砲艦外交の復活 |
ここ数日はとくに外に出かける用事もなく、たまっていた仕事を片付けております。
さて、そのような中で去年から載せようとしていた記事の要約をまた一つ。タイトルは内容が一発でわかる、「砲艦外交の復活」というもの。
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「砲艦外交の復活」
by クリスチャン・レミエール
●2011年7月9日に南シナ海で行われた、米豪日三か国の海軍による演習は、参加したのがたった三隻の軍艦であったにもかかわらず、極めて重要な意味をもっていた。
●それは東南アジア周辺の海に接した国々が近年に入ってから、強要や抑止のために海軍を積極的に使う姿勢を見せ始めたことを意味していたからだ。
●最近の中国海軍(PLAN)の演習がかなり日常的で大規模になってきたことも目立つが、これは彼らが新しい兵器のテストや訓練のためだけでなく、「自分たちの海域」への侵攻を防ぐための、抑止的な効果を狙ったものであるとみられている。
●前述の三か国の演習は、中国海軍が南シナ海で行った対潜水艦演習の一ヶ月後に行われたものだ。ちなみにこの時の中国側の想定は、最近の東南アジア諸国で相次いで購入されている潜水艦。
●2010年にアメリカは北朝鮮の脅威に対抗する意味で空母ジョージ・ワシントンを日本海と黄海に派遣しているが、その後に「天安」沈没事件が起こっている。
●このような動きは19世紀の列強が使い続けている「砲艦外交」の延長である。
帝国の時代
●「砲艦外交」の代表的なものとしては、ドン・パシフィコ事件、パークナム事件、第一次アヘン戦争、ペリーの浦賀入港、第二次モロッコ事件などがある。
●ところが「砲艦外交」で外交的に負けた側も、列強側のやり方をまねて使うようになった。江華島事件による日本がその良い例だ。
●これらは遠い昔のことのように思えるが、アジアの海ではこれが消滅したわけではなく、植民地時代が過ぎ去ったあとでも使われている。その典型が、1968年のプエブロ号事件であり、1996年の台湾海峡危機である。
●ところがこれらを「砲艦外交」としてひとくくりにしてしまってもいいのだろうか?
●この定義だが、実はけっこう難しい。参考までこの分野の第一人者であるジェームス・ケーブルのによれば「砲艦外交」には四つの種類があり、
①特定的なもの(特定の目的を持つもの)
②目標的なもの(相手国の政策に狙いを定めたもの)
③表現的なもの(ある政治的なメッセージを海軍を使うことによって表すもの)
④最小限の軍事力の使用
ということになる。もちろんその境界線はけっこう曖昧だし、広すぎるという指摘もある。
●ではどう定義すればいいのだろうか。単純なのは「対外政策の目標を、軍事的なツールを使って獲得しようとするもの」であろう。ただし演習のようなものは「海軍外交」に区別される。
●よって、「砲艦外交」は「強制か抑止による脅しを通じての目標達成を狙うもの」と言えるだろう。
●したがって、この際には当事者となる二国間で海軍力に差がなければならないことになる。強い海軍力をもっているほうは、弱い海軍力しかない方を脅せる、ということだ。
●「海軍外交」と「砲艦外交」の差は実は微妙だ。2011年の6月末から7月はじめにかけてアメリカがフィリピンと行った年次演習は、中国側にひどく敵対的な「砲艦外交」であると捉えられたのだが、実は毎年やっていた「海軍外交」だった。
●よって、定義としては「軍艦をつかった力を誇示する外交交渉」というものだろう。
復活
●東アジアから砲艦外交は一度も消滅したわけではないのだが、近年はそれに緊張感がともなってきたために注目されている。
●最も典型的なのは2011年7月に日本海で行われた、空母ジョージ・ワシントンが参加した「無敵の精神」演習であろう。これは同年3月の「天安沈没事件」にたいする反応として行われたもの。
●アメリカだけでなく、中国も演習を大々的に行うようになっている。2011年7月だけで中国は六回も海軍演習を行っており、北京政府はこれにたいして「南シナ海の紛争とは関係ない」というコメントを発表せざるを得なくなった。
●その前の年の2010年7月末には、北京は南シナ海で潜水艦まで投入した最大規模の演習を行っている。この演習はクリントン国務長官が「アジアの海の航行の自由を守る」というコメントの一週間後に行われた。
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時間がないので、続きはまた今夜。