2012年 06月 06日
サイバー戦によって「戦争の本質」が変わった? |
今日の横浜北部は朝から小雨が降っております。気温も下がり、久々のまとまった雨。梅雨が近づいている予感が。
さて、久々のブログ更新ですが、以下は私がそのうちクラウゼヴィッツ学会で発表する内容と重なるもの。その記事の要約を。
基本的には「サイバー戦争」ネタですが、クラウゼヴィッツの「戦争の本質」(the nature of war)に絡んでくる大事なポイントです。
===
サイバー攻撃は、戦争(と平和)のアイディアを変えるかも?
●現代というのは、平和を推進しようとする人々にとっては困惑する時代であると言えよう。
●その理由は、戦争が増えたからではなく、紛争そのものの本質(nature)が劇的なスピードで変わりつつあるからだ。
●たとえば陸上部隊と共に侵攻するのを避けるために、多くの国はアメリカにならって無人機を使うことを計画している。
●また、彼らは暴力的な空爆ではなくて、グローバルな金融システムによるデジタル的なツールを使った経済制裁を行おうとしているのだ。
●そして経済制裁の効果が出ない場合には、彼らはコンピューターウィルスなどを使った「サイバー戦」を実行しようというのだ。
●たとえばNYタイムズの記事では、アメリカはイスラエルと共に秘密裏でイランの核開発計画にたいしてサイバー攻撃を仕掛けようとしているという。
●これは"Flame”と呼ばれるサイバー兵器をつかって、イランの石油省のネットの接続を遮断しようというものだ。
●世界の国々では、より「見えない」攻撃の仕方が考えられている。アメリカや中国などをはじめとするサイバー戦争において使われている攻撃的な手段というのは、紛争における最新の戦い方の一例なのだ。
●ところがこのような最近の「見えない/終わりのない戦争」というトレンドから、実に多くのきわどい疑問が出てくるのも事実だ。
●まず大事なのは、この戦争がどこからはじまり、どこで終わるのか、という点だ。
●また、政府の中の誰がこのような攻撃を許可して見守ることになるのだろうか?
●そして、もし紛争の本質が戦争の古い概念とフィットしない場合、古い市民はどう対応すればいいのだろうか?
●実際のところ、「宣戦布告」というのは冷戦時代を通じて行われていないし、9・11事件以降の「テロとの戦争」というのは、ビンラディンを殺害したにもかかわらず、相変わらず曖昧な概念のままだ。
●ホワイトハウスも議会も、新しいタイプの攻撃についてどのような法的根拠があるのか混乱したままだ。
●また、司法ものほうもサイバー戦にはハッキリとした始まりや終わり、それに地理的な境界線が存在しないため、「戦時」における市民の自由の一時停止をどう正当化しようかで頭を悩ませている。
●近年になってから平和のためのツール(政治、デモ、祈りなど)を修正しなければならなかったように、今日の平和の構築者側も、サイバー戦の新しい現実に順応しなければならないのだ。
●法律の歴史家であるマリー・ドゥジアックは新著の中で「われわれは戦時から平時へと移りかわると思い込んでおり、戦争を一過性のものであると捉えがちだ」と書いている。
●ところが現代の紛争は新しい形で「戦後」も残っていくことになる。
●たとえば米軍はアフガニスタンから撤退しつつあるが、兵士よりも民間企業に雇われた「傭兵」たちのほうが死者数は遥かに多いし、リビアやコロンビア、そしてメキシコの例などは、その新しい形の紛争の典型的な例だ。
●このような紛争の本質における変化は、われわれの将来の脅威についての見極めを難しくしてしまったのである。
●米連邦議会は国防予算を細かく作成することができないと、軍需企業のロビー活動に押し切られてしまうことになる。
●テキサス州選出で下院のインテリジェンス委員を務めるマック・ソーンベリー下院議員は、議会がサイバー戦のような「光の速さで動いている」新しい現実に対応する術を学ばなければならないと発言している
●つまりこれは「戦争」という概念そのものが動く標的になってしまったということだ。
●そして平和を推進しようという人々は、それと共に素早い動きをしなければならないことになる。
===
元ネタはクリスチャン・サイエンス・モニターの社説なんですが、戦略学の哲学的な部分をよく論じているかと。
しかし「戦争の本質」が変わったかどうかという点においては、なかなか見極めが難しいところが。
当分の間はこの「サイバー戦は“戦争”なのか?」という議論は戦略界でも続いて行きそうですね。
さて、久々のブログ更新ですが、以下は私がそのうちクラウゼヴィッツ学会で発表する内容と重なるもの。その記事の要約を。
基本的には「サイバー戦争」ネタですが、クラウゼヴィッツの「戦争の本質」(the nature of war)に絡んでくる大事なポイントです。
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サイバー攻撃は、戦争(と平和)のアイディアを変えるかも?
●現代というのは、平和を推進しようとする人々にとっては困惑する時代であると言えよう。
●その理由は、戦争が増えたからではなく、紛争そのものの本質(nature)が劇的なスピードで変わりつつあるからだ。
●たとえば陸上部隊と共に侵攻するのを避けるために、多くの国はアメリカにならって無人機を使うことを計画している。
●また、彼らは暴力的な空爆ではなくて、グローバルな金融システムによるデジタル的なツールを使った経済制裁を行おうとしているのだ。
●そして経済制裁の効果が出ない場合には、彼らはコンピューターウィルスなどを使った「サイバー戦」を実行しようというのだ。
●たとえばNYタイムズの記事では、アメリカはイスラエルと共に秘密裏でイランの核開発計画にたいしてサイバー攻撃を仕掛けようとしているという。
●これは"Flame”と呼ばれるサイバー兵器をつかって、イランの石油省のネットの接続を遮断しようというものだ。
●世界の国々では、より「見えない」攻撃の仕方が考えられている。アメリカや中国などをはじめとするサイバー戦争において使われている攻撃的な手段というのは、紛争における最新の戦い方の一例なのだ。
●ところがこのような最近の「見えない/終わりのない戦争」というトレンドから、実に多くのきわどい疑問が出てくるのも事実だ。
●まず大事なのは、この戦争がどこからはじまり、どこで終わるのか、という点だ。
●また、政府の中の誰がこのような攻撃を許可して見守ることになるのだろうか?
●そして、もし紛争の本質が戦争の古い概念とフィットしない場合、古い市民はどう対応すればいいのだろうか?
●実際のところ、「宣戦布告」というのは冷戦時代を通じて行われていないし、9・11事件以降の「テロとの戦争」というのは、ビンラディンを殺害したにもかかわらず、相変わらず曖昧な概念のままだ。
●ホワイトハウスも議会も、新しいタイプの攻撃についてどのような法的根拠があるのか混乱したままだ。
●また、司法ものほうもサイバー戦にはハッキリとした始まりや終わり、それに地理的な境界線が存在しないため、「戦時」における市民の自由の一時停止をどう正当化しようかで頭を悩ませている。
●近年になってから平和のためのツール(政治、デモ、祈りなど)を修正しなければならなかったように、今日の平和の構築者側も、サイバー戦の新しい現実に順応しなければならないのだ。
●法律の歴史家であるマリー・ドゥジアックは新著の中で「われわれは戦時から平時へと移りかわると思い込んでおり、戦争を一過性のものであると捉えがちだ」と書いている。
●ところが現代の紛争は新しい形で「戦後」も残っていくことになる。
●たとえば米軍はアフガニスタンから撤退しつつあるが、兵士よりも民間企業に雇われた「傭兵」たちのほうが死者数は遥かに多いし、リビアやコロンビア、そしてメキシコの例などは、その新しい形の紛争の典型的な例だ。
●このような紛争の本質における変化は、われわれの将来の脅威についての見極めを難しくしてしまったのである。
●米連邦議会は国防予算を細かく作成することができないと、軍需企業のロビー活動に押し切られてしまうことになる。
●テキサス州選出で下院のインテリジェンス委員を務めるマック・ソーンベリー下院議員は、議会がサイバー戦のような「光の速さで動いている」新しい現実に対応する術を学ばなければならないと発言している
●つまりこれは「戦争」という概念そのものが動く標的になってしまったということだ。
●そして平和を推進しようという人々は、それと共に素早い動きをしなければならないことになる。
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元ネタはクリスチャン・サイエンス・モニターの社説なんですが、戦略学の哲学的な部分をよく論じているかと。
しかし「戦争の本質」が変わったかどうかという点においては、なかなか見極めが難しいところが。
当分の間はこの「サイバー戦は“戦争”なのか?」という議論は戦略界でも続いて行きそうですね。
by masa_the_man
| 2012-06-06 12:14
| 日記

