹇蹇録」などを読む限り、私は過去の日本人の知識人は議論や説明が苦手、という印象を受けたことがありません。
「武士道」は徹底して相手の世界観(文学・歴史・神話)からの説得や説明を試みていました。
(江戸末期から明治初期はは激論の時代だったということもあるかもしれませんが)
ですので元々日本の言語・文化的に理詰めの議論が苦手、という説には異を唱えます。
ですが、現代の日本人が議論を苦手とする、という点においては同意します。

この変化が「何時・何故」起きたのかを突き詰めることで、解決の一助になるのではと考えています。
もしくは真実「知識人」と呼ばれるに相応しい人はマスメディア受けしないために世に知られず、ひたすらイメージ論に終始するエセばかりが表舞台に出てきてしまっており、社会でもてはやされるモデルが歪んだために、国家規模の歪みの中にいるだけという可能性もあると思います。
Commented by waterloo at 2012-09-08 19:57 x
ケースバイケースだとは思いますが、「対外」においては敗戦が影響しているのではないでしょうか。
特に日本の文化や習慣を論理的に説明をしても「日本は反省していない」という感情的な反論をされてしまうという諦めが有るのではないかと。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-09-08 23:56 x
個人的な見解としては、グローバル化という光が強くなれば、ナショナリズムという影(闇)も濃くなると思っています。つまり、グローバル化にナショナルなものが取り込まれるのではなく、逆に「闇に潜った」形で、ナショナルなものが強くなると思っています。

そのような状況に対して、「ロゴス」単独に頼る欧米流では解決できない(「無影灯」は複数の光源が必要)。といっても、ニーチェの「神は死んだ」についても

そこは仏陀が二千年前に通り過ぎた場所だぁっ(by烈海王)

という状況です。

Commented by 待兼右大臣 at 2012-09-08 23:57 x
閑話休題、先のエントリーに対する私へのレスも含まれていると解釈します。先のエントリーでは、

我が国と外国で流儀が異なる場合、間違っているのは我が国の流儀であり、無条件に改めなければならない

という他の凡百の舶来至上主義者の言説と殆ど違いがないと見受けられましたので、いろいろ突っ込ませていただきました。

弧のエントリーを読んだ感想として、次の段階としては、

日本人と議論をするのに、日本(人)のことを理解しようとせずに、自己の価値判断基準だけで判断するのは、【知的怠惰】であると先方に指摘するだけの覚悟

をもてるかどうかと思っています。

グローバル化というものは、

西洋的なるものに対する我が国の【無条件降伏】
(西洋→日本=西洋の言葉を理解できない日本が無能
 日本→西洋=西洋が理解できない言葉で説明する日本が無能)

ではなく、

我が国(的なるもの)の情報発信機会であり、西欧的なるものの相対化の機会

と、あくまで、一方通行や西洋への追従や一方的服従ではなく、あくまで、並立する文化・文明圏の相互交流であると捉えるべきではないかと思っています。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-09-08 23:58 x
そのような中で、先のエントリーのような

西洋的なるものに対する無条件降伏

と解釈できるようなエントリーは、日本の戦略家としては不適切ではないかという自分なりの問題提起です。

もちろん、岡崎久彦氏のように、恥も外聞もなく、

アングロサクソンについていくのが我が国にとって最良の戦略

であると臆面もなく述べる人もいます。

マスコミ、特にテレビや動画サイトという映像・音声サイトは、言葉(文字)以外の情報も受け手に伝えてしまうので、今のままで仕方がないと思います。

実は、こういう言葉によるやり取りの技量を磨くのであれば、匿名掲示板で、名前も何もない、【純粋な文字のみ】のコミュニケーションツール(可能であれば、外国のグログなどへの投稿による英語での議論)の方が適切だと思います。

それでも、我が国では「半年ROMってろ」と、文字以外の情報(文脈)を解釈できる技量を身につけなければ、書き込みができない

という日本ならではという状況になっています。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-09-09 00:01 x
こういうネット議論を何年もやっていると、

言葉を尽くせば尽くすほど、一つの言葉で伝えられる情報の量は減る

という矛盾に直面することもしばしばです。だからと言って、言葉をそぎ落とせば【炎上】となるので、その塩梅が難しいのですが・・・

とりあえず、この2エントリーを読んで、言いたかったのはとりあえずこんなところです。

本来、このようなブログのコメント欄に書き込みをしているということで、「ロゴス」の土俵に乗っているということは重々承知しているのですが、私の琴線に触れる何かがあったということです。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-09-09 00:09 x
と長文を連投しておきながら、これでも、

言葉が足らないので、恐らく誤解されるであろう

と思っている自分がいる。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-09-09 00:50 x
そして更に言うなら、恐らく、私は、この2つのエントリーに託した奥山さんの「真意」の 【一 割 も 理 解 し て い な い】 と思っている。
Commented by 私も困ってます。 at 2012-09-09 12:00 x
ええっと、脇からすみません。。。
待兼右大臣さんへ

>日本人と議論をするのに、日本(人)のことを理解しようとせずに、
>自己の価値判断基準だけで判断するのは、
>【知的怠惰】であると先方に指摘するだけの覚悟

そういうことを言おうとすれば、こちらもアメリカや中国や韓国のことを勉強しないといけないというはめに・・・
しかも、新しい国と付き合うたびに、また、勉強しないといけないという・・・

その上、意見が相違すると「あなたは、まだまだ、私の国の勉強が足りませんね」などと言われかねない。
というか、中国や韓国なら、確実に言ってくると思います。

そんな状態になるくらいなら、ディベートを練習した方が、はるかに楽です。
Commented by 私も困ってます。 at 2012-09-09 12:02 x
>それでも、我が国では「半年ROMってろ」と、
>文字以外の情報(文脈)を解釈できる技量を身につけなければ、書き込みができない
それ、本当に困りますよね。某掲示板は読みにくいし。


と、賛成の部分と反対の部分を明確にした上で、レス終わります。


個人的には、テレビの時代を終わらせるくらいのことをしないと変わらないような気がします。
自分自身は、もう、テレビは見てませんが。
私のようにテレビを持たない人も、結構、増えているようですし、そこら辺が希望かなあと。
Commented by だむ at 2012-09-09 23:26 x
もう一つあるのは、そもそも「グローバル化の時代」なんてもの、実はもう終わりが近いんじゃないかなあという気も。
Commented by 待兼右大臣 at 2012-09-10 00:09 x
>>そんな状態になるくらいなら、ディベートを練習した方が、はるかに楽です

恐らく、一周回ってそういう結論になる可能性はかなり高いと思います。
ただ、そういうプロセスを経るか経ないかで、上記の引用部分になる意味合いが異なるということです。

そういう、「不毛」な争いを経たうえでの「セカンド・ワースト」として、ディベートという元の世界にもどるということです。

将棋の世界でいえば、

四間飛車(vs居飛車)⇒(四間飛車vs)居飛車穴熊⇒藤井システム⇒
もとの四間飛車(vs居飛車)への回帰(完全ではありませんが)

と居飛車側が藤井システムを拒否した場合、
四間飛車vs居飛車の対抗形が一周したことがありました。

螺旋階段のように、上からみると同じところをぐるぐる回っているだけかもしれませんが、横から見ると、上下に動いているというようなものかもしれません
Commented by とおりすがりでYAS at 2012-09-10 18:00 x
感情論に逃げてる知識人が多いのは、「いかがなものか」と使ってみる。
これって、失敗を恐れているからではないですかね。

日本に多い減点主義のせいではないでしょうか。

まわりを気にしすぎなんでしょうかね、いい意味では「気を使ってる」でしょうが、悪く考えると「自分がない」とも言える気がします。
「自分が希薄」だから、「相手を気にする」のかもしれません。

海外の人はアイデンティティーに拘りますけど、日本人でアイデンティティーに拘る人は少ない気がします。
そんな自信のなさが、「いかがなものか」「違和感がある」なんて表現の多用になるんじゃないでしょうかね。

いくら島国だといっても、イギリスも島国なわけで、片方は世界制覇を目指して成功した経験を持ち、片方はアジア覇権を目指して失敗した経験を持つ。

どこかで、日本人として自信を失った時点があり、そこから抜けてないんじゃないですかね。




Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:27
無花果さんへ

>私は過去の日本人の知識人は議論や説明が苦手、という印象を受けたことがありません。

ないですね。

>江戸末期から明治初期はは激論の時代だったということもあるかもしれませんが

大きいと思います。

>現代の日本人が議論を苦手とする、という点においては同意します。

そこかと。

>この変化が「何時・何故」起きたのかを突き詰めることで、解決の一助になるのではと考えています。

ですね。原因と対策。簡単にいえば「戦後の歪んだ平和主義」ということになるのかもしれませんが・・・メディアの大衆化というところにもあるんでしょうか?コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:28
waterlooさんへ

>ケースバイケースだとは思いますが、「対外」においては敗戦が影響しているのではないでしょうか。

大きいかと。

>特に日本の文化や習慣を論理的に説明をしても「日本は反省していない」という感情的な反論をされてしまうという諦め

本来ならそれを逆に「感情論だ」と論理的に反論しないといけないわけですが。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:35
待兼さんへ

>グローバル化という光が強くなれば、ナショナリズムという影(闇)も濃くなる

全くその通りかと。

>「ロゴス」単独に頼る欧米流では解決できない

これも同意です。

>凡百の舶来至上主義者の言説と殆ど違いがないと見受けられましたので

ここですね。

>日本人と議論をするのに、日本(人)のことを理解しようとせずに、自己の価値判断基準だけで判断するのは、【知的怠惰】であると先方に指摘するだけの覚悟

できるなら日本の知識人がこれを相手に言葉でしっかり説明できるようになれば最高なんですが・・・

>我が国(的なるもの)の情報発信機会であり、西欧的なるものの相対化の機会

そうなんですよね。ただしその共通フォーマットとして言葉で論理的に説明できる能力は必要だ、ということを言いたかったわけです。コメントありがとうございました。
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:38
待兼さんへ

>西洋的なるものに対する無条件降伏と解釈できるようなエントリー

ここで誤解されてしまったわけですな。

>言葉によるやり取りの技量を磨くのであれば、匿名掲示板で、名前も何もない、【純粋な文字のみ】のコミュニケーションツール(可能であれば、外国のグログなどへの投稿による英語での議論)の方が適切だと思います。

ここはどうなんですかねぇ。自分はこの点に関してはやや悲観的かと。論文とかのしっかりしたフォーマットでしたら可能かとは思いますが・・・

>「半年ROMってろ」と、文字以外の情報(文脈)を解釈できる技量を身につけなければ、書き込みができないという日本ならではという状況

コンテクストの解釈に時間がかかると。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:42
待兼さんへ

>言葉を尽くせば尽くすほど、一つの言葉で伝えられる情報の量は減る

ありますなぁ

>だからと言って、言葉をそぎ落とせば【炎上】となるので、その塩梅が難しい

ううむ。

>本来、このようなブログのコメント欄に書き込みをしているということで、「ロゴス」の土俵に乗っているということは重々承知

フォーマットですからね。

>言葉が足らないので、恐らく誤解されるであろう

いや、人間が言葉を使う限り、これは未来永劫続く問題なのかと。

>「真意」の 【一 割 も 理 解 し て い な い】 と思っている。

一割ではないかと。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:44
私も困ってますさんへ

>中国や韓国なら、確実に言ってくると思います。

現にそれと似たような状況になってきていると感じております。

>そんな状態になるくらいなら、ディベートを練習した方が、はるかに楽です。

これをやるのが知識人の本来の役割ですな。

>個人的には、テレビの時代を終わらせるくらいのことをしないと変わらないような気がします。

きました。

>自分自身は、もう、テレビは見てませんが。

私も見ていないんです。なので久々に見るとコメンテーターたちの言動に驚きます。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:46
だむ さんへ

>もう一つあるのは、そもそも「グローバル化の時代」なんてもの、実はもう終わりが近いんじゃないかなあという気も。

できればこの辺の感覚を説明していただけるとありがたいです。自分はそういう感覚に同意している部分もあるのですが、やはりグローバル化は基本的に進むと思っておりまして。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:49
待兼さんへ

>一周回ってそういう結論になる可能性はかなり高い

これですね。

>「不毛」な争いを経たうえでの「セカンド・ワースト」として、ディベートという元の世界にもどるということです。

私の個人的な経験がこれに近いですね。

>居飛車側が藤井システムを拒否した場合、四間飛車vs居飛車の対抗形が一周したことがありました。

うーむ、将棋の世界はわかりませんが、似たような現象は音楽やファッションなどの世界にも適用できるような気が。コメントありがとうございました。
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 09:51
とおりすがりでYASさんへ

>失敗を恐れているからではないですかね。

あると思います。

>減点主義のせいではないでしょうか。

かも知れませんなぁ。

>いい意味では「気を使ってる」でしょうが、悪く考えると「自分がない」とも言える気がします。「自分が希薄」だから、「相手を気にする」のかもしれません。

政治家がこうなってしまったら何もできなくなってしまうんですよね

>自信のなさが、「いかがなものか」「違和感がある」なんて表現の多用になるんじゃないでしょうかね。

困ったものです。

>日本人として自信を失った時点があり、そこから抜けてないんじゃないですかね。

しかし今後も自信をもって海外と交渉していかなければならないという状況が続いていくわけで・・・大変な時代です。コメントありがとうございました
Commented by とおる at 2012-09-11 10:50 x
テレビ局・新聞社からコメンテーター、コラムの依頼は来ませんか?
「違和感がある」・「いかがなものか」を番組中に使ったら、罰金(出演料から差し引く)という条件で。
Commented by waterloo at 2012-09-11 12:59 x
>本来ならそれを逆に「感情論だ」と論理的に反論しないといけない

私は、ここの所で、ちょっと躊躇が(笑)。感情論で反論して来る相手に論理的に反論しても火に油を注ぐ結果になってしまう事が多々有るので…。
例として歴史問題に限定して考えると「はぐらかす事によって感情論的思考をする人の反発を受け流せるという利点」と「論理的に反論する事で論理的思考する人を味方につけられる利点」が有ると思うので、
相手が論理的思考が出来る人かどうか見分ける能力、及び、環境の利害を見る能力も同時に必要になって来るのかと。
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 15:44
とおる さんへ

>テレビ局・新聞社からコメンテーター、コラムの依頼は来ませんか?

ないですねぇ(苦笑)コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-11 15:47
waterloo さんへ

>感情論で反論して来る相手に論理的に反論しても火に油を注ぐ結果になってしまう事が多々有るので…。

もちろんこれは一対一の場合はその通りです。

>相手が論理的思考が出来る人かどうか見分ける能力、及び、環境の利害を見る能力も同時に必要になって来るのかと。

異議無しです。しかし問題は現在の歴史問題などが、第三者を巻き込んだものになってきている(とくに米国など)があるために、冷静な論理的説明が重要になってくると考えております。また感情論に感情論というほうがさらにもっと火に油を注ぐことにもなりかねませんし・・・コメントありがとうございました
Commented by waterloo at 2012-09-11 19:06 x
>現在の歴史問題などが、第三者を巻き込んだものになってきている
>冷静な論理的説明が重要

私は基本的にこの記事は現代の日本に必要な提言だと思っています。
ただ一点、「第二次大戦」が絡んだ時に米国など戦勝国が本当に冷静に判断できるのか?という疑問があります。
なので「論理的思考の出来る影響力を持った外国人」などに累積戦略を仕掛けて環境が改善されるまでは、「日本人は何言ってるかわからん」と思われておいた方が良いのかなと。
う〜ん、これは前提の違いぽいですね。失礼しました。
Commented by 無花果 at 2012-09-11 21:35 x
投稿しなおし失礼します

高松宮喜久子妃殿下の著書「菊と葵のものがたり」に、慶喜公が明治以降の教育について語られたエピソードがあるのですが
『父(慶久公)は東京帝大の学生時代、慶喜公から「大学でどんな学問を修めているのか」と質問されて、「はい、法学部(法科大学)で、憲法、民法、商法、」と科目を並べていたら、「大学教育とはさような局部的なものであるか。男子世に立つには、宜しくもっと大局的活学を志せ」と叱られたそうです。』というくだりがあります。
また、白洲次郎の著書「プリンシプルのない日本」にも「日本人にも明治以前はプリンシプルがあったようなのだ」という意味あいのくだりがあったのが思い出されます。

現代日本は敗戦というイベントがあまりにも存在感を持ちすぎ、
ともすればあらゆる変化を戦前と戦後の境目に見出そうとしてしまうことが、間違いなのかもしれません。
もう一つ、開国~大政奉還~明治維新という大きな既存の世界観の転変と哲学の喪失が直前に存在したわけですから。

奥山さんが常々言われる世界観の教育、とは、従来「大局観」といわれていたものの見方の教育と同じと見てよいのではないでしょうか?
Commented by この論述こそいかながものか at 2012-09-12 06:54 x
この論述こそいかながものか。
経緯となる例文がない。文字通り言葉尻をとらえており
揚げ足取りの典型的な論述。
例文、話の経緯を出さない手段は卑怯ではないか?
「(そもそも A だろうが)Bという点はいかななものか」
という流れはAも含め文章を読めばわかるはずだが、
見えない(行間)こそが気に入らないのだろう。ただ
ご自身の読解力のなさを棚に上げてこういう主張は
してもらいたくないし、思うところを持ちながら
反論したい人が「いかがなものか」を使うことは
問題ないと考える。
「違和感」「いかがなものか」をご自身で一方的に書く、あるいは
人に書かれるとコミュニケーションが成り立たないのは当然。
戸惑うことになるはずであり、そこに問題提起をしてくるとは
このかたは典型的なネット依存症、文字だけの世界に生きて
視野が狭くなっていやしないか?
Commented by masa_the_man at 2012-09-13 10:38
waterloo さんへ

>「第二次大戦」が絡んだ時に米国など戦勝国が本当に冷静に判断できるのか?という疑問が

これはたしかにありますね。

>「日本人は何言ってるかわからん」と思われておいた方が良いのかなと。

いやいや、これはマイナスなんじゃないですか?

>う〜ん、これは前提の違いぽいですね。

あるかもしれません。私も上の議論の前提をどこかで明示したほうがいいのかも・・・コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-13 10:39
無花果さんへ

>「大学教育とはさような局部的なものであるか。男子世に立つには、宜しくもっと大局的活学を志せ」と叱られた

わかりますねぇ。

>「日本人にも明治以前はプリンシプルがあったようなのだ」という意味あいのくだりがあった

これをいいかえれば「抽象度の高い思考」ということでしょうか。

>開国~大政奉還~明治維新という大きな既存の世界観の転変と哲学の喪失が直前に存在したわけですから。

でかかったですよね。

>世界観の教育、とは、従来「大局観」といわれていたものの見方の教育と同じと見てよいのではないでしょうか?

そういうことかもしれません。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2012-09-13 10:49
この論述こそいかながものか さんへ

>文字通り言葉尻をとらえており、揚げ足取りの典型的な論述

うおっと。

>例文、話の経緯を出さない手段は卑怯ではないか?

卑怯ですか。

>流れはAも含め文章を読めばわかるはずだが、見えない(行間)こそが気に入らないのだろう。

違います。見えない行間の問題に安易に逃げ込もうとする姿勢がまずいといいたいわけです。

>思うところを持ちながら反論したい人が「いかがなものか」を使うことは問題ない

「思うところ」があるなら素直に反論すればいいのでは?それを濁すようなことをしているから対外交渉なんかでうまくいかないわけです。

>かたは典型的なネット依存症、文字だけの世界に生きて視野が狭くなっていやしないか?

私は日本の知識人がこういう「ラベル貼り」の議論をすることが問題だといいたいのです。私の人格や立場と議論そのものを切り離して論じていただくとありがたいのですが。私を「ネット依存症」と決めつけるのは、「おまえはチョンだ」とか「アカだ」というのと同じだと思うのですが、いかがでしょう。これは本ブログで何度も言っているように「人身攻撃」になります。コメントありがとうございました
by masa_the_man | 2012-09-08 13:34 | 日記 | Comments(32)