戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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博多駅のある人物のコメントから

今日の甲州は雲は多めでしたがなんとか晴れました。それにしても朝夕は落ち着いた秋を感じますね。

さて、久しぶりの書き込みですが、すでに裏のほうでは述べたことをまとめてここで。

実は先週末に九州まで出張しまして、博多の周辺で講演をして参りました。そこでのエピソードを一つ。

というのは、問題なのは講演そのものではなくて、むしろ講演の前に博多駅で見かけたある風景でした。

私にとって博多駅というのは高校生の修学旅行以来だったのですが、いやはや思ったよりも大都会で驚きました。

そして講演会場に向かうために博多駅の新幹線口から降りてきた時のこと、ここである中年のオタクっぽいお兄さんに遭遇。

彼もどうやら博多は初めてだったらしく、周囲にギリギリ聞こえるような声で、

「うあー、人が多くて混雑しててムカつくねー、ここは」

と発言したのです(もしかすると、私に聞こえるように言っていた??)

これを聞いて、私はたしかに博多駅の人の多さに同意すると同時に、彼の嫌味な言い方に一つ気づいたことがあったのです。

それは、私が戦略学というものを勉強し始めてから常々気になっていた、

「分析される対象」と「分析する人」

という微妙な二者の関係。

どういうことかというと、このオタクの兄さんは「混雑していた博多駅」という分析対象に対して「ムカつく」という判断を下したわけですが、最大の問題は、この「博多駅の混雑」という現象に、この「ムカつく」という判断を下した本人も参加している、という点。

これを別のいじわるな言い方でいえば、

あんたがいるから博多駅が混んでいるだよ!

というツッコミもできるかと(笑

いや、私がここで本当に重要だなぁと思ったのは、一般の人だけではなく、評論家や研究者というのは、往々にしてこのオタクの兄さんのように、

「分析される対象」(博多駅)と「分析する人」(自分)

ということを、全く別物としてわけて考えることが多い、ということです。

ところが問題なのは、このように分析・評価していることで、その分析者だって分析される対象(の持つ現象(混雑した博多駅)に含まれてしまうことを忘れてしまう、ということです。

これって特に政治評論から政策提言を行おうとする人間にとっては致命的な問題でありまして、まさに「ミイラ取りがミイラ」になりかねない危険なことなのです。

なぜなら、どのようなことでも、人間は意見や見解などを表明した瞬間に、「完全な中立」で「客観的」であるようなことはありえないからです。

ところが人間というのはどうやら「客観的で完全に中立」という立場があると勘違いしてしまいがちで、とくに日本人の中にはこのような「自分は本当に客観的に見ている!」と思い込んでしまっているように見受けられるコメントをする人がけっこういるような。

つまり、この博多駅のオタクのお兄さんみたいに「混んでいる」という現象と、「その混雑の一因となっている自分」が頭の中でつながっていない、ということですね。

ふとした瞬間に聞いたことから色々と考えてしまいますが、この問題は個人的にこれからもけっこう考えなければならないのかと感じた次第なので、ここでちょっと簡単にメモ代わりに書いておきました。

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(千秋公園の蓮の花)
Commented at 2011-08-30 23:09 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ヒラモト at 2011-08-31 00:37 x
これは・・・相場の世界でポジショントークと言われるものでしょうか。
私は株に投資しながら、掲示板などで意見を述べることがよくありましたが、
常に自分の発言(書き込み)がポジショントークである可能性を考えていました。
その銘柄について、売ってるor買ってるor売っても買ってもいない状態(=ポジション)を元に自分が発言しているのではないかと。
発言内容がいかに客観的な事実であったにしても、その題材を選んで、さらに実際に発言するには、自分で意識するしないに関わらず、なんらかの効果を期待する心理が働いていると思うわけです。
また、株を売買していると、掲示板などで発言しなくとも、市場でポジションを持つということは、ごくわずかでも自分の売買が市場価格に影響することを意識させられるということもあります。
Commented by ヒラモト at 2011-08-31 00:51 x
(追記)もちろん、他人の発言についてもポジショントークの可能性を考慮します。
Commented by elmoiy at 2011-08-31 08:13 x
スイーツ(笑)を嘲笑う人間は世の中に数多くいますが、そういう人が勤めている企業も、「流行に流される人間たち」のおかげで利益を得ていたりするわけで(笑)
資本主義を批判しながら自らも資本主義社会が生み出したものを消費する、西欧文明を批判しながら自らも西欧文明が生み出したものを使用している、発展途上国の人間を批判しながら先進国の人間の豊かな生活が途上国の人間の搾取の上に成り立っていることに気づかない、
などというのもこの範疇に入りそうです。
(国際)社会について分析している人間も、実は(国際)社会の一部に組み込まれている。
Commented by 筋肉は at 2011-08-31 09:37 x
おかしいな 博多駅に行った憶えは無いのにどうして目撃されているんだろう??

あれですね 使えない部下を嘆いたりわかっていない上司を嘆いたり
稼ぎの悪い旦那を嘆いたり そんな話ですね。

もし、部下が使える人だったら そもそももっと大きな優良会社に就職してあなたの部下にならないし わかっている切れ者の上司だったら
上司の能力に相応しい部下を探してきてあなたの居場所がなくなるし
稼ぎの良い旦那だったら もっと美人で優しい嫁を見付けてあなたとは結婚しなかったでしょう とか

悪い所に文句をつけるよりも 良い所を探して褒めましょう。

大体、週末の博多駅が閑散としていたら
日本経済が本気でヤバイ証拠ですしね
Commented by まる at 2011-08-31 21:13 x
elmoiyさんの書いていることは、奥山さんの例とちょっと違うと思うんですが・・・
Commented by umi at 2011-09-01 00:22 x
日本人による日本人の分析・批判なんて、これの最たるものですよね。
Commented by 大阪人K at 2011-09-01 19:02 x
マルクスもそういうところがありますよね。
資本家VS労働者という構図を作ったのいいのですけど、インテリVS非インテリ(≒労働者)の構図というのもあり、彼自身がインテリ側にいるんです。
彼がそれに気付いていたのか、気付いても都合が悪いためか知らないフリをしているのかは定かではありませんが、左ぽい人たちの無責任体質はそこに起因しているのかもしれません。

尤も右は右で自国は外国の陰謀に翻弄されていると思い込んでいる。実際は日本自身がとんでもない国力を有していて、ぼーーとしていても影響力があることに気付いていないという点では、左と同じでしょう。

ps
こんなことを書くから、私は右と左それぞれから嫌われるですかね。
Commented by 寝太郎 at 2011-09-03 04:09 x
諧謔という言葉もあるように、昔から日本人には「敢て上から目線で自らの愚かさ、至らなさを笑い飛ばす」人生の楽しみ方が普及してますね。同じ事象を評する場合でも、立場も世界観も違えば自ずと結果は異なるでしょう。
苦しい場合に限らず、楽しく嬉しい場合にも、日本人にはこのストッパーが働くようですね。しかも、この感覚は学歴に関係なく普及してます。
Commented by 中山太郎 at 2011-09-09 10:30 x
自身がインテリ側であることをぼかして、マルクスは、インテリ対非インテリの構図で、非インテリ側の発言をする。今の日本の「左ぽい人たち」の無責任体質の起因。これは、今の日本の現状を分析する上で、うまい考え方だ。「 」内を、テレビ、新聞、雑誌の、一部評論家の方々などと、色々変えていくと見えてくるものがある。右も左も同じです。こうした一群の人たちを「犬の遠吠えグループ」と名づけてもいいかもしれません。
Commented by ヴィトン スーパーコピー 財布 at 2014-04-05 20:50 x
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by masa_the_man | 2011-08-30 22:59 | 日記 | Comments(11)