2012年 07月 12日
グレイ著『現代の戦略』を読み解く③ |
今日の横浜北部は朝から曇っております。梅雨の天候に戻ってきました。九州のほうでは大変なことになっているようですが・・・・
さて、一昨日の続きを。グレイの『現代の戦略』の要約です。今日は第三章と第四章を。
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―3:戦略家の道具:クラウゼヴィッツの遺産
クラウゼヴィッツの『戦争論』がいかに優れているのかを論じる章。本書の中でも著者の情熱を最も感じるところ。
まず20世紀は偉大な戦争についての理論が生み出されなかった事情を考察。たしかに20世紀には大規模な戦争が起こったが、フォッシュ、ヘイグ、ルーデンドルフ、ヒトラー、チャーチル、それに冷戦時代の将軍たちなど、いずれもがクラウゼヴィッツ時代のナポレオンのような「偉大な将軍」ではなく、インスピレーションを理論家たちに与えられなかったとしている。
次に20世紀は結局のところ影響力の大きさでいえば「クラウゼヴィッツの世紀」であったことが徹底的に論じられ、その後にクラウゼヴィッツの後継者となるような人物はいないのか、そのランキングを示したリストが提出される。
著者によれば、戦略についての包括的な(一般)理論(general theory)の後継者として挙げられるのは、
1、J.C.ワイリー
2、エドワード・ルトワック
3、バーナード・ブロディ
4、バジル・リデルハート
5、ラウル・カステックス
6、レジナルド・クスタンス/ジョン・ボイド/毛沢東
となり、6の三名は他に比べてやや格下の存在になると主張。毛沢東の場合は「孫子の兵法」の影響と「ゲリラ戦」に特化しているという2点をその理由に挙げている。
ここからクラウゼヴィッツの利点を解説。三位一体、文法と論理、絶対戦争と制限戦争、摩擦、戦争の霧、重心、限界点などの概念を中心に、ハウツー本ではなく教育本としての『戦争論』のクオリティーの高さを徹底解説。
次にクラウゼヴィッツの弱点を指摘。これにはまたまた三位一体が触れられ、おなじみの文体の読みにくさや本そのものが未完成であるという事実、それに戦略が従わなければならないとされる肝心の「政策」についてや、海戦についてほとんど触れていないこと、ロジスティクスをほとんど論じていない、それにテクノロジーについて、国家中心の考え方であることなど、かなり網羅的に論じられている。
最後に近年のクラウゼヴィッツの批判を展開したことで有名なバジル・リデルハート、ジョン・キーガン、そしてマーティン・ファン・クレフェルトの三人がいかに間違っているのかを簡単に検証した後に、クラウゼヴィッツの批判者として有名なクレフェルトが、以前にクラウゼヴィッツを絶賛していた論文から引用して〆ている。
―4:現代の戦略思想の貧困さ
前章のつづき。今度はクラウゼヴィッツの後継者となる人物がなぜいないのかを、九つの理由から徹底検証。
一つ目がすでに述べたように、20世紀に理論家を刺激するような「偉大な将軍」が生まれなかったという事実。二つ目は20世紀の戦争がそもそもあまりにも複雑化してしまったこと。三つ目は戦争という現象を「既存の状態」として考えていたクラウゼヴィッツに対して、現在の学者たちが「問題そのもの」として考えてしまったために扱いづらくなってしまったということ。
四つ目は、単純に優れた才能の人物が20世紀に出てこなかったという点。五つ目は、古典として認められるまでに時間がかかること。20世紀にすごい本が書かれている可能性もあるが、クラウゼヴィッツが大モルトケを必要としたように、古典になるには大人物の評価を待つ必要があるのだ。
六つ目は、単純に「クラウゼヴィッツがすでにやってしまったから」。七つ目は、そもそも戦争の理論を研究するような人の数が限定されていること。兵士は学者にならないし、学者は戦略というテーマそのものにあまり興味をもたないから。
八つ目は、アメリカのような資金の豊富な国でも直近の軍事問題ばかりを研究させ、そこから理論を構築させるようなことはあまり行わないという点。そして最後が、学者たちが部分的な理論のことを「一般理論だ」と勘違いしているという事実。
そしてまとめとして、このような欠点を政治家と軍人たちは心に留めつつ『戦争論』から学ばなければならないとして本章を締めくくっている。
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今日はここまで。
さて、一昨日の続きを。グレイの『現代の戦略』の要約です。今日は第三章と第四章を。
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―3:戦略家の道具:クラウゼヴィッツの遺産
クラウゼヴィッツの『戦争論』がいかに優れているのかを論じる章。本書の中でも著者の情熱を最も感じるところ。
まず20世紀は偉大な戦争についての理論が生み出されなかった事情を考察。たしかに20世紀には大規模な戦争が起こったが、フォッシュ、ヘイグ、ルーデンドルフ、ヒトラー、チャーチル、それに冷戦時代の将軍たちなど、いずれもがクラウゼヴィッツ時代のナポレオンのような「偉大な将軍」ではなく、インスピレーションを理論家たちに与えられなかったとしている。
次に20世紀は結局のところ影響力の大きさでいえば「クラウゼヴィッツの世紀」であったことが徹底的に論じられ、その後にクラウゼヴィッツの後継者となるような人物はいないのか、そのランキングを示したリストが提出される。
著者によれば、戦略についての包括的な(一般)理論(general theory)の後継者として挙げられるのは、
1、J.C.ワイリー
2、エドワード・ルトワック
3、バーナード・ブロディ
4、バジル・リデルハート
5、ラウル・カステックス
6、レジナルド・クスタンス/ジョン・ボイド/毛沢東
となり、6の三名は他に比べてやや格下の存在になると主張。毛沢東の場合は「孫子の兵法」の影響と「ゲリラ戦」に特化しているという2点をその理由に挙げている。
ここからクラウゼヴィッツの利点を解説。三位一体、文法と論理、絶対戦争と制限戦争、摩擦、戦争の霧、重心、限界点などの概念を中心に、ハウツー本ではなく教育本としての『戦争論』のクオリティーの高さを徹底解説。
次にクラウゼヴィッツの弱点を指摘。これにはまたまた三位一体が触れられ、おなじみの文体の読みにくさや本そのものが未完成であるという事実、それに戦略が従わなければならないとされる肝心の「政策」についてや、海戦についてほとんど触れていないこと、ロジスティクスをほとんど論じていない、それにテクノロジーについて、国家中心の考え方であることなど、かなり網羅的に論じられている。
最後に近年のクラウゼヴィッツの批判を展開したことで有名なバジル・リデルハート、ジョン・キーガン、そしてマーティン・ファン・クレフェルトの三人がいかに間違っているのかを簡単に検証した後に、クラウゼヴィッツの批判者として有名なクレフェルトが、以前にクラウゼヴィッツを絶賛していた論文から引用して〆ている。
―4:現代の戦略思想の貧困さ
前章のつづき。今度はクラウゼヴィッツの後継者となる人物がなぜいないのかを、九つの理由から徹底検証。
一つ目がすでに述べたように、20世紀に理論家を刺激するような「偉大な将軍」が生まれなかったという事実。二つ目は20世紀の戦争がそもそもあまりにも複雑化してしまったこと。三つ目は戦争という現象を「既存の状態」として考えていたクラウゼヴィッツに対して、現在の学者たちが「問題そのもの」として考えてしまったために扱いづらくなってしまったということ。
四つ目は、単純に優れた才能の人物が20世紀に出てこなかったという点。五つ目は、古典として認められるまでに時間がかかること。20世紀にすごい本が書かれている可能性もあるが、クラウゼヴィッツが大モルトケを必要としたように、古典になるには大人物の評価を待つ必要があるのだ。
六つ目は、単純に「クラウゼヴィッツがすでにやってしまったから」。七つ目は、そもそも戦争の理論を研究するような人の数が限定されていること。兵士は学者にならないし、学者は戦略というテーマそのものにあまり興味をもたないから。
八つ目は、アメリカのような資金の豊富な国でも直近の軍事問題ばかりを研究させ、そこから理論を構築させるようなことはあまり行わないという点。そして最後が、学者たちが部分的な理論のことを「一般理論だ」と勘違いしているという事実。
そしてまとめとして、このような欠点を政治家と軍人たちは心に留めつつ『戦争論』から学ばなければならないとして本章を締めくくっている。
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今日はここまで。
by masa_the_man
| 2012-07-12 11:16
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