2012年 04月 08日
理性は感情の奴隷である。 |
今日の横浜北部は快晴でした。しかし気温はやや低めですね。
さて、一昨日に引き続き面白そうな本の紹介を。
人間の「理性」についての説明です。これは面白そう。
=====

なぜみんな仲良くなれないのか?
The Righteous Mind:Why people are Divide by Politics and Religion
by Jonathan Haidt
●あなたがリベラル派だとしよう。
●あなたは知性が高く情報をよく知っており、保守派のことを心の狭い人だと考えている。そしてあなたはなぜアメリカの労働者階級が共和党に投票するのか理解できないのであり、おそらく彼らは騙されているのだと考える。
●ところがあなたは間違っている!
●この警告はヴァージニア大学の社会心理学者である著者によって発せられたものだ。彼自身は2009年まで、自分のことを「ややリベラルな人間だ」と考えていたという。
●本書で著者は、リベラル派の考え方を豊かにすることを狙うと同時に、人間の本質というものをより深く理解することを狙っている。
●彼が本書で展開しているのは、「人間は根本的に直観的な生き物であり、決して“理性的”ではない」ということだ。
●つまり本書の結論は、「誰かを説得したいと思うのなら、彼らの感情に訴えかけないといけない」ということだ。
●ところが彼は政治的な勝利よりももっと深い知恵を求めている。そしてその知恵とは、「政治というのは意見の違う他人を操作することではなく、その他人から学ぶことにある」ということだ。
●著者は民族学、進化理論、実験心理学などを使って、近代における「理性」への信頼を完全に否定している。
●たとえばスコットランドの哲学者デヴィッド・ヒュームは「理性は情熱の奴隷である」と悪名高い言葉を残しているが、これは著者によればほぼ正しいことになるのだ。
●環境学者でファシストと言われたE.O.ウィルソンや、プラトンの『国家』の中の皮肉屋として登場する人物であるグラウコンでさえ、理性よりも生物学的や感情的な面を強調したという意味で「正しかった」のだ。
●よく政治で人々が思い浮かべる質問は、「なぜ反対側のやつらは理性的に考えられないのだろう?」というものだ。
●ところが著者によれば、それは「われわれが自身が理性を聞くようにはできていないから」なのだ。
●たとえばある価値判断を迫られるような質問をした時の脳の様子についてスキャンした状態で見てみると、人間というのはまず結論を先に導き出し、それを正当化する理由をあとで考え出すということが判明している。
●たとえば著者は極めて奇妙な質問(「飼い犬が死んだら食べてもいい?」など)を被験者にしており、もちろん彼らの答えは「ダメ」なのだが、彼らはその理由を答えられないのだ。
●ここで問題なのは、人々が理性を使わないということではない。実際彼らは理性を使うのだが、それはすでに自分たちが出した結論(敵対者側の結論ではない!)を支えるために使われるものなのだ。
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続きはまたあとで。
さて、一昨日に引き続き面白そうな本の紹介を。
人間の「理性」についての説明です。これは面白そう。
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なぜみんな仲良くなれないのか?
The Righteous Mind:Why people are Divide by Politics and Religion
by Jonathan Haidt
●あなたがリベラル派だとしよう。
●あなたは知性が高く情報をよく知っており、保守派のことを心の狭い人だと考えている。そしてあなたはなぜアメリカの労働者階級が共和党に投票するのか理解できないのであり、おそらく彼らは騙されているのだと考える。
●ところがあなたは間違っている!
●この警告はヴァージニア大学の社会心理学者である著者によって発せられたものだ。彼自身は2009年まで、自分のことを「ややリベラルな人間だ」と考えていたという。
●本書で著者は、リベラル派の考え方を豊かにすることを狙うと同時に、人間の本質というものをより深く理解することを狙っている。
●彼が本書で展開しているのは、「人間は根本的に直観的な生き物であり、決して“理性的”ではない」ということだ。
●つまり本書の結論は、「誰かを説得したいと思うのなら、彼らの感情に訴えかけないといけない」ということだ。
●ところが彼は政治的な勝利よりももっと深い知恵を求めている。そしてその知恵とは、「政治というのは意見の違う他人を操作することではなく、その他人から学ぶことにある」ということだ。
●著者は民族学、進化理論、実験心理学などを使って、近代における「理性」への信頼を完全に否定している。
●たとえばスコットランドの哲学者デヴィッド・ヒュームは「理性は情熱の奴隷である」と悪名高い言葉を残しているが、これは著者によればほぼ正しいことになるのだ。
●環境学者でファシストと言われたE.O.ウィルソンや、プラトンの『国家』の中の皮肉屋として登場する人物であるグラウコンでさえ、理性よりも生物学的や感情的な面を強調したという意味で「正しかった」のだ。
●よく政治で人々が思い浮かべる質問は、「なぜ反対側のやつらは理性的に考えられないのだろう?」というものだ。
●ところが著者によれば、それは「われわれが自身が理性を聞くようにはできていないから」なのだ。
●たとえばある価値判断を迫られるような質問をした時の脳の様子についてスキャンした状態で見てみると、人間というのはまず結論を先に導き出し、それを正当化する理由をあとで考え出すということが判明している。
●たとえば著者は極めて奇妙な質問(「飼い犬が死んだら食べてもいい?」など)を被験者にしており、もちろん彼らの答えは「ダメ」なのだが、彼らはその理由を答えられないのだ。
●ここで問題なのは、人々が理性を使わないということではない。実際彼らは理性を使うのだが、それはすでに自分たちが出した結論(敵対者側の結論ではない!)を支えるために使われるものなのだ。
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続きはまたあとで。
by masa_the_man
| 2012-04-08 23:49
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