戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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原発事故と民主制度における「コントロール」の感覚

今日の甲州はまたしてもよく晴れまして、気温もなんとなく春らしくなってきました。そういえばそろそろ桃の花の季節です。

一昨日のエントリーですが、どうやらトピックのチョイスのせいでいつもの数倍のコメントを頂いたわけですが、一部感情的なものをのぞけば、みなさんどうやら冷静に読んでくれたようで何よりです。

何度も言うようですが、私があのエントリーで言いたかったのは決して「原発肯定論」ではありません。むしろ私にとって関心があったのは、人間の感じる「恐怖感」と「コントロールの感覚」の間にどのような関係があるのか、ということです。

そういう意味では、「原発は危険かどうか」という話ではなく、人間の心理のメカニズムをテーマにして色々と考えてみたかったのです。そしてそこで私が出した結論が、

「コントロールできていると感じれるかどうか」が人間に大きな感覚の差を生み出す

というものでした。

さて、今日はそこから話をもう一歩先に移してみようかと。

私はこの「コントロール」という概念については、戦略学のコースや自分の指導教官の話を聞いているうちに気になってきたものなのですが、実はこの概念が、今回の原発事故だけではなく、人間界のあらゆる政治的現象などにも全て適用できるのは?と最近考えております。

まずは「原発」ですが、これはすでに述べたように、われわれはこのテクノロジーを手に届かないところにあり、しかもここから生まれるリスクを「コントロールできない」と感じるので、実際の致死率は低くても「ものすごく危険」という恐怖を感じさせるわけです。

その反対に「車」というテクノロジーですが、これは基本的に手に届くところにあり、リスクは基本的に自己責任。しかも自分が管理・運転するわけですから「コントロールできる」と感じることができるため、実際には致死率や事故のリスクが高くても「危険だ」という感覚はあまり生まれないわけです。

これをやや単純化すると。

●個人がコントロールできていないという感覚を持つ →不安(例:原発)
●個人がコントロールできるという感覚がある  →安心(例:車)

という公式というか、原則(プリンシプル)のようなものが出来上がります。ここまでは前回のエントリーで説明したところです。

私はこれを敷衍した時に、どうやらこの原則は他の現象に当てはめてみても似たようなことができるのではと考えております。

そのうちの分かりやすい例が、わが日本国が採用している「民主制度」という制度。

ご存知の通り、民主制度の最低限の共通項として挙げられるのは、選挙権を持った国民が国政を担う代表権をもった人間を投票で選びだし、この選ばれた人々が国民の代わりに国政を担当する、というところでしょうか。

このような制度は、このブログをお読みの方のほとんどはすでに生まれた時から日本で行われていたものですから、「いまさらなんでこれが重要なの?」と言われてもピンとこないかも知れませんし、政治関係の本を読んでも「政府のレジティマシーに関わる云々」ということしか書いてありません。

しかしこれを「コントロール」という概念や上の原則から考えてみると、そもそも「なぜこのような国民による選挙が重要か」ということがよくわかります。

ではなぜ選挙を行なう民主制度が重要なのかというと、これはつまり

「国民一人ひとりに“俺たちが政府をコントロールしている”と感じさせることによって、不満を生じさせない」

という理由があるからです。

もちろん実際には民主制度を採用している国家の国民が本当に政府をコントロールできているかどうかは極めて怪しいところがあるわけですが、とりあえずここで大事なのは、選挙というイベント的な手続きを踏むことによって、「俺たちがコントロールしている」という、いわば「納得」という名の幻想を、投票という行為によって国民一人ひとりの中に発生させてくれるからです。

そして国民が納得・安心していれば「反乱を起こしてやれ!」と考えるような不埒な輩も出ず、国家の体制と国内の秩序は守られます。

そして秩序が守られるということは為政者にとっても国民側に互恵的なものだから良い、ということになるわけです。

ちょっと話が長くなったので、続きはまたあとで。次は陰謀論との関係について書きます。
Commented by グレート・ギャツビー at 2011-03-31 03:03 x
結局のところ、為政者にとっては、支配すべき国民に「納得」という共同幻想を与えてやらなければならないわけで、そのための道具が選挙であったり宗教であったり思想であったりするのでしょう。

ということは、敵国の支配体制を破壊するためには、その国の国民が抱いている共同幻想を攻撃して破壊すれば良いわけですから、そのための戦略及び戦術を研究する必要がありますね。
Commented by 愚人 at 2011-03-31 09:28 x
確かに選挙の有無でコントロールできているかどうかを測ることはできない気もします。
たとえば、江戸時代、選挙が無かったにも関わらずいくつかの事例から幕府はかなり市民に対して譲歩している(市民にコントロールされている)ように見受けられます。
特に法を曲げてまで市民に迎合した赤穂浪士事件はその象徴かと思います。(法的に何の罪も無い吉良家が取り潰され、逆に大逆罪の浅野家や大石家の扱いはかなり優遇されました。)

対して、現在、民主主義といわれるものは世論調査と国政の乖離をみるに、あまり国民にコントロールされていないようです。
こういったことは消費者主導幻想の資本主義(その名のとおり実態は資本化主導なわけですが)、その対極の共産主義にも言える事で、いわゆる国を運営する上で国内外に対するマーケティング戦略の一つなのでしょう。
明治期はこの戦略に必死になっていた様が読み取れるわけですが、大正・昭和と時代が進むにつれてタテマエの目的が意識から薄れてむしろ弊害化していく様も、この戦略を使う上での危険性について考えさせられます。
Commented by 池沼・高橋和司 at 2011-04-01 03:21 x
この記事を読ませていただきましたが、民主政についての論考はどこか、兵頭二十八氏の「対権力直接アプローチ」論を彷彿とさせます。うまく言えないのですが、誰が政府をコントロールしているかということが戦争全般、究極的には核戦争の目標設定に左右されるということだったと思うのですが、それに似ているような気がします。

もし的外れだったらごめんなさい。また短文なのでよくわからなければご質問下さい。

Commented by rh at 2011-04-01 07:13 x
前の記事でコメントを書こうと思ってたのですが、「見える恐怖と見えない恐怖」の違いがありますね。
今回の原発事故によって起こる経済的な損失も、見えにくい恐怖であると思います。
結果的に放射線物質の影響で死んだとしても、証明が難しいことが死者数が少ない原因とも言えそうです。
国民は原発をコントロール出来ませんから、事故が起きると「政府が隠蔽するに違いない」
と、一層、恐怖心を感じやすいのではないでしょうか。

原発とは違うのですが、冷戦時代の核実験、核施設の事故では、特定地域の平均寿命の減少が起こりました。
マヤック核施設周辺では、爆発事故や放射性物質の廃棄などによって、汚染された地域の住民に被曝が確認されました。
当然、国民には事故を知らせず、放射性物質の危険性も隠しました。
「被曝による死」と「原発事故による死」では死者に開きがありそうです。
チェルノブイリの死者は正確な数字は出ませんが、数千人から数百万人と言われています。
様々なメディアの報道を調べると分かりますが、放射性物質の汚染による死は、立証が困難なのでしょう。
Commented by 待兼右大臣 at 2011-04-01 15:24 x
多分事象(リスク)の発生について

1 想定内か想定外か
2 想定内として、その事象(リスク)を受容するか否か

二段階に分かれるのではないでしょうが。
そして、このブログの流れからすれば、

「1」は、知っている(見える)VS知らない(見えない)
「2」は、コントロール可能(リスクへの対処)VSコントロール不可能(リスクの受容)

ということではないでしょうか。

 地震の例でいえば、自宅を建てる予算が2000万円で、その予算では、震度6強までしか耐えられない家しか建てられないということで、震度7以上の地震が来れば「諦める」しかないという場合、

今回の地震はコントロール不可能であるが、想定の範囲内(納得している)

ということになろうかと思います。YOUTUBEで、「また出直せばいい」(?)と言った被災者の老人の動画が話題になっていますが、その老人(恐らくチリ沖地震による津波の被災者)は今回の地震・津波のリスクは(過去の経験から)認識していたが、そリスクを受容した(何も対策をとらなかった)という戦略を選択したということです。
Commented by 待兼右大臣 at 2011-04-01 15:25 x
数式でいえば

リスクへの対処金額>リスク受容による再建費用(実際は、再建費用に発生確率を乗じた金額)

であれば、リスクへの対応は採らないという結果になります。
 そして、「核」が絡めば、リスクの受容は「あり得ない」というのが世の趨勢です(例:原発、MAD戦略)。
 お題の民主体制については「建前と制度の一致」ということではないでしょうか。
Commented at 2011-04-01 17:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2011-04-02 08:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ノーコンパパ at 2011-04-02 11:03 x
私の奥さんも全くコントロールが効きません。
そして、たまに爆発します。
しかし、家庭は安泰で子供も幸せそうです。
なぜならば、奥さんが私をコントロールしているからです。

同じく、日本国民は原子力発電をコントロールできていません。
そして、とうとう爆発しました。
しかし、日本は安泰でしょう。
なぜならば、政・官・財・メディアの電力関係者が国民をコントロールしているからです。

白河法皇ですら鴨川の水と双六の賽の目と比叡の荒法師はどうにもならぬと嘆いたそうです。
一方、藤堂高虎は毎朝今日が死ぬ日だと覚悟を決めたといいます。
やはりファーストイメージですね。
Commented by elmoiy at 2011-04-02 11:56 x
>私の奥さんも全くコントロールが効きません。

人間は異質なもの(異性、異民族、外国など)に対しては、より恐怖心を抱くのではないでしょうか。
同質なもの(同性、自民族、自国)も完全にコントロールできているわけではないのですが、理解できる(と思いこんでいる)分、恐怖心は少ないのだと思います。

核融合については、太陽の規模でこそ初めて可能なものであり、地球上で行うべきものではない。クローン技術と同様に、“神の領域に足を踏み入れた”という畏怖の感情があるのかも。
Commented by QQQ at 2011-04-09 05:22 x
このブログと関係があると思う当方の同業者の意見ですが、なかなか面白いのでご参考にどうぞ。岩田先生といって感染症の専門家です。
価値交換としての原発(なぜ医者の僕が原発の話をするか):http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2011/03/%E4%BE%A1%E5%80%A4%E4%BA%A4%E6%8F%9B%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%8C%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E5%83%95%E3%81%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8B.html?cid=6a0148c740c225970c014e604e60b9970c
Commented by 福岡国際問題研究所 at 2011-04-10 23:43 x
「コントロール」の感覚の件、納得します。本件、どこかでもっと抽象度を上げた議論(理論)があったにや感じるのですが思い出せません。なければ、早めに定式化されることを期待します。
Commented by 山本五年中 at 2011-12-21 00:35 x
原発事故後の東電は倒産しない貴方達が好き放題に文句ゆえば車の事故死又家の火災で問題解決何の問題無し今まで道理原発稼働電気料金値上げそして高いボーナス格差の優雅生活ゴミ達は低線量被爆障害で決まり頭悪い癖文句禁止
by masa_the_man | 2011-03-31 00:57 | 日記 | Comments(13)