2011年 05月 12日
まえがき:その2 |
ところが広範囲にわたる文献を収集するうちに、私は全く同じテーマを扱っているのに異なる意見や正反対の結論を言っている著者たちの、対照的な様々な見方に途方にくれるようになった。このような文献についてどのように考えればいいのだろうか?
ところがコロンビア大学のバトラー図書館で座っている時に、私の頭の中で何かがひらめいた。今はかなり黄色くなってしまった紙切れに、私はその時に思いついた、国際関係を研究する際に使われている「分析の三つのレベル」を急いで書いたのだ。私はこのテーマについて何度も使われている議論をまとめて分類してくれる鍵を見つけたのであり、それを忘れないように自分の心の中にしっかりとどめておくことを誓った。
ヴァージニア州のフォート・リー基地に四ヶ月間滞在している間に、私は自分が書くことになる博士号論文のアウトラインを書いた。およそ一五ページの中で、私はユートピアから地政学、そして予測される人口爆発などのあらゆるトピックを扱っており、これらをすべて三つに分類したのである。
私はこのアウトラインをフォックス教授に送り、陸軍の休暇でニュージャージー州の北部にいた時に教授に会いにいった。私の提案書に対する教授のコメントは「いつか私が教えるコースに使えるかもしれない」というものだった。教授は博士号論文の概略を三・四ページほど書くよう提案してくれたので、私はさっそくそれを書いた。そして何週間もあとに韓国に派兵されていた私の元に、大学の幹部の教授たちは私が何を書こうとしているのかはよく理解できなかったが、とにかく博士号論文を書くことは許可してくれた、という内容の手紙が届いた。
一九五二年の秋に私はニューヨーク市に戻ったのだが、この時点ではいくら教える仕事に空きがあっても遅すぎた。ところが幸運なことに「戦争と平和研究所」の所長となっていたフォックス教授は、この研究所の助手として私を雇ってくれたのだ。
ここで私は自分の時間の半分を論文の執筆に費やし、あとの半分を歴史家のアルフレート・ファークツ(Alfred Vagts)の原稿をまとめる時間に充てた。研究所の机の上に置かれていた原稿は、その高さが二七センチほどあった。一九五四年の春に、私は博士号論文を書くことと、一年間の国際政治のコースを教えることを終了した。また、私はその夏の終わりまでにファークツの原稿を出版できるほどの分量まで編集し終えることができた。そしてその五年後に、私の博士号論文は本書である『人間、国家、そして戦争:ひとつの理論分析』として出版されたのだ。
これが本書の誕生秘話だ。これ以降のページに書かれていることは、この時の研究成果を反映したものである。
この論文を書いていた当初の私は、国際政治の成り行きの主な原因と想定されるものの位置を特定するために「分析のレベル」(level of analysis)という言葉を使っていた。ところが私の妻は、より正確で優雅な「イメージ」(image)という言葉を使うよう説得してくれた。なぜ正確なのかというと、「レベル」という言葉を使ってしまうと、レベルを選ぶ際に、単なる「どのようなものがテーマに当てはまりそうだろう?」というものや、「自分の想像には何が合いそうなのだろう?」という問題だ、という安易な考え方に陥ってしまいがちだからだ。
また「イメージ」というのは、国際政治のいくつかの問題においてはたしかに分析的な考え方が適切なのかもしれないが、その問題全般について理解しようとする場合には体系的なアプローチが必要とされることを思い起こさせてくれるのであり、まずサード・イメージの効果に注目させてから三つのすべての「レベル」を把握させてくれるのだ。
ところがコロンビア大学のバトラー図書館で座っている時に、私の頭の中で何かがひらめいた。今はかなり黄色くなってしまった紙切れに、私はその時に思いついた、国際関係を研究する際に使われている「分析の三つのレベル」を急いで書いたのだ。私はこのテーマについて何度も使われている議論をまとめて分類してくれる鍵を見つけたのであり、それを忘れないように自分の心の中にしっかりとどめておくことを誓った。
ヴァージニア州のフォート・リー基地に四ヶ月間滞在している間に、私は自分が書くことになる博士号論文のアウトラインを書いた。およそ一五ページの中で、私はユートピアから地政学、そして予測される人口爆発などのあらゆるトピックを扱っており、これらをすべて三つに分類したのである。
私はこのアウトラインをフォックス教授に送り、陸軍の休暇でニュージャージー州の北部にいた時に教授に会いにいった。私の提案書に対する教授のコメントは「いつか私が教えるコースに使えるかもしれない」というものだった。教授は博士号論文の概略を三・四ページほど書くよう提案してくれたので、私はさっそくそれを書いた。そして何週間もあとに韓国に派兵されていた私の元に、大学の幹部の教授たちは私が何を書こうとしているのかはよく理解できなかったが、とにかく博士号論文を書くことは許可してくれた、という内容の手紙が届いた。
一九五二年の秋に私はニューヨーク市に戻ったのだが、この時点ではいくら教える仕事に空きがあっても遅すぎた。ところが幸運なことに「戦争と平和研究所」の所長となっていたフォックス教授は、この研究所の助手として私を雇ってくれたのだ。
ここで私は自分の時間の半分を論文の執筆に費やし、あとの半分を歴史家のアルフレート・ファークツ(Alfred Vagts)の原稿をまとめる時間に充てた。研究所の机の上に置かれていた原稿は、その高さが二七センチほどあった。一九五四年の春に、私は博士号論文を書くことと、一年間の国際政治のコースを教えることを終了した。また、私はその夏の終わりまでにファークツの原稿を出版できるほどの分量まで編集し終えることができた。そしてその五年後に、私の博士号論文は本書である『人間、国家、そして戦争:ひとつの理論分析』として出版されたのだ。
これが本書の誕生秘話だ。これ以降のページに書かれていることは、この時の研究成果を反映したものである。
この論文を書いていた当初の私は、国際政治の成り行きの主な原因と想定されるものの位置を特定するために「分析のレベル」(level of analysis)という言葉を使っていた。ところが私の妻は、より正確で優雅な「イメージ」(image)という言葉を使うよう説得してくれた。なぜ正確なのかというと、「レベル」という言葉を使ってしまうと、レベルを選ぶ際に、単なる「どのようなものがテーマに当てはまりそうだろう?」というものや、「自分の想像には何が合いそうなのだろう?」という問題だ、という安易な考え方に陥ってしまいがちだからだ。
また「イメージ」というのは、国際政治のいくつかの問題においてはたしかに分析的な考え方が適切なのかもしれないが、その問題全般について理解しようとする場合には体系的なアプローチが必要とされることを思い起こさせてくれるのであり、まずサード・イメージの効果に注目させてから三つのすべての「レベル」を把握させてくれるのだ。
by masa_the_man
| 2011-05-12 00:00
| 戦略学の論文