2012年 01月 31日
無人機と民主制度 |
今日の横浜北部はまたまたよく晴れました。気温は相変わらず真冬ですが、昼間はなんとなくしのげる感じが。
さて、久しぶりに記事の要約を。私が関心を持っているテクノロジーと戦争の変化についての興味深い記事を。
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民主制度に攻撃する無人機
by ピーター・シンガー
●民主制国家では、歴史的に戦争と国民の間に深い絆があった。
●ところがアメリカの最近のテクノロジーの変化のおかげで、この絆に大々的な変化が起こっている。
●10年前にはロボットが戦争を戦うというのはハリウッド映画に出てくる単なるファンタジーだったが、いまはそれが現実になっている。
●現在の米軍は、無人機を7000機もっており、地上には12000機の軍事ロボットが活躍している。
●去年の2011年には、このようなロボットが6カ国で攻撃を行っているのだ。
●われわれはもう宣戦布告をしていない。最後に議会がこれを行ったのは一九四二年で、このときはブルガリア、ハンガリー、ルーマニアに対するもの。
●現在アメリカで従軍しているのは人口のたった0・5%だ。
●ロボットというテクノロジーのおかげで、われわれは戦争を行う際の最後の政治的障害を取り除いてしまったのだ。なぜなら自分たちの息子や娘を戦場に送らなくてもよくなったからだ。
●そうなると、戦争と平和という問題が、少なくともこのようなテクノロジーをもっているアメリカには深刻な問題とはならなくなるのだ。
●つまり戦争は、以前は国民にとって命をかける「リスクのあるもの」であったが、今はそうではなくなったのである。
●しかも現在の無人機はまだ発展をはじめたばかりである。初期のものはGPSもついていなかったほどだが、最近のものは自動で離着陸をするし、1600メートル下の地表の変化を感知して足跡を追跡できるような高感度センサーまでついている。
●しかも空軍は現在、有人の飛行機(戦闘機と爆撃機)のパイロットの訓練よりも、無人機のパイロットの訓練のほうを遥かに多く増やしている。
●パキスタンでは2004年から300回以上にわたって無人機から空爆しているのだが、この作戦はアメリカの議会でほとんど議論された形跡はない。
●これは米軍ではなく、CIAによって行われているという部分もあるのかもしれない。軍ではなく、民間人が戦争をやっていると、政治家の見方も変わってくる。
●先日パキスタンで大統領が海軍の特殊部隊を40分間の作戦にゴーサインを与えて「大変な決断だった」という評判だが、同時期に同じ国で行われていた300回の攻撃は政治的には何も問題になっていない。
●私はこのような作戦には賛成しているが、それでもこの新しいテクノロジーが民主制国家にとっての最も重い「戦争」という決断を経ずに行われている事実には心配している。
●去年のリビアの事件はさらに問題。この時は米軍が直接介入したわけではないから議会に許可を得ていないし、国民からも支持はほとんどなかった。
●ところがアメリカは地上軍を派兵していなかったため、戦闘行為開始から48時間以内に議会に報告し、60日以内に議会の許可を得るというベトナム時代に制定された「戦争期限法」(the War Power Resolution)には違反しないとホワイトハウスが説明。
●ところがアメリカは以前は「戦争」と呼ばれていた破壊行為にリビアで関係したことは明白。
●去年の4月23日からはじまった無人機による攻撃で、少なくとも146回攻撃を行っているのだ。戦闘期間は戦争期限法の60日をはるかに上回っている。
●また、無人機はNATOの有人飛行機のためにターゲットの狙いをつける作業にも従事していた。
●6月21日には米海軍の無人ヘリ(ファイアースカウト)が親カダフィ派の攻撃によって墜落しているのだが、これは米軍側には人的被害が出なかったためにニュースにもならなかったほど。
●もちろん議会は戦争に関する決断をスルーされたわけではなく、同じ時期にアフリカのウガンダの軍の訓練のために米軍を派遣する際にはオバマ大統領は議会に報告している。議会はこの行為を賞賛。
●ところが同じ時期に無人機で戦闘行為を行っているリビアのほうには無関心。
●これはつまりテクノロジーが人間を戦場から引き離してしまったということだ。
●そして新しい現実は、「大統領は人的被害が出そうな作戦の場合にのみ議会の承認が必要だ」ということ。
●政治的な議論もなしで戦争を行うというのはいままでになかったことだ。しかしこれが将来どのように変化するのかについてはまだよくわからない。
●無人機による作戦というのは「コストなし」というわけではない。
●たとえば去年ニューヨークのタイムズ・スクエアを爆破しようとしたパキスタン人ファイサル・シャザド容疑者は、パキスタンのプレデターの攻撃のおかげでテロ組織に入ったという。
●しかも現在無人機を獲得しつつある国は50カ国以上になっており、それには中国、ロシア、パキスタン、そしてイランも含まれている。
●アメリカの「建国の父」たちは、国が戦争を行うためには政治的なプロセスに深く関与するような体制をつくった。ところが最近の議会は戦争の許可についてはほとんど何もできていない。
●去年私は米国防省の高官たちが集まった会合で、最近の増加しつつある戦争におけるロボット使用について厳しい議論をする様子を聞いていたが、ある参加者が、「このような(民主制度と戦争の許可の)問題について一体誰が考えているんですか?」と質問している。
●「建国の父」たちは無人機による戦争については想像できなかったはずだが、それでも彼らは一つの答えを出している。
●それは、「戦争は行政府だけで実行できるものではない」ということだ。民主制国家では、これはわれわれ全員の問題なのだ。
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クラウゼヴィッツは戦争の本質である「奇妙な三位一体」として、政府(理性)、軍隊(チャンス)、国民(情熱)という三つの要素を挙げておりますが、このうちの国民という要素が(無人機を使う)アメリカ側からどんどん乖離していっている、ということがこの記事のテーマでしょう。
私が一番気になったのは、「コストが低いから戦争しやすくなる」という勘違いで、知らないところでアメリカは恨みを買うわけですから、実は「コストなし」ではないというところかと。
アメリカに限らず、西洋諸国をはじめとする先進諸国ではリベラリズムによる「痛みを少なくする」という思想や傾向が多く見られるようになっておりますが、この無人機による戦闘行為は、まさに(自国側の)人的被害を少なくするという意味で非常に興味深いものかと。
さて、久しぶりに記事の要約を。私が関心を持っているテクノロジーと戦争の変化についての興味深い記事を。
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民主制度に攻撃する無人機
by ピーター・シンガー
●民主制国家では、歴史的に戦争と国民の間に深い絆があった。
●ところがアメリカの最近のテクノロジーの変化のおかげで、この絆に大々的な変化が起こっている。
●10年前にはロボットが戦争を戦うというのはハリウッド映画に出てくる単なるファンタジーだったが、いまはそれが現実になっている。
●現在の米軍は、無人機を7000機もっており、地上には12000機の軍事ロボットが活躍している。
●去年の2011年には、このようなロボットが6カ国で攻撃を行っているのだ。
●われわれはもう宣戦布告をしていない。最後に議会がこれを行ったのは一九四二年で、このときはブルガリア、ハンガリー、ルーマニアに対するもの。
●現在アメリカで従軍しているのは人口のたった0・5%だ。
●ロボットというテクノロジーのおかげで、われわれは戦争を行う際の最後の政治的障害を取り除いてしまったのだ。なぜなら自分たちの息子や娘を戦場に送らなくてもよくなったからだ。
●そうなると、戦争と平和という問題が、少なくともこのようなテクノロジーをもっているアメリカには深刻な問題とはならなくなるのだ。
●つまり戦争は、以前は国民にとって命をかける「リスクのあるもの」であったが、今はそうではなくなったのである。
●しかも現在の無人機はまだ発展をはじめたばかりである。初期のものはGPSもついていなかったほどだが、最近のものは自動で離着陸をするし、1600メートル下の地表の変化を感知して足跡を追跡できるような高感度センサーまでついている。
●しかも空軍は現在、有人の飛行機(戦闘機と爆撃機)のパイロットの訓練よりも、無人機のパイロットの訓練のほうを遥かに多く増やしている。
●パキスタンでは2004年から300回以上にわたって無人機から空爆しているのだが、この作戦はアメリカの議会でほとんど議論された形跡はない。
●これは米軍ではなく、CIAによって行われているという部分もあるのかもしれない。軍ではなく、民間人が戦争をやっていると、政治家の見方も変わってくる。
●先日パキスタンで大統領が海軍の特殊部隊を40分間の作戦にゴーサインを与えて「大変な決断だった」という評判だが、同時期に同じ国で行われていた300回の攻撃は政治的には何も問題になっていない。
●私はこのような作戦には賛成しているが、それでもこの新しいテクノロジーが民主制国家にとっての最も重い「戦争」という決断を経ずに行われている事実には心配している。
●去年のリビアの事件はさらに問題。この時は米軍が直接介入したわけではないから議会に許可を得ていないし、国民からも支持はほとんどなかった。
●ところがアメリカは地上軍を派兵していなかったため、戦闘行為開始から48時間以内に議会に報告し、60日以内に議会の許可を得るというベトナム時代に制定された「戦争期限法」(the War Power Resolution)には違反しないとホワイトハウスが説明。
●ところがアメリカは以前は「戦争」と呼ばれていた破壊行為にリビアで関係したことは明白。
●去年の4月23日からはじまった無人機による攻撃で、少なくとも146回攻撃を行っているのだ。戦闘期間は戦争期限法の60日をはるかに上回っている。
●また、無人機はNATOの有人飛行機のためにターゲットの狙いをつける作業にも従事していた。
●6月21日には米海軍の無人ヘリ(ファイアースカウト)が親カダフィ派の攻撃によって墜落しているのだが、これは米軍側には人的被害が出なかったためにニュースにもならなかったほど。
●もちろん議会は戦争に関する決断をスルーされたわけではなく、同じ時期にアフリカのウガンダの軍の訓練のために米軍を派遣する際にはオバマ大統領は議会に報告している。議会はこの行為を賞賛。
●ところが同じ時期に無人機で戦闘行為を行っているリビアのほうには無関心。
●これはつまりテクノロジーが人間を戦場から引き離してしまったということだ。
●そして新しい現実は、「大統領は人的被害が出そうな作戦の場合にのみ議会の承認が必要だ」ということ。
●政治的な議論もなしで戦争を行うというのはいままでになかったことだ。しかしこれが将来どのように変化するのかについてはまだよくわからない。
●無人機による作戦というのは「コストなし」というわけではない。
●たとえば去年ニューヨークのタイムズ・スクエアを爆破しようとしたパキスタン人ファイサル・シャザド容疑者は、パキスタンのプレデターの攻撃のおかげでテロ組織に入ったという。
●しかも現在無人機を獲得しつつある国は50カ国以上になっており、それには中国、ロシア、パキスタン、そしてイランも含まれている。
●アメリカの「建国の父」たちは、国が戦争を行うためには政治的なプロセスに深く関与するような体制をつくった。ところが最近の議会は戦争の許可についてはほとんど何もできていない。
●去年私は米国防省の高官たちが集まった会合で、最近の増加しつつある戦争におけるロボット使用について厳しい議論をする様子を聞いていたが、ある参加者が、「このような(民主制度と戦争の許可の)問題について一体誰が考えているんですか?」と質問している。
●「建国の父」たちは無人機による戦争については想像できなかったはずだが、それでも彼らは一つの答えを出している。
●それは、「戦争は行政府だけで実行できるものではない」ということだ。民主制国家では、これはわれわれ全員の問題なのだ。
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クラウゼヴィッツは戦争の本質である「奇妙な三位一体」として、政府(理性)、軍隊(チャンス)、国民(情熱)という三つの要素を挙げておりますが、このうちの国民という要素が(無人機を使う)アメリカ側からどんどん乖離していっている、ということがこの記事のテーマでしょう。
私が一番気になったのは、「コストが低いから戦争しやすくなる」という勘違いで、知らないところでアメリカは恨みを買うわけですから、実は「コストなし」ではないというところかと。
アメリカに限らず、西洋諸国をはじめとする先進諸国ではリベラリズムによる「痛みを少なくする」という思想や傾向が多く見られるようになっておりますが、この無人機による戦闘行為は、まさに(自国側の)人的被害を少なくするという意味で非常に興味深いものかと。
by masa_the_man
| 2012-01-31 21:45
| 日記