「コントロールの感覚」と「陰謀論」などとの関係
2011年 04月 18日
さて、すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、コントロールの感覚と陰謀論の関係について書くのを忘れていたのでここでまとめて書いておきます。
私がここで主張したいことの要点だけいえば、
人間は「自分たち」がコントロールできていると感じるものには恐怖を感じないが、自分たちのグループに属さない外部の"奴ら”にコントロールされていると感じると、恐怖や怒りを感じる傾向がある
ということです。しかもこの「奴ら」というところが、エリートや金持ちになると、それが陰謀論につながりやすいわけです。
ここで重要なのは、この「奴ら」という人々が、自分たちとは違う異質な「他者」であればあるほど恐怖感(と怒り)が増してくる、という点です。これが極端な方向に振れて、思い込みが激しくなると「陰謀論」の出来上がり。
最近の例に当てはめて考えてみますと、東電の幹部なんかがこれに当てはまるかと。
彼らは(われわれ一般人である自分たちとは違う)「金持ち」であり、しかも「高学歴」の「エリート」であるのにもかかわらず、「原子力という特殊なテクノロジー」という一般人には手の届かない(つまりコントロールできない)ものを扱っていながら、彼ら自身もそのテクノロジーをコントロールできていないという点が、原発に対する恐怖や怒りを起こすわけです。
この「コントロールできない奴ら」が極端に行きつくと、ユダヤ/イルミナティによる陰謀論などになってしまうわけですが、私が知っている限りで究極のものは、アヌンナキとかいうトカゲだか恐竜みたいな化物に世界は支配されているという陰謀論。
さすがにこれをはじめて聞いたときには笑いましたが(笑。
このアヌンナキ説(?)が教えている重要な点は、そこで想定されている「奴ら」が、まさにわれわれ人間のコントロールが及ばない、最も異質な「他者」である、という点かと。
つまりわれわれ一般人とは異なる、とても異質な「奴ら」がわれわれをコントロールしているという世界観がカギになってくるわけで、基本的にユダヤ人に対する差別なども、この「異質性」に端を発するものですね。
ちょっと話は変わりますが、これを逆に考えてみますと、いわゆる「成功者」と呼ばれる人々は、われわれ一般人よりも人生で起こる現象を「コントロールできている」と感じる割合が多いために、自分自身でも「成功者である」と感じるの割合が高まるのかと。
もちろんそうは言っても彼らは自分の身に起こる全ての現象をはコントロールできないのですが、彼ら自身では「ある程度はまあコントロールできているなぁ」と感じているようですし、実際にも(たとえば会社の社長などになることによって)コントロールできている物事の度合いはかなり多いのかも知れません。
そしてこのように「コントロールできている」と感じることができている人間というのは、どうやら「安心」や「自信」を身につけることができるようであり、いわゆる成功者と呼ばれる人たちが自信に満ち溢れているように見えるのは、彼らが全てではないにしても、かなりの部分を「コントロールできている」と実感して、安心できている(ように見える)からに他ならないのではないかと。
国際政治における安全保障学や戦略学や地政学も、究極的には国家がどこまで「コントロールできている」という感覚を得ることができるのか、という問題に帰結するわけで、これをいいかえると、安全保障(security)とは「コントロールの感覚」によって左右される、きわめて心理学的なものであることがお分かりいただけるかと思います。
さらに話題を広げると、これが宗教の場合では、この「コントロールの感覚」を逆に自分を超越した究極の存在(神など)に預けて、そこから心理的な平和を得ようとするパターンも出てくるのです。
つまり、自分が自分の運命をコントロールするのは大変だから「神様お願いね!」ということでしょう。いいかえると、自分の人生を自分でコントロールせずに神様にコントロールしてもらい、自分はただそれに従うだけという考えになります。
要するにこれで何が言いたかったのかというと、あらゆる人間活動の根底には、「コントロールの感覚」が決定的に重要であり、それが悪く振れると恨みや恐怖をベースにした陰謀論、自分がコントロールをできているという考えに向かうと成功者の思想、そしてそれを逆にコントロールの感覚を放棄して安心感を得ようとするのが宗教の信徒の思想、という風に変化するということです。
もちろんこれをお読みのみなさんが、自分の人生をどこまでコントロールできていると考えているのかは人それぞれだと思いますが、とにかくあらゆる政治問題にはこの「コントロールの感覚」というものが非常に大きな作用を及ぼすものである、ということだけは理解していただきたいのです。


コントロールの感覚は私も日常でも良く感じれるものだと思います。幸せな人や成功者の方は日常の中に感謝や喜びを見つける人が多いと思います。そうすると、不安に思うことが少なくなるので、運のよさや喜びが循環していってるのでは?とも考えています。エントリー内容とは少し違いますが、横綱論に取り組み始めてから私が気付いた(もう指摘されてるかもしれませんが)ことを参考までにご報告させてもらいました。

>自分の人生を自分でコントロールせずに神様にコントロールしてもらい、自分はただそれに従うだけという考えになります。
これだと消極的すぎるので、「自分は与えられた環境でベストをつくし、それを超えた吉凶禍福は天命に任せる」としてほしいかな^^;
「誠の道にたがふことなく、負い持つ技に励ましめたまひ 家門高く身すこやかに世の為人の為につくさしめたまへ」ってノリでして。

「あちゃ~、この顔じゃなぁ~、あかんわ」
そして、もう一つ思ったことは
「横綱は、こんな面倒臭いことに巻き込まれない。」
という凄さを変に実感。
コントロールという面からみると横綱は、ブログで上げられた3つのパターンからも逸脱しているように思えます。一番近いのは3つ目の宗教的な物なんでしょうが、横綱の場合これよりもぶっ飛んでいるように思えます。
横綱のコントロールの感覚は一体どんなものなのか、気になるところであります。



人間が自分の存在に自信が持てなくなるのは、自分で状況をコントロールできなくなった時(あるいはそう感じた時)です。そんな時に「悪いのはお前じゃない!○○が悪いんだ!」って言われたら「そうだよね」ってなりがちかと。
そう考えるとアンコントロールな状況と陰謀論は驚くほど親和性が高いかと。

心は、人間の努力だけでは改善できない。
私たちが、今、しなければいけないことは『救世主スバル元首様』に、救いを求めることだ。
もう、時間がない!!
http://www.kyuseishu.com/tanuma-tu-koku.html
http://miracle1.iza.ne.jp/blog/entry/2237566/

>幸せな人や成功者の方は日常の中に感謝や喜びを見つける人が多い
つまり「ファーストイメージ」なんですね。
>内容とは少し違いますが、横綱論に取り組み始めてから私が気付いた(もう指摘されてるかもしれませんが)ことを参考まで
これは重要な点かと。コメントありがとうございました。
>宗教モードに入ってる
これがどういう意味なのかは興味あるところですが・・・あえて聞かないでおきます(笑
>これだと消極的すぎるので、「自分は与えられた環境でベストをつくし、それを超えた吉凶禍福は天命に任せる」としてほしい
これだと「人事を尽くして天命を待つ」という感じでしょうね。参考になります。コメントありがとうございました
>この顔じゃなぁ~、あかんわ
わははは(苦笑
>横綱は、こんな面倒臭いことに巻き込まれない
巻き込まれませんね。
>コントロールという面からみると横綱は、ブログで上げられた3つのパターンからも逸脱している
かも知れませんなぁ
>一番近いのは3つ目の宗教的な物なんでしょうが、横綱の場合これよりもぶっ飛んでいる
かも知れません。でも一見すると「すごい」という感じはないんですよね
>横綱のコントロールの感覚は一体どんなものなのか、気になるところであります。
いや、基本的にコントロールすることには興味ないような。コメントありがとうございました
>テクニック(技術面)での自信や成功のカギは自分の肉体の「コントロール感覚」だと思っています
うーむ、その分野でも共通するんですか・・・。
>自分の肉体や精神を自分自身が「コントロールできている(あるいはできると信じられる)」という心理的な要因が、コンクールなどの場で結果を残す
やっぱりそういうことなんですね
>逆に技術はすごく上手なのに、「コントロールの感覚」を持ち合わせていないため結果が伴わないという場合も
「練習プロ」みたいな感じですか。
>エントリが大変参考になりましたのでコメント
私も参考になりました。これはあらゆるスポーツなんかにも言えそうですよね。コメントありがとうございました
>基本的に、あの娘と上手くやりたいのに、"奴ら"に邪魔されます
たしかに(苦笑
>エンターテイメントにして、そこで発散させるのは健康的だと思うんですけどね。
だから逆に陰謀論もエンターテイメントとしては面白いわけで。
>これを"実話"にして商売するのは世間的な影響が大きい
そこで問題が起こってきますよね
>初めて聞きましたけど、結構面白いのができそうな気が
いや、これだけでも十分面白いんですが(苦笑
>この方の判定をお願いしても良いでしょうか?
それではさっそく出題しましょう。コメントありがとうございました
>人間が自分の存在に自信が持てなくなるのは、自分で状況をコントロールできなくなった時(あるいはそう感じた時)です
その通りですね。
>そんな時に「悪いのはお前じゃない!○○が悪いんだ!」って言われたら「そうだよね」ってなりがちかと。
そのような役割を果たすのが陰謀論と。
>アンコントロールな状況と陰謀論は驚くほど親和性が高い
そうなんです。高いんです。すべては「コントロールできていない」という不安感の解消のためなので。コメントありがとうございました
>下のほうは そのトップの有能さゆえにコントロールできないと感じ 不満を抱くという結果になりませんか
ありますね
>取り方によっては 酷い話に
なります(苦笑
>ある種の残酷さが存在するという話
その通りです。リアリズムですので。コメントありがとうございました

陰謀論については、フェビアン社会主義の様な世の中の事象全てをコントロールしようという思想潮流は有ったし、それに賛同する何もかもコントロールしないと安心出来ない偏執狂も居たのかもしれませんが、そういったものが仮に一時上手く行ったとしても早晩破綻して匙を投げることに成ると思うので、あまり気にする必要はないと思います。

「奴ら」というのが、右翼にとっては自分達のグループに属さない他者であり(内か外)、左翼にとっては労働者を搾取する資本家である。(上か下)