2012年 08月 29日
なぜガジェットで「宗教戦争」が起こるのか【再掲】 |
アップルとサムソンの特許裁判の行方についての最近のニュースに関連して、ちょっと前に要約した以下の記事を再掲します。かなり参考になるかと。
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「最新機器」というのは、人間の感情とむすびつきやすく、それが「宗教戦争」を起こす原因となっているという興味深い記事です。
政治学や心理学との共通項もありますし、本ブログではおなじみの「恐怖」「利益」「名誉」という三要素に関する話もあります。
これは本ブログで何度も強調している通り、「テクノロジー」というものには、人間の思想や感情が込められやすいからです。
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テクノロジーに関する罵詈雑言コメントと「宗教戦争」
●ある読者から以下のようなコメントをいただいた。
●「君が今日NYタイムズに載せた記事はくだらないね。ギャラクシーSIIIはダサいし、冷たく感情の感じられない、失敗作だ。単なる次世代携帯というだけで特徴がない。画像はキレイになったけどビジョンはない。昔のあなたの記事はよかったけど、今は僕たちにゴミを勧めているのかい?あなたはクビになって別の人のわかっている人に記事書いてもらいたいです。」
●このようなコメントをいただくのは、テクノロジー系の批評家の仕事のうちの一つだ。舞台や音楽系の批評家も同じようなメールを送りつけられていることは想像に難くない。
●ぶっちゃけ言うと、最近の私のこのようなコメントに対する反応は「好奇心」である。このような読者には一体何が起こっているのだろうか?たんなる大量生産品になぜここまで感情的になれるのだろう?
●上のコメントをくれた読者について少し考えてみよう。
●まずこのコメントをくれた時点で、まだその携帯は発売されていないのだ。つまり彼はそれをまださわって試せるわけがなかったし、コメントのような判断ができるわけがなかったのだ。
●では彼がここまで断罪できる根拠は何だったというのだろう?
●80年代から90年代の最新テクノロジーに関する「宗教戦争」の図式はもっとシンプルだった。アップルとマイクロソフトの二大巨頭しか存在しなかったからである。
●アップル側の人々は、マイクロソフトが発展したのは品質ではなくアイディアを盗んで活用したからという理由で批判していた。逆にマイクロソフト側の人々は、アップルの製品がキザでエリートっぽく、しかもやたら高いことに文句を言っていた。
●しかもそこには「判官贔屓」という要因もまざっており、好きなチームに肩入れして応援するという心理が働いていたのだ。
●もちろんマイクロソフトとアップルの間の憎しみ合いはまだ続いている。私は先日ある製品発表会で同業者のコラムニストと似たような罵詈雑言コメントをもらうことを確認して大笑いしたばかりだ。
●ところが最近はまた新しい「宗教戦争」がはじまった。グーグルvsフェイスブックだ。カメラだとニコンvsキャノン、電子書籍リーダーだとキンドルvsヌックだ。そして今はサムソンだ。
●ではなぜ多くの人が私のような携帯電話のレビューアーの書いた記事にわざわざ自分の時間をつかって大量の罵詈雑言メールを送ってくるのだろうか?
●政治学ではこのような現象に「敵対的メディア認知」(the hostile media effect)というコミュニケーション理論の名前がつけられている。
●これは、あなたがあるトピックに関心をいだいていて、たまたま見たメディアの報道の仕方が自分の見解と異なると、実際にその報道がいくら中立的なものであったとしても「バイアスがかかっている」と感じる現象のことだ。
●この現象は、エレクトロニクス業界だと「恐怖」という強力な感情によって、さらに大きく増幅されるのだ。
●たとえばある製品を購入してしまえば、あなたはすでにこの製品に固定されることになる。ようするにあなたはあるブランドにすでにコミットしてしまったということだ。
●しかもそれが電子書籍リーダーであれカメラであれ、とにかくすでに多くの資金をつぎ込んでいるのだ。
●そうなると誰かが別ブランドの新しい製品を素晴らしいとコメントしたとする・・・これはすでに別の製品を持っている彼らにとっては恐怖以外のなにものでもない。
●そうなるとあなたはこのコメンテーターのことを、あたかも自分の製品、そしてあなた自身、そしてあなたの「知性」を酷評したと勘違いしてしまうのだ。なぜなら賞賛した製品はあなたが選んだ製品ではないからだ。
●つまりこのコメンテーターは「あなたは間違った選択をしました」と自分に対して言っていることになり、無駄金を使ったように感じさせることになるのだ。
●さらには社会的に見られる姿という点においても恐怖を加速させる。アップルの製品は単なる機器ではなく、最近はそのデザインのおかげで「ファッション」になってきたのであり、あなたが持っているものはあなた自身を表すように思えてしまうのだ。
●たとえばマイクロソフトのZuneはデザインの優れた音楽プレイヤーだったが、生産打ち切りになってしまった。その理由は、iPodのほうがかっこよかったし、iPodをもってダンスするシルエットの広告がかっこ良かったからだ。
●逆に人々は、Zuneをもっているおかげで哀れみを感じてもらいたくないのだ。
●ここでまた同じメカニズムが発生する。新しくてよい製品を褒めると、読者には「あなたは選択を間違えた」ということだけでなく、「あなたにはセンスがない」と言っているように聞こえてしまうのだ。
●それはまあよいとしても、ではなぜ電機製品でこういう現象が起こるのだろうか?なぜ朝食のシリアルやレンタカー会社、それに保険会社のブランドの間でこういう戦いは起こらないのだろうか?
●もちろんその答えは、それが日常的に比較検討されないからだ。たとえば朝食用のシリアルについて毎週比較するような記事なんか書かれないのだ。
●ところがネットというのもこの要素の一つに入っている。テクノロジー系の製品が「宗教戦争」で争われる理由は、インターネット自体がテクノロジーにのっとった場だからだ。
●しかもその匿名性のおかげで、ネットでは人前では言えないような過激なことも言えてしまうのだ。
●私はネット上でもっと大人な、落ち着いた議論ができればいいと思っている。どのような携帯を持っていても個人の価値には関係ないことを学んでくれたらなおいい。
●ところがこんなことを言っても、それはまるで「われわれはもっと身体を動かすべきだ」とか「国家はもっと仲良くすべきだ」と言っているようなものだ。ようするにわれわれの「人間の本質」の中には、なかなか変化させることができないものがあるのだ。
●そして明らかに最新ガジェットに関する人間の感覚は、その内の一つであろう。
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結論は、戦略学でも中心的なテーマになっている、人間の本質(human nature)の不変性というところに落ち着きました。
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「最新機器」というのは、人間の感情とむすびつきやすく、それが「宗教戦争」を起こす原因となっているという興味深い記事です。
政治学や心理学との共通項もありますし、本ブログではおなじみの「恐怖」「利益」「名誉」という三要素に関する話もあります。
これは本ブログで何度も強調している通り、「テクノロジー」というものには、人間の思想や感情が込められやすいからです。
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テクノロジーに関する罵詈雑言コメントと「宗教戦争」
●ある読者から以下のようなコメントをいただいた。
●「君が今日NYタイムズに載せた記事はくだらないね。ギャラクシーSIIIはダサいし、冷たく感情の感じられない、失敗作だ。単なる次世代携帯というだけで特徴がない。画像はキレイになったけどビジョンはない。昔のあなたの記事はよかったけど、今は僕たちにゴミを勧めているのかい?あなたはクビになって別の人のわかっている人に記事書いてもらいたいです。」
●このようなコメントをいただくのは、テクノロジー系の批評家の仕事のうちの一つだ。舞台や音楽系の批評家も同じようなメールを送りつけられていることは想像に難くない。
●ぶっちゃけ言うと、最近の私のこのようなコメントに対する反応は「好奇心」である。このような読者には一体何が起こっているのだろうか?たんなる大量生産品になぜここまで感情的になれるのだろう?
●上のコメントをくれた読者について少し考えてみよう。
●まずこのコメントをくれた時点で、まだその携帯は発売されていないのだ。つまり彼はそれをまださわって試せるわけがなかったし、コメントのような判断ができるわけがなかったのだ。
●では彼がここまで断罪できる根拠は何だったというのだろう?
●80年代から90年代の最新テクノロジーに関する「宗教戦争」の図式はもっとシンプルだった。アップルとマイクロソフトの二大巨頭しか存在しなかったからである。
●アップル側の人々は、マイクロソフトが発展したのは品質ではなくアイディアを盗んで活用したからという理由で批判していた。逆にマイクロソフト側の人々は、アップルの製品がキザでエリートっぽく、しかもやたら高いことに文句を言っていた。
●しかもそこには「判官贔屓」という要因もまざっており、好きなチームに肩入れして応援するという心理が働いていたのだ。
●もちろんマイクロソフトとアップルの間の憎しみ合いはまだ続いている。私は先日ある製品発表会で同業者のコラムニストと似たような罵詈雑言コメントをもらうことを確認して大笑いしたばかりだ。
●ところが最近はまた新しい「宗教戦争」がはじまった。グーグルvsフェイスブックだ。カメラだとニコンvsキャノン、電子書籍リーダーだとキンドルvsヌックだ。そして今はサムソンだ。
●ではなぜ多くの人が私のような携帯電話のレビューアーの書いた記事にわざわざ自分の時間をつかって大量の罵詈雑言メールを送ってくるのだろうか?
●政治学ではこのような現象に「敵対的メディア認知」(the hostile media effect)というコミュニケーション理論の名前がつけられている。
●これは、あなたがあるトピックに関心をいだいていて、たまたま見たメディアの報道の仕方が自分の見解と異なると、実際にその報道がいくら中立的なものであったとしても「バイアスがかかっている」と感じる現象のことだ。
●この現象は、エレクトロニクス業界だと「恐怖」という強力な感情によって、さらに大きく増幅されるのだ。
●たとえばある製品を購入してしまえば、あなたはすでにこの製品に固定されることになる。ようするにあなたはあるブランドにすでにコミットしてしまったということだ。
●しかもそれが電子書籍リーダーであれカメラであれ、とにかくすでに多くの資金をつぎ込んでいるのだ。
●そうなると誰かが別ブランドの新しい製品を素晴らしいとコメントしたとする・・・これはすでに別の製品を持っている彼らにとっては恐怖以外のなにものでもない。
●そうなるとあなたはこのコメンテーターのことを、あたかも自分の製品、そしてあなた自身、そしてあなたの「知性」を酷評したと勘違いしてしまうのだ。なぜなら賞賛した製品はあなたが選んだ製品ではないからだ。
●つまりこのコメンテーターは「あなたは間違った選択をしました」と自分に対して言っていることになり、無駄金を使ったように感じさせることになるのだ。
●さらには社会的に見られる姿という点においても恐怖を加速させる。アップルの製品は単なる機器ではなく、最近はそのデザインのおかげで「ファッション」になってきたのであり、あなたが持っているものはあなた自身を表すように思えてしまうのだ。
●たとえばマイクロソフトのZuneはデザインの優れた音楽プレイヤーだったが、生産打ち切りになってしまった。その理由は、iPodのほうがかっこよかったし、iPodをもってダンスするシルエットの広告がかっこ良かったからだ。
●逆に人々は、Zuneをもっているおかげで哀れみを感じてもらいたくないのだ。
●ここでまた同じメカニズムが発生する。新しくてよい製品を褒めると、読者には「あなたは選択を間違えた」ということだけでなく、「あなたにはセンスがない」と言っているように聞こえてしまうのだ。
●それはまあよいとしても、ではなぜ電機製品でこういう現象が起こるのだろうか?なぜ朝食のシリアルやレンタカー会社、それに保険会社のブランドの間でこういう戦いは起こらないのだろうか?
●もちろんその答えは、それが日常的に比較検討されないからだ。たとえば朝食用のシリアルについて毎週比較するような記事なんか書かれないのだ。
●ところがネットというのもこの要素の一つに入っている。テクノロジー系の製品が「宗教戦争」で争われる理由は、インターネット自体がテクノロジーにのっとった場だからだ。
●しかもその匿名性のおかげで、ネットでは人前では言えないような過激なことも言えてしまうのだ。
●私はネット上でもっと大人な、落ち着いた議論ができればいいと思っている。どのような携帯を持っていても個人の価値には関係ないことを学んでくれたらなおいい。
●ところがこんなことを言っても、それはまるで「われわれはもっと身体を動かすべきだ」とか「国家はもっと仲良くすべきだ」と言っているようなものだ。ようするにわれわれの「人間の本質」の中には、なかなか変化させることができないものがあるのだ。
●そして明らかに最新ガジェットに関する人間の感覚は、その内の一つであろう。
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結論は、戦略学でも中心的なテーマになっている、人間の本質(human nature)の不変性というところに落ち着きました。
by masa_the_man
| 2012-08-29 00:00
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