「コントロールの感覚」と「陰謀論」などとの関係 |
さて、すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、コントロールの感覚と陰謀論の関係について書くのを忘れていたのでここでまとめて書いておきます。
私がここで主張したいことの要点だけいえば、
人間は「自分たち」がコントロールできていると感じるものには恐怖を感じないが、自分たちのグループに属さない外部の"奴ら”にコントロールされていると感じると、恐怖や怒りを感じる傾向がある
ということです。しかもこの「奴ら」というところが、エリートや金持ちになると、それが陰謀論につながりやすいわけです。
ここで重要なのは、この「奴ら」という人々が、自分たちとは違う異質な「他者」であればあるほど恐怖感(と怒り)が増してくる、という点です。これが極端な方向に振れて、思い込みが激しくなると「陰謀論」の出来上がり。
最近の例に当てはめて考えてみますと、東電の幹部なんかがこれに当てはまるかと。
彼らは(われわれ一般人である自分たちとは違う)「金持ち」であり、しかも「高学歴」の「エリート」であるのにもかかわらず、「原子力という特殊なテクノロジー」という一般人には手の届かない(つまりコントロールできない)ものを扱っていながら、彼ら自身もそのテクノロジーをコントロールできていないという点が、原発に対する恐怖や怒りを起こすわけです。
この「コントロールできない奴ら」が極端に行きつくと、ユダヤ/イルミナティによる陰謀論などになってしまうわけですが、私が知っている限りで究極のものは、アヌンナキとかいうトカゲだか恐竜みたいな化物に世界は支配されているという陰謀論。
さすがにこれをはじめて聞いたときには笑いましたが(笑。
このアヌンナキ説(?)が教えている重要な点は、そこで想定されている「奴ら」が、まさにわれわれ人間のコントロールが及ばない、最も異質な「他者」である、という点かと。
つまりわれわれ一般人とは異なる、とても異質な「奴ら」がわれわれをコントロールしているという世界観がカギになってくるわけで、基本的にユダヤ人に対する差別なども、この「異質性」に端を発するものですね。
ちょっと話は変わりますが、これを逆に考えてみますと、いわゆる「成功者」と呼ばれる人々は、われわれ一般人よりも人生で起こる現象を「コントロールできている」と感じる割合が多いために、自分自身でも「成功者である」と感じるの割合が高まるのかと。
もちろんそうは言っても彼らは自分の身に起こる全ての現象をはコントロールできないのですが、彼ら自身では「ある程度はまあコントロールできているなぁ」と感じているようですし、実際にも(たとえば会社の社長などになることによって)コントロールできている物事の度合いはかなり多いのかも知れません。
そしてこのように「コントロールできている」と感じることができている人間というのは、どうやら「安心」や「自信」を身につけることができるようであり、いわゆる成功者と呼ばれる人たちが自信に満ち溢れているように見えるのは、彼らが全てではないにしても、かなりの部分を「コントロールできている」と実感して、安心できている(ように見える)からに他ならないのではないかと。
国際政治における安全保障学や戦略学や地政学も、究極的には国家がどこまで「コントロールできている」という感覚を得ることができるのか、という問題に帰結するわけで、これをいいかえると、安全保障(security)とは「コントロールの感覚」によって左右される、きわめて心理学的なものであることがお分かりいただけるかと思います。
さらに話題を広げると、これが宗教の場合では、この「コントロールの感覚」を逆に自分を超越した究極の存在(神など)に預けて、そこから心理的な平和を得ようとするパターンも出てくるのです。
つまり、自分が自分の運命をコントロールするのは大変だから「神様お願いね!」ということでしょう。いいかえると、自分の人生を自分でコントロールせずに神様にコントロールしてもらい、自分はただそれに従うだけという考えになります。
要するにこれで何が言いたかったのかというと、あらゆる人間活動の根底には、「コントロールの感覚」が決定的に重要であり、それが悪く振れると恨みや恐怖をベースにした陰謀論、自分がコントロールをできているという考えに向かうと成功者の思想、そしてそれを逆にコントロールの感覚を放棄して安心感を得ようとするのが宗教の信徒の思想、という風に変化するということです。
もちろんこれをお読みのみなさんが、自分の人生をどこまでコントロールできていると考えているのかは人それぞれだと思いますが、とにかくあらゆる政治問題にはこの「コントロールの感覚」というものが非常に大きな作用を及ぼすものである、ということだけは理解していただきたいのです。
