ノルウェーのテロ事件から「多文化主義の失敗」を再録 |
ぜひじっくりとお読み下さい。
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多文化主義はどのように失敗したのか
by ケナン・マリク
●今年の7月7日でロンドンでの52人が死んだ連続テロ事件から六年がすぎた。
●アメリカの9・11事件とロンドンでの7・7事件は基本的に同じインパクトを両国の国民に与えたが、ひとつだけ違うのは、7・7事件のほうがイギリスの市民権を持つ人間たちによる犯行だったということだ。
●イギリス当局側は、この「自国民の犯行」に頭を悩ませており、その原因として、以前は過激なイスラム僧侶やモスクの影響を指摘していたが、最近は政府の多文化主義政策の失敗を指摘する分析が多くなっている。
●ヨーロッパでは多文化主義の問題に関して政府要人からも批判的な声が上がり始めており、スウェーデンやオランダでも反移民政策を訴える政党が議席を伸ばしている。
●英首相のキャメロンや独首相のメルケルが、この政策の失敗についてスピーチで言及したことは記憶に新しい。
●しかしこの問題の本質は「多文化主義」ではなく、「移民」(とくにイスラム教徒)にある。オランダとスウェーデンの極右党の議席拡大はこれが原因だとされている。
●この問題の難しさは、あまり公共の場で議論されない二つの点にある。
●一つは、「多文化主義」というのが大量の移民によって構成された「社会」のことを示していることであり、もう一つがこのような多様性を管理する政府の「政策」のことを示しているからだ。
●この二つの意味を区別できないと、政府の政策の失敗そのものを、マイノリティーたちの責任に押し付けてしまうことになってしまう。
●実際のところ、大量の移民は西ヨーロッパ諸国にとってはありがたいものであり、これによって経済は恩恵を受け、ダイナミックかつコスモポリタンな社会の形成に役立ってきた。
●ところがこれを管理する政策は大失敗だった。この失敗をよくあらわしているのが、イギリスとドイツの例である。
●まずイギリスだが、30年前のインド系移民などに対する差別はひどかった。色々と暴力沙汰やデモなどが起こったために、この反動として70年代から政府が本腰を入れて政策を打ち出しはじめた。
●たとえばイギリス政府がとったのは、人種ごと(イスラム教徒、シーク教徒、ヒンズー教徒、アフリカ系、カリブ系など)に枠組みを決めて、このグループごとに権力や資金を分け与えるという政策である。
●この政策では、マイノリティーたちの個人ごとではなく、そのコミュニティのリーダーたち発言力を与えることになったのだが、問題はそのようなリーダーたちが、各コミュニティの中で最も保守的な考えをもつ人々であったという点だ。
●しかもこのリーダーたちは、そのコミュニティーたちからはほとんど支持されない意見を持っている場合が多い。しかしイギリス政府の高官たちは、面倒だからと言って、無責任なことにこのような「リーダーたち」を公式な立場にある人間として扱い続けた。
●首相たちはイスラム教徒一人ひとりを「イギリス国民」として扱うのではなく、そのリーダーたちにとの対話を優先したために、この保守的なリーダーたちが権力を握ってしまったのだ。
●こうなると、たとえばイスラム教徒の中での進歩的な動きも見逃されることになり、彼らの発言力はコミュニティーの中でもかなり少なくなってきてしまった。
●この結果、移民の二世たちは進歩的な動きや伝統的な穏健派からも離れることになり、その中のかなりの数が「過激派」の思想にアイデンティティを見つけることになった。
●ドイツでも、これと似たような動きがあった。
●戦後に入ってからのトルコからの移民は、元々は国民としてではなく、単なる短期労働力として受け入れられた経緯がある。そしてドイツ政府は、トルコ人は働いたらすぐに帰国するものだと想定していたのだ。
●ところが彼らは単なる「一時的な労働力」から「恒久的に必要な労働力」になってしまった。特に彼らの子供たちは、ドイツのほうを祖国だと見なすようになったことが大きい。
●ところがドイツ政府側は彼らをアウトサイダーとみなしつづけており、国籍(市民権)を与えるのを拒み続けた。
●ドイツの国籍(市民権)というのはやや特殊であり、住むところよりも「血」がベースとなっていて、ドイツ人の両親から生まれた子供にだけ与えられるのだ。
●結果として、ドイツ国内のトルコ系の人々は400万人いるが、その25%以下しかドイツの国籍(市民権)を得ていない。
●このような「トルコ問題」の解決策として出てきたのが、ドイツ政府の「多文化主義」である。ドイツはトルコ移民たちに国籍(市民権)を与えなかったのだが、その代わりに彼らがドイツ国内で独自の文化を維持するのを大幅に認めたのだ。
●そうなると彼らの独自のコミュニティーがドイツ国内にできあがってしまい、国政にも参加せず、かなり内向きになっていったのだ。
●そして隔離されていった移民の二世たちは、アイデンティティーを過激な原理主義に求めるようになる。去年アフガニスタンでドイツ生まれのイスラム原理主義のジハード(聖戦士)が発見されたのは、このような政策が生んだ当然の成り行きと言えるのだ。
●イギリスの例もドイツの例も、両方とも分裂的な社会を生み、ポピュリスト的かつイスラム主義的なレトリックの台頭につながったのである。
●もちろん「多文化主義」そのものが、イスラム過激派をつくりだしたわけではない。
●しかしその両国の例でもわかるように、「多文化主義」はイスラムの過激派が入り込むスペースを両国の社会の中につくったのだ。
●よって現代社会の課題は、政策としての「多文化主義」を拒否しながらも、同時に移民たちが持ち込んできた文化の多様性を受け入れることができるかどうか、という点なのだ。しかもこれに成功した国は一国もない。
●フランスはたしかに移民たちに国籍(市民権)を与えているが、実際には国家レベルでイスラム教徒のブルカを禁止しており、警察も北アフリカ系の若者に対してかなり手激しい手段を使っている。
●アメリカの場合も、他の欧州の国々に比べればイスラム教徒と国家の関係は良いほうだと言えるが、それでもニューヨークでの世界貿易センタービル近くのモスク建設に対する反対が問題になったように、ヨーロッパと同じような、移民に対する「恐怖」は存在するのだ。
●もちろんこれを一挙に解決できるような方法は存在しないのだが、7・7事件で6周年を迎えた今、この方法をわれわれは必死に探る必要があるのではないだろうか。
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何度も言いますが、この分析の「前提」を冷静に考えてみましょう。彼らの色々な問題点が見えてくるはずです。