2012年 04月 13日
なぜ国家は失敗する? |
今日の横浜北部は昼過ぎから曇ってきました。陽気は完全に春ですが。
さて、また興味深い本(の書評)がありましたのでその要約を以下に。
この本なんですが、アメリカでは相当話題になってますね。ウォルツ的にいえば完全に「セカンド・イメージ」(国家/組織)による原因の説明でして、まあリベラル派の説明によるスタンダードなものです。
面白いのはその説明に豊富な歴史の例を使っていることと、政治と経済のつながりをかなり密接に分析しているところでしょうか。
この調子だと、おそらく日本でも近いうちに翻訳されて発売されそうです。
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なぜ国家は失敗する?
Byトーマス・フリードマン
●今読んでいる本がとても面白い。『なぜ国家は失敗するのか』という本だ。
●これを読めば読むほどアメリカがアフガニスタンでいかにアホなことをしているか、そしてアメリカはいかに対外援助戦略を抜本的に見直さなければならないかがよくわかる。
●ところが本書で示されている警告の中で最も重要なものは、アメリカと中国に関するものだろう。
●MITの経済学者であるデロン・アセモグルとハーヴァード大学の政治学者のジェームス・ロビンソンの共著となるこの本は、国家の違いを生み出すのが「制度」であると主張している。
●この本によれば、国家が発展するときにはその政治・経済制度が「包括的」(inclusive)であり、没落する時は「収奪的」(extractive)になるという。
●そして「収奪的」になると、その国家の権力やチャンスはたった少数の人間の手に握られてしまう、というのだ。
●著者たちによれば「少数の人々が多数の人々から富を奪うような“収奪的”な経済制度に比べて、“包括的”な経済制度は所有権を強化し、平等なチャンスを生み出し、経済発展につながる新しいテクノロジーやスキルを生み出す投資を促進する」という。
●「“包括的”な経済制度は“包括的”な政治制度を支え、支えられる」のであり、それが「権力を広く適度に分配して、所有権を守るための基盤となる法と秩序を確立し、“包括的”な市場経済を達成することができる」という。
●それとは対照的に、“収奪的”な政治制度はあまりにも少数の人間に権力を集めてしまい、それが“収奪的”な経済制度を継続させてしまうのだ。
●著者の一人であるアセモグル氏は、あるインタビューの中で、国家が発展している時というのはその国の制度が国民一人一人の潜在力を解き放ってイノヴェーションや投資、開発に向かうようにしているという。
●たしかに東欧諸国と元ソ連のグルジア/ウズベキスタン、イスラエルとアラブ諸国、クルギスタンとそれ以外のイラクなどの違いを生んでいるのはすべて「制度」なのだ。
●著者たちによれば、歴史が教えている教訓は「正しい政治体制がなければ、良い経済は生まれない」ということだ。彼らが「政治のコントロール」と「経済発展」を同時に実現しようとしている中国に悲観的な理由はここにある。
●アセモグルは「われわれの分析によれば、中国は“収奪的”な制度、つまり共産党政府の独裁的な権力の下で人民や資源を大量に動員するというな強引な手段で経済発展をしているが、これは長く続かない。なぜならそこには(革新と高収入に必要な)破壊的創造が生まれないからだ」と述べている。
●「継続的な経済発展にはイノベーションが必要であり、イノベーションは創造的破壊と切り離すことはできない。この破壊は旧制度を新しい経済システムにするために必要であり、しかもそれは既存の権力構造を破壊するものだ」と著者たちは書いている。
●「中国が創造的破壊によって経済体制を変えることができなければ、その発展は長続きしないはずだ」とアセモグルは主張。
●ところが中国の大学の落第生が中国の国家が運営する銀行に支えられている国営企業に対抗できるような巨大な会社を作ることができるだろうか?
●アセモグルによれば、アラブ諸国やアフガニスタンに足りなかったのは民主制度であるという9/11事件後の見方は間違ってはいないという。ところが間違っていたのは、それを簡単に輸出してそこに根付かせることができるはずだ、というわれわれの考えのほうであった。
●民主的な変化というのは、どうしても草の根的な下からの運動からわき上がってこなければならないものだからだ。
●「もちろんだからといってわれわれが何もできないというわけではない」と彼は言う。
●たとえばエジプトのような国に軍事的な支援をするのではなく、その代わりに政治的に発言力を得ることができればよくなるようなところに支援をするべきだというのだ。
●私に言わせれば、エジプト、パキスタン、そしてアフガニスタンのような国にたいするわれわれの対外支援というのは、それらの国々のエリートたちに悪い行動をしないようにお願いする身代金のようなものであろう。ところがわれわれはその身代金を「エサ」にしなければならないのだ。
●アセモグルが提案しているのは、エジプトへの13億ドルにおよぶ軍事支援は一部のエリートに恩恵を与えるだけなので、それ以外の社会層の人々にも発言権をもたせるような委員会を設立し、どの機関ーー学校や病院ーーに対外支援を行って欲しいのかを発言させる、ということだ。
●つまり金を与えるのだったら、その国の草の根運動を強化するようなものにすべきだというのだ。
●支援を与える側というのは、支援することしかできないのであり、「包括的」な制度を確立しようという草の根運動があれば、それを支援すればよいのだ。
●ところがわれわれ自身がその「包括的」な制度をつくることはできないのだ。
●しかもアフガニスタンや多くのアラブ諸国では、われわれは既存の権力を支援してきたことにより、逆に彼らの草の根運動をつぶしてきたようなところがあるのだ。だからそこから何も生まれない。
●ならぜなら、数字のゼロを何倍しても、それは相変わらずゼロだからだ。
●ではアメリカの場合はどうだろう。アセモグルは現在の経済格差がアメリカの「包括的」な制度を崩壊させる方向に動いていることを危惧している。
●「問題の核心は、格差がある程度の規模になると、それが政治の状況に反映されてくることだ」
●たしかにたった一人の人物がある候補者の選挙運動の資金を一人で引き受けることができるようになってしまえば、そこから選ばれた議員が「包括的」に他の声を聞くようになるとは思えない。
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一言で言えば、国内の制度の仕組みが「包括的」か「収奪的」かで違ってくる、という分析です。
皮肉な見方をすれば「民主制万歳!」ということになるかもしれませんが、これは逆に社会の「秩序」と「自由」の間の緊張関係という昔からの議論を再び呼び起こしそうでもありますな。
さて、また興味深い本(の書評)がありましたのでその要約を以下に。
この本なんですが、アメリカでは相当話題になってますね。ウォルツ的にいえば完全に「セカンド・イメージ」(国家/組織)による原因の説明でして、まあリベラル派の説明によるスタンダードなものです。
面白いのはその説明に豊富な歴史の例を使っていることと、政治と経済のつながりをかなり密接に分析しているところでしょうか。
この調子だと、おそらく日本でも近いうちに翻訳されて発売されそうです。
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なぜ国家は失敗する?
Byトーマス・フリードマン
●今読んでいる本がとても面白い。『なぜ国家は失敗するのか』という本だ。
●これを読めば読むほどアメリカがアフガニスタンでいかにアホなことをしているか、そしてアメリカはいかに対外援助戦略を抜本的に見直さなければならないかがよくわかる。
●ところが本書で示されている警告の中で最も重要なものは、アメリカと中国に関するものだろう。
●MITの経済学者であるデロン・アセモグルとハーヴァード大学の政治学者のジェームス・ロビンソンの共著となるこの本は、国家の違いを生み出すのが「制度」であると主張している。
●この本によれば、国家が発展するときにはその政治・経済制度が「包括的」(inclusive)であり、没落する時は「収奪的」(extractive)になるという。
●そして「収奪的」になると、その国家の権力やチャンスはたった少数の人間の手に握られてしまう、というのだ。
●著者たちによれば「少数の人々が多数の人々から富を奪うような“収奪的”な経済制度に比べて、“包括的”な経済制度は所有権を強化し、平等なチャンスを生み出し、経済発展につながる新しいテクノロジーやスキルを生み出す投資を促進する」という。
●「“包括的”な経済制度は“包括的”な政治制度を支え、支えられる」のであり、それが「権力を広く適度に分配して、所有権を守るための基盤となる法と秩序を確立し、“包括的”な市場経済を達成することができる」という。
●それとは対照的に、“収奪的”な政治制度はあまりにも少数の人間に権力を集めてしまい、それが“収奪的”な経済制度を継続させてしまうのだ。
●著者の一人であるアセモグル氏は、あるインタビューの中で、国家が発展している時というのはその国の制度が国民一人一人の潜在力を解き放ってイノヴェーションや投資、開発に向かうようにしているという。
●たしかに東欧諸国と元ソ連のグルジア/ウズベキスタン、イスラエルとアラブ諸国、クルギスタンとそれ以外のイラクなどの違いを生んでいるのはすべて「制度」なのだ。
●著者たちによれば、歴史が教えている教訓は「正しい政治体制がなければ、良い経済は生まれない」ということだ。彼らが「政治のコントロール」と「経済発展」を同時に実現しようとしている中国に悲観的な理由はここにある。
●アセモグルは「われわれの分析によれば、中国は“収奪的”な制度、つまり共産党政府の独裁的な権力の下で人民や資源を大量に動員するというな強引な手段で経済発展をしているが、これは長く続かない。なぜならそこには(革新と高収入に必要な)破壊的創造が生まれないからだ」と述べている。
●「継続的な経済発展にはイノベーションが必要であり、イノベーションは創造的破壊と切り離すことはできない。この破壊は旧制度を新しい経済システムにするために必要であり、しかもそれは既存の権力構造を破壊するものだ」と著者たちは書いている。
●「中国が創造的破壊によって経済体制を変えることができなければ、その発展は長続きしないはずだ」とアセモグルは主張。
●ところが中国の大学の落第生が中国の国家が運営する銀行に支えられている国営企業に対抗できるような巨大な会社を作ることができるだろうか?
●アセモグルによれば、アラブ諸国やアフガニスタンに足りなかったのは民主制度であるという9/11事件後の見方は間違ってはいないという。ところが間違っていたのは、それを簡単に輸出してそこに根付かせることができるはずだ、というわれわれの考えのほうであった。
●民主的な変化というのは、どうしても草の根的な下からの運動からわき上がってこなければならないものだからだ。
●「もちろんだからといってわれわれが何もできないというわけではない」と彼は言う。
●たとえばエジプトのような国に軍事的な支援をするのではなく、その代わりに政治的に発言力を得ることができればよくなるようなところに支援をするべきだというのだ。
●私に言わせれば、エジプト、パキスタン、そしてアフガニスタンのような国にたいするわれわれの対外支援というのは、それらの国々のエリートたちに悪い行動をしないようにお願いする身代金のようなものであろう。ところがわれわれはその身代金を「エサ」にしなければならないのだ。
●アセモグルが提案しているのは、エジプトへの13億ドルにおよぶ軍事支援は一部のエリートに恩恵を与えるだけなので、それ以外の社会層の人々にも発言権をもたせるような委員会を設立し、どの機関ーー学校や病院ーーに対外支援を行って欲しいのかを発言させる、ということだ。
●つまり金を与えるのだったら、その国の草の根運動を強化するようなものにすべきだというのだ。
●支援を与える側というのは、支援することしかできないのであり、「包括的」な制度を確立しようという草の根運動があれば、それを支援すればよいのだ。
●ところがわれわれ自身がその「包括的」な制度をつくることはできないのだ。
●しかもアフガニスタンや多くのアラブ諸国では、われわれは既存の権力を支援してきたことにより、逆に彼らの草の根運動をつぶしてきたようなところがあるのだ。だからそこから何も生まれない。
●ならぜなら、数字のゼロを何倍しても、それは相変わらずゼロだからだ。
●ではアメリカの場合はどうだろう。アセモグルは現在の経済格差がアメリカの「包括的」な制度を崩壊させる方向に動いていることを危惧している。
●「問題の核心は、格差がある程度の規模になると、それが政治の状況に反映されてくることだ」
●たしかにたった一人の人物がある候補者の選挙運動の資金を一人で引き受けることができるようになってしまえば、そこから選ばれた議員が「包括的」に他の声を聞くようになるとは思えない。
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一言で言えば、国内の制度の仕組みが「包括的」か「収奪的」かで違ってくる、という分析です。
皮肉な見方をすれば「民主制万歳!」ということになるかもしれませんが、これは逆に社会の「秩序」と「自由」の間の緊張関係という昔からの議論を再び呼び起こしそうでもありますな。
by masa_the_man
| 2012-04-13 16:24
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