2012年 08月 06日
グレイ著『現代の戦略』を読み解く⑦ |
今日の横浜北部は朝から曇りがちです。相変わらず暑いですが、なんか雨が降りそうな。
さて、つづきのグレイの『現代の戦略』の要約です。今回は第十章だけ。
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―10:小戦争とその他の野蛮な暴力
本章のテーマとなるのは、正規軍同士以外の軍事力の使用(とその使用の脅し)を含む暴力についてであり、しかもそれが「政治的な目的」を含むことが前提。ゲリラ的な戦術というのは戦争の歴史と同じくらい古いことが指摘され、チャールズ・コールウェル(Charles E. Callwell)を引用しつつ、「小戦争」(small wars)は必ずしも小規模なものではないという分析が示される。
次に紛争では兵士の命がかかることに変わりはないことから、西洋諸国で戦争が列度(低・中・高)によって区別されていることがおかしいと指摘しつつ、核戦争のような「仮想の戦争」と、小戦争のような「実際の戦争」の違いを分析。さらに深く分析するために、一九世紀末のコールウェルと二〇世紀後半のラルフ・ピーターズ(Ralph Peters)の二人の議論から、戦略理論と実践との微妙な関係性を探る。
ここで全般的に理論家たちが犯しやすい二つの間違いとして、①非正規戦を正規戦と同じように扱ってしまうこと、②非正規戦が未来の戦争であるとみなしてしまうことがあると指摘しつつ、毛沢東はゲリラ戦を自身の政治目的達成のための一つの手段としか考えていなかったことを強調。
つぎに小戦争などにも理論と実践の対話があるとして、二〇世紀の例にいくつか触れながら、ローレンス、毛沢東、シオニスト、チェ・ゲバラの例などに言及。非正規戦には様々な形があることを認識しつつも政治がその目的にあるという面から戦略としてとらえることができることを確認。
続いて特殊部隊についても分析し、そもそも特殊部隊というのは軍服を着たゲリラ部隊であると指摘。特殊部隊は一九三九年以降に重要性を増して活用されるようになったとして、その戦術やドクトリンは多様化してきたことを認めている。ただし歴史的にも戦略的にもまだまとまった理論というものが生み出されていないと主張。
その中でもとりあえずローレンスとコールウェル、そして毛沢東たちが、不完全ながらも理論らしきものを提唱しているとして紹介している。
まとめとして、まず二〇世紀には小戦争について五つの重なり合った時代にわけることができるとしている。
①古典的小戦争:一九〇〇〜三六年
②帝国の警備:一九一九〜六六年
③革命ゲリラ戦:一九一七〜九〇年
④テロリズム:一九四五年〜現在まで
⑤文明、文化、人種、それ以外の部族間の暴力:一九九一年〜現在まで
そしてテロの専門家としても名高いウォルター・ラカー(Walter Laqueur)の議論を引用しつつ、テロリストとゲリラは厳密には違うのに混同されやすいことを指摘して、最後に戦争のやり方には様々な形があれども、その本質は時代を越えて変わらないと強調して本章を締めくくっている。
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今日はここまで。明日はいよいよ核戦略についての二章です。
さて、つづきのグレイの『現代の戦略』の要約です。今回は第十章だけ。
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―10:小戦争とその他の野蛮な暴力
本章のテーマとなるのは、正規軍同士以外の軍事力の使用(とその使用の脅し)を含む暴力についてであり、しかもそれが「政治的な目的」を含むことが前提。ゲリラ的な戦術というのは戦争の歴史と同じくらい古いことが指摘され、チャールズ・コールウェル(Charles E. Callwell)を引用しつつ、「小戦争」(small wars)は必ずしも小規模なものではないという分析が示される。
次に紛争では兵士の命がかかることに変わりはないことから、西洋諸国で戦争が列度(低・中・高)によって区別されていることがおかしいと指摘しつつ、核戦争のような「仮想の戦争」と、小戦争のような「実際の戦争」の違いを分析。さらに深く分析するために、一九世紀末のコールウェルと二〇世紀後半のラルフ・ピーターズ(Ralph Peters)の二人の議論から、戦略理論と実践との微妙な関係性を探る。
ここで全般的に理論家たちが犯しやすい二つの間違いとして、①非正規戦を正規戦と同じように扱ってしまうこと、②非正規戦が未来の戦争であるとみなしてしまうことがあると指摘しつつ、毛沢東はゲリラ戦を自身の政治目的達成のための一つの手段としか考えていなかったことを強調。
つぎに小戦争などにも理論と実践の対話があるとして、二〇世紀の例にいくつか触れながら、ローレンス、毛沢東、シオニスト、チェ・ゲバラの例などに言及。非正規戦には様々な形があることを認識しつつも政治がその目的にあるという面から戦略としてとらえることができることを確認。
続いて特殊部隊についても分析し、そもそも特殊部隊というのは軍服を着たゲリラ部隊であると指摘。特殊部隊は一九三九年以降に重要性を増して活用されるようになったとして、その戦術やドクトリンは多様化してきたことを認めている。ただし歴史的にも戦略的にもまだまとまった理論というものが生み出されていないと主張。
その中でもとりあえずローレンスとコールウェル、そして毛沢東たちが、不完全ながらも理論らしきものを提唱しているとして紹介している。
まとめとして、まず二〇世紀には小戦争について五つの重なり合った時代にわけることができるとしている。
①古典的小戦争:一九〇〇〜三六年
②帝国の警備:一九一九〜六六年
③革命ゲリラ戦:一九一七〜九〇年
④テロリズム:一九四五年〜現在まで
⑤文明、文化、人種、それ以外の部族間の暴力:一九九一年〜現在まで
そしてテロの専門家としても名高いウォルター・ラカー(Walter Laqueur)の議論を引用しつつ、テロリストとゲリラは厳密には違うのに混同されやすいことを指摘して、最後に戦争のやり方には様々な形があれども、その本質は時代を越えて変わらないと強調して本章を締めくくっている。
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今日はここまで。明日はいよいよ核戦略についての二章です。
by masa_the_man
| 2012-08-06 10:08
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