戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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原発事故とコントロール(の感覚)の問題

今日の甲州はよく晴れましたが、まだまだ朝晩はかなり冷え込みます。本格的な春の到来が待たれるところです。

さて、深刻さを増す福島の原発事故ですが、これについて最近考えていることをここで少し。

まずこれを書く前にここでお断りしておかなければならないのは、私は別に原発の推進派でも反対派でもなく、あくまでも今回の原発事故の及ぼす影響に憂慮している一国民だということです。

しかしそうは言ってもとにかく気になっている疑問が、なぜここまで原発というものが怖がられるのか、という問題

私がなぜこんなことを考えたのかというと、CNNの(元オフェンシブ・リアリストの)ザカリアの番組のブログの記事の中に、「過去数十年間にわたる原発の事故による死者というのは、他のエネルギー関連の死者数よりも遙かに少ない」ということが書かれていたからです。

たとえば石炭だと中国や最近のニュージーランドでの炭鉱の事故で大量の死者を出しておりますが、原発ではチェルノブイリで出ただけで、スリーマイル島では直接の死者数はゼロ。石油関連では過去40年間で2万人以上が死んでいる、と。

それよりもわかりやすいのが、たとえばわれわれが普通に使っている「車」は、日本でさえ年間1万人前後、アメリカだと毎年3万人ほどの命をコンスタントに奪っております。

つまり単純な死者数で考えると、どう考えても「原発」よりも「車」のほうが危険なテクノロジーということになるわけですが、なぜか原発のほうが恐れられております。

もちろん広島・長崎などの原子爆弾の投下による被害を受けた唯一の国として、日本には核エネルギーに対する猛烈な不信感があることは当然なのですが、それにしても単純に「死者数を出す」という危険性からみたら、どう考えても車のほうが「危険」な存在です。

そこで少し考えてみたんですが、どうやらわれわれが感じるこの「原発」と「車」という二つのテクノロジーについての「危険度の感覚の違い」には、われわれ個人がコントロールできる範囲というものがひとつの要素として絡んでくるのでは、ということ。

これを単純に言えば、人間には以下のような二つの原則が成り立つのではないか、ということです。つまり、

●自分がある程度コントロールできている(と感じる)場合→危険だと感じない。

●自分のコントロールが効かない(と感じる)場合→危険だと感じる。

ということです。

もちろん上は「車」というテクノロジーでして、これはあくまでもリスクの管理は個人の責任ということになり、安全に使えるかどうかというのも、かなりの部分は個人の技量によって左右されるもの。つまり自己責任だからOK。

そうなるとどうやら人間というのは、毎年死者数を1万人出すようなテクノロジーでも「危険だ」とは感じにくくなるわけです。

それとは反対に、下の例の典型が「原発」であり、これは国家プロジェクトとしてエリートたちが、一般人の手の届きにくい知識や複雑な機器を使って勝手に管理しており、とくに今回のような事故では、まさに制御が効かない「コントロール不能」の事態に陥っております。

そうなると、まだ(直接的な原因による)死者は出ていないのに、人間の感じる恐怖感は劇的にアップするわけです。

もちろんこのようなことを書くと「こいつは原発を擁護している、けしからん奴だ!」ということになりそうですし、そう言われても仕方ないと思っておりますが、私がここで本当に言いたかったことは、最近の報道を見てつくづく感じるのは、

人間社会で大きな影響力を持つのは、事実そのものよりも“人々がどう感じるか”のほうである」

ということなのです。

そしてその「感じ方」という面で大きな役割を果たしているのが、実は人々がそのテクノロジーを「コントロールできていると感じているかどうか」という点にあるのかと。

これについては私もさらに考えてみたいので、みなさんのご意見をぜひ。
Commented by NB学生 at 2011-03-29 06:57 x
同感です。飛行機の恐怖も似たものがありますね。車はもちろん自転車やバイクの方が危ないのに。。。という私も飛行機恐怖症ですが(笑)
Commented by 緑川だむ at 2011-03-29 07:21 x
もうひとつ、原子炉というのがどうあがいても「核兵器の隣にある技術」という点があるかと。というと原子力擁護派は顔を真っ赤にして軽水炉と核兵器の違いを力説するんだけど、「力説しなきゃいけない」点でもう負けていることに気がつかない。
Commented by M16 at 2011-03-29 07:35 x
核兵器よりAKや対人地雷の方が人殺してるのにねえ。
Commented by yagimaruthecat at 2011-03-29 08:11 x
すごい詭弁ですね。原発事故で出る影響は死者の数だけで計りきれないでしょう。人身、経済、未来、、制度設計、どれをとっても、たった一回の事故の影響という見地からは交通事故の比ではない。一年に3回も福島級の事故が起これば、日本は国家として立ちいかなくなるでしょう。交通事故は毎日起こっています。しかし、破滅的な大災害と、未来に負の遺産を残すかといったら、そうでもない。事実は、原発のほうが交通事故より危険である、ということです。
Commented by ナリ at 2011-03-29 08:15 x
これは同感ですね。メタボリックシンドロームの方が人殺しているけど、痩せるのは自分でコントロールできるから怖さを感じないんでしょうね。
自分でコントロールできないものに対する畏怖に対しては、化学的な反論よりも、神道のようなケガレを払うという方が効果的なものかもしれません。これって非合理なんですけど、結構な人が落ち着くような気がします。個人的には、落ち着いた後大相撲の横綱に行って頂いて、土俵入りをやって頂くのが良いのではと考えております。
Commented by 故郷求めて at 2011-03-29 08:26 x
制御可能か否か、は、自動車にひかれて亡くなる人にとってはどうなんでしょう?自動車は凶器でしかない、と言われかねないんですが、実際はそうでもなさそうです。

日常接していてリスクを目にしている、ということと、無くては困るのが明白である、ということも大きいような気がします。

原発事故の後に無くては困ることが分かってきたので、「とにかく電気がなんとかなるなら原発でも建てて」という潜在的願望も大きいのでは。「じゃあお前の町にね」と言われるのが怖いだけで・・

原発反対派が一番言うのは「無くても困らない」のような気がするんですが、どうなんでしょうね?
Commented by kmzk at 2011-03-29 08:27 x
そういう面はあると思いますね。
戦場に行って銃撃戦をすることの方が、危機に陥っている東電の原発で作業するより安心、とまでは言えなくても「なんとかできる」気がしてしまいます。
ただ、原発危機は、最悪の事態になったら被害が甚大になるという恐怖もあろうかと思います。
Commented by 野良男 at 2011-03-29 08:38 x
面白い指摘ですね。物事を見る視点がひとつ増えました。
ただ、一点だけ考えましたのは、影響が人間だけにとどまらないということです。

濃厚民族であるDNAか、日本人は土を汚したり生態系を汚すことに後ろめたさを感じやすいです。ヒステリックなくらい食物に関してデリケートなのは、食物を生み出す、土へ対する信仰ゆえなのかもしれません。
土の上でなくては人は生きることはできません。それゆえら汚染がつきまとう原発に、タブーを感じるのではないかと。

いかがでしょうか。
Commented by スペースほむら at 2011-03-29 09:13 x
なんつうか そういう時は交通事故とかを引き合いに出すより
20世紀中に行なわれた虐殺とか粛清とかそういう例を出したほうが
より問題が鮮明になりますよ。

原発の放射能よりも人の方が人を惨殺しています。ゼロの数がやたらと多いくらいww

制御不能の怖さという点では、人の精神とか心の方がずっと怖いです。
Commented by macht at 2011-03-29 09:17 x
同感です。これは若干視点をかえると、「危険を可視化できるかどうか」というところとも関わってくる気がします

よく「放射線は目に見えないから怖い」なんていいますが、多くの場合我々は、「これは危険な状態である」というのを五感を通じてほぼリアルタイムで認知できますよね。

その種の、生物に備わった感知能力を超えた領域は「気味悪い」。そういう世界はやっぱり変だというのか、いや、我々は折り合って生きていかねばならないというのか。そこが考えどころのような気がします
Commented at 2011-03-29 09:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 残雪 at 2011-03-29 10:11 x
鋭いご指摘だと思います。コントロール可能性に基づく恐怖心(感じ方)が、危険という感じ方へ左右するということは一理あります。

ただ、本文の論調を読んでいて注意すべきなのは、それが人間の非合理性であると捉えることは出来ないという点です。

例えば、運転免許を取る前、親の車の助手席に乗っていても全く恐怖を感じなかったのに、いざ自分が運転できる立場になると、他人の運転に恐怖を感じる、すなわち分かるがゆえの恐怖というものも存在します。

この場合は、コントロール可能性がなく、かつ最悪の事態の恐ろしさを認知しているが故の恐怖だと考えられます。

とすると、原発事故も同じで、コントロール可能性がなく、かつ最悪の事態=核爆発 の被害が想像を絶することを認知しているが故の恐怖を感じるのではないでしょうか。

このようなコントロール不能で最悪の場合甚大な被害が出る(と認知した)状況に対して、人が恐怖心を抱くのは、至極当然です。

それを非合理的だと言う事までは出来ないのではないでしょうか。
このような意図を本文が含んでいないのかもしれませんが、念のため。。
Commented by 溝下創 at 2011-03-29 10:52 x
どちらにしても、ローリスク、ハイリターンが大好きな人類のゴウマンさのツケを感じます。
地球は人間だけのものでは無いです。。。
Commented by stranger at 2011-03-29 11:03 x
文章の「原発」を「核兵器」に置き換えると変な論理であることがよくわかりますね。たとえば
>つまり単純な死者数で考えると、どう考えても「核兵器」よりも「車」のほうが危険なテクノロジーということになるわけですが、なぜか原発のほうが恐れられております。
この文自体は事実としては間違ってはいない(ヒロシマナガサキ以来核兵器による死者はほとんどないが、自動車事故は多い)が、こんなことを言う人はいませんね
Commented at 2011-03-29 11:03 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by あかき at 2011-03-29 11:19 x
放射能被害の中の「飲食」に着目してコメントします。
飲食物を口に入れる時に「この1口に入っているかもしれない」という恐怖がある(とする)と、その人の行動や考え方を変えるのに十分である。と。車の場合で考えると、もし政府や法律が「ブレーキを必ず効くようにする必要はない。」としたとすると、車に近づこうとしない人が増えると思われます。 恐怖は人を支配するのに有力なチカラで、食事による健康に 比較的感心の高い日本人は、飲食物が犯されて行く恐怖には特に縛られやすいのかなと。
Commented by あかき at 2011-03-29 11:26 x
追記です。
「コントロールできない」 に 「この1回で、もしかすると」
という考えを加えると恐怖が発生しやすいと。そういう意見でした。
Commented by 待兼右大臣 at 2011-03-29 11:34 x
別の例で似たようなことは考えたことはありますが、その経験からいえば、コントロールの問題もあるとは思いますが、まず、
1 リスク管理
2 「ミニ・マックス」戦略
の問題ではないかと思います。リスクの危険度というのは
「発現確率」×「発生した場合の影響度」
になりますが、原子力の場合は、後者がかなり大きく、事実上「無限大」と思われています。そして「発現確率」はゼロには決してならない。つまり、原発の場合「ゼロ」か「無限大」という究極の選択を迫られます。
 これは、いわゆるMAD戦略にも通じる考え方ですが、この場合は「人の意思」に関わることなので、核攻撃の発生確率「ゼロ」にするのが可能と思われたということです。
 つまり、発生確率を「ゼロ」にできるか否かという意味で「コントロールできるか否か」ということは言えるとは思いますが、「リスク」そのものが「発生をコントロールできない」という意味で、コントロールの土俵に乗らないという言い方も可能かと思います。

Commented by 待兼右大臣 at 2011-03-29 11:34 x
 自動車事故との関係でいえば、「事故で死なないこともある」ということです。原発ではなく「飛行機」を例にとれば

(飛行中の)飛行機事故≒死亡事故
(走行中の)自動車事故≠死亡事故

ということが言えます。
 このため、いくら飛行機事故の起きる確率が低いといっても「飛行機の方が危ない」と思う人がいます。つまり

事故が起きた場合の最低値(の発生確率)はどちらが高いか

という点で考えると、これが高い方が「安全」であり、「低い方」が危険であるともいえます。これがゲーム理論でいう「ミニ・マックス」戦略です。

 この2つの理由により、事故の発生確率と「体感危険度」が食い違うということが起こるというのが、個人的な考えです
Commented by mmm at 2011-03-29 11:43 x
>> stranger
筆者様は「道具」についての比較をされておられる。
なぜ急に兵器が出てくるのよ。
核兵器を普段、他の平和用途に利用してるならその通りですが。

Commented by いるか at 2011-03-29 12:16 x
私が考える他のテクノロジーと原子力に対する恐怖の違いは、前者が一世代で終わるのに対し後者は後々まで影響を与えるということです。
「放射線は遺伝子に影響を与える」と今まで覚えてきましたから。原子力に対する恐怖は、放射線を浴びて死なないにしても、人間という種族の将来に対して酷い影響を与えるかもしれない。
そういう考えがあって初めてコントロールできるかできないか、という違いが出てくるのだと思います。3世代4世代あとの人類なんて今生きてる私達がコントロールできるものではないですしね
Commented by ななし at 2011-03-29 13:55 x
コントロールと言うよりも、危機から逃れる事ができるかどうかだと思いますよ。

原発や飛行機などは逃れられないじゃないですか。

飛行機に乗らなけれぱいいのです。だから大きな事故が起こっても他人ごとなんです。

いざ飛行機に乗り込んだ時に感じる不安間は、危機から逃れる事ができないからです。
Commented at 2011-03-29 14:46 x
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Commented at 2011-03-29 14:46 x
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Commented at 2011-03-29 14:47 x
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Commented at 2011-03-29 14:47 x
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Commented by キモオタ at 2011-03-29 14:49 x
それまぁ 恐怖というのは客観的な事実に基づくものではなくて
想像の産物ですから。

あぁ、二次元美少女が怖い怖くて氏にそう
Commented by kazuyui at 2011-03-29 19:31 x
同感です。
あるテクノロジーに恐怖を感じる際の心理的要素は何か?
素晴らしい切り口・視点だと思います。
1.情報量と知識量
2.事故発生時に避難可能かどうか
3.事故発生時の災害規模(事故復興期間含む)
4.生命危機の要素が眼で見え、目視確認可能か
と云ったところではないかと思います。
単純に車と飛行機では事故率は断然車が高いですが、飛行機をより危険と感じる心理には、2項が働き、炭鉱と原発では原発に危険を感じる要素は、全ての要素が絡んでいると思います。
原発を使用するには、正しい知識の習得と適正な情報開示が必ず必要でしょう。
それと人其々の生死観とリスクに対する考え方も恐怖心に与える大きさに影響を与えると言えませんか。

Commented by 大阪人K at 2011-03-29 21:06 x
>●自分がある程度コントロールできている(と感じる)場合→危険だと感じない。

ここが結構重要なところではないでしょうか。
例え話にあるように、車の場合はユーザーがコントロールしていると考えがちであります。でも、実際はコントロールしきれていないから事故が多いわけです。
つまり、実際にコントロールしているかどうかよりも、「コントロールしているという勘違い」があるかないか大きな要素ではあると思います。
(後、ちょっと意地悪なことを申せば、車を運転している時点で実はドライバーがありとあらゆるコントロール受けていたりしています。
信号機、道路交通法規によって警察のコントロールを受け、
ガソリンによって石油会社のコントロールを受け、
ガソリン税や重量課税による国交省のコントロールを受け、
自賠責で保険会社のコントロールを受け、
ドライバーがコントロールしているように見えて、実際は分かりにくい形でコントロール下に入っているのは、何の皮肉でしょうか・・・)


後、交通事故のように規模が小さく多頻度の現象に対して、感覚が麻痺してしまうということがあるかもしれません。
Commented by 無花果 at 2011-03-29 21:36 x
動物は火を恐れますが、人間は火を積極的に使います。
原子力も同じこと、手に余る、と感じる人にとっては恐怖でしょうね。

ご存知とは思うのですが、国外の報道が国内に増して誇張や虚報が多く、暴走気味だったことも興味深く感じました。
とりわけ、外部との通信が完全に「生きている」都市が、複数メディアで死の都市扱いされるという点で、手に入る情報の取り扱いの難しさも痛感しました。
特に、報道の煽った放射能汚染の死のイメージがドイツなどの政治に与えたダメージは計り知れないように思えます。
今後、国内の原発建設が行き詰まった場合、フランスの原発や天然ガスへの依存がさらに高まることになれば、経済問題でも譲歩せざるを得ない部分が増えるのではないでしょうか。
そういった意味でも人を動かすのは「データとして何があったかではなく、どうイメージされたか」が重要だという意見には賛成です。
Commented by atomashimo at 2011-03-29 21:43 x
単に科学的なリテラシーが足りないせいで、根拠なく恐怖心を抱いている方々が少なくないと思います。

「放射能は(よくわからないが)怖い。(よくわからないが)健康被害を受けるに違いない。影響は(よくわからないが)何世代にも渡るに違いない。
もう食べ物は(よくわからないが)全部だめだ、
政府は(よくわからないが)うそを言っている、etc...」

と勝手にイメージで思い込んでる人たちがいるようです。

単に無知だからじゃないですかね。
そして、事実を知ろうとしない。

科学的なリテラシーをもっと高める取り組みが絶対に必要です。
全ては教育です。
Commented by 愚人 at 2011-03-29 22:30 x
なぜ、統計的にはより安全なものを危険視するのか。
これについては私も昔から不思議に思っていました。
私自身、一番怖いのが自動車でして、さして恐怖を感じないのが原発だったりします。
というのも、自動車に乗るとスピードを直に感じ、危険物の接近がより具体的なものとなって目前に現れますが、原発による放射線というのは目に見えませんので、頭の中で危険を認識しているだけです。
それだけに、他の人は何故、原発に恐怖を感じるのか理解できないところがあるのですが、自分なりに結論を出すと、
「皆がそう言っているから」
という、いわゆる集団心理ではないかと思っております。
とはいえ、やはり自分自身がそのように感じないので確信は持てないのですが。
Commented by sdi at 2011-03-29 22:36 x
遅ればせながら・・・・・
同感です。
「ある程度controleできる」と判断することそれ自体がやはり主観の産物です。
その判断の根拠となるのはやはり「知識」と「経験」ではないかと思います。ただ、「理性」より「情緒」がが優勢になるケースが多いように私は感じられます。「イカンものはイカン!!」と目を吊り上げて三角にしてまくし立てる人は典型例ですね。
自動車を例に挙げれば、「爆発的可燃物を50リッター搭載し平均時速100キロで疾走する質量1.5トンの物体」と「ニッサンフェアレディZ」とでは読み手に与える「イメージ」が正反対です。結局、各個人が己のもつ知識と経験を通して「それはcontroleできるシロモノだ」とイメージできるか、できないかという要素が大きいのではないでしょうか。
Commented by モノトワ at 2011-03-29 23:08 x
面白い話題ですね!
読んで真っ先に思い出したのが、通勤電車の痴漢冤罪です(苦笑)。
あれも、遭遇する確率はさほど高くない(と思う)のですが、いざ遭遇すると被害甚大な上に申し開きを聞いてもらえないという事情ゆえに、実態以上に大きな問題だと感じている男性は多いのではないでしょうか。私もそうなんですけど。
…などと、下らない話を書いてしまいました^^;
Commented by モノトワ at 2011-03-30 00:14 x
ついついアホなコメントをしてしまいましたが^^;
リスク管理では、個々のリスクの「発生確率×発生した場合のコスト」を計算して備えるというのが基本ですよね。
しかし、私の経験上、そうやってリスクを可視化すると、今度は「発生した場合のコスト」が膨大で、かつ、「発生確率」のコントロールができないリスクを、リスク管理表に載せない/載せていたはずがいつのまにか消してしまうというミス(?)が発生しやすくなるようです。個人的な憶測ですが「対処も排除もできないリスク(=コントロール不能のリスク)」について考えると「しんどい」のがこの種のミスの根本的な原因ではないかと疑っています。
「コントロールできない事象」というのはかなり精神的に負荷がかかるのでうまく把握できないんですよね。ただ、この「コントロールできない」というのは事実というよりイメージなので、そこをうまく利用すれば、事実に変化がなくても事実に対する我々の反応はうまく誘導できるように思うのですが。
Commented by てすと at 2011-03-30 06:05 x
あと、放射能汚染の恐怖としては、遺伝子が傷ついた場合、自分が死んだ後もその遺伝子を引き継ぐ子孫がいるって所ですかね。

その子たちは生きている間、ずっと苦しむ事になる。
Commented by ウヨなM at 2011-03-30 11:12 x
放射線の健康被害と交通事故で例えるとこうでしょうか
「10年の間に100人中3人が交通事故にあい、うち1人が死ぬ」
「10年の間に100人中3人が放射線によって癌にかかり、うち1人が死ぬ」
同じ確率でもどうしても放射線の方が怖く感じますね・・・
交通事故は気をつけてれば大丈夫そう→コントロールできる(と思ってる)→怖くない
放射線は気をつけようがない→コントロールできない→怖い
ということでしょうか
Commented by masa_the_man at 2011-03-30 11:19
nanashiさんのコメントですが、エントリーと関係ないものが多すぎるので、twitterのほうに新しいアカウント(@nanashi_bot1)を私が作製して、そちらにすべて移動しておきました。興味のある方はそちらをフォローしてください。
Commented by 通りすがり at 2011-03-30 11:23 x
タンカーに汚水をいれて、海水を汲み上げて、それと混ぜて希釈しなから世界中を走りながら撒き散らせばいいよ。世の中が許してくれるなら。
Commented by tomyuk at 2011-03-30 12:16 x
そもそも「自動車というテクノロジー」と括っているところで議論がおかしい。自動車で死ぬのではなく自動車を使用・運用するシステム全体の不全で人が死ぬ。
「コントロールできていると感じているかどうか」は、実はコントロールできない技術が、大衆化されて目を塞がれているという視点を持たないと論をなさない。
Commented by no future at 2011-03-30 12:17 x
貴方は「量」で比較してるけど
「質」の問題ですよ
遺伝子に対する影響
つまり未来の被害
それと半減期の長さが
人間のスケールを超えてる

「希望」って未来でしょ?


Commented by 通りすがり at 2011-03-30 13:52 x
人は必ず死ぬ。それがいつくるか?ってだけ。って事が言いたいの?
Commented by 通りすがりでヤス at 2011-03-30 14:40 x
車の事故の場合で後遺症が残るかもしれないと思うヒトは少なくて、即死というイメージを持っているような気がします。
また、メディアはイチイチ、今日の交通死亡事故の模様ですとか、自殺した方の人数ですとかって報道はしません。


飛行機や船、電車などの事故や今回のような災害では、同時に多くのヒトが被害にあい、メディアも報道します。
そのため、恐怖を覚えるんだと思います。

放射能被害は、即死はなくても後遺症に悩まされると思ってるヒトが多いと思います。また、メディアも報道します。

言葉は不正確かもしれませんが、
不快な状態がどれほど続くかってことや、どれだけ同時に多数の被害者がでるかという偶発性に恐怖するのじゃないでしょうか。

きっと、日常のなかで目にして慣れてしまった事象と、滅多におきない偶発性に左右される事象の差でしょうか。

けれども、子供を育てるときは、「車に用心しなさい。」とはいうけれど、
「飛行機に用心しなさい」とはあまりいわない気がします。



Commented by bakock at 2011-03-30 20:24 x
震災以降、速くて安い地下鉄より降りやすいバスや都電を選んでしまう私には納得できる論です。恐怖を巻き起こしている最中の原発をネタに使われたために、議論が難しくなっているようですが。
これだけ原発や放射線についての情報が増えると、長期的には原発に対するコントロール感が増して国民の原発許容度が上がるなんてこともあったりして。それが良いことかどうかはわからない、というか怖いことのように思いますが…
Commented by bakock at 2011-03-30 20:59 x
続けてすみません。
一方で、今回の事態を見ると、起こりうることはいつか起きるわけですが、それが起きた場合の損害を見積もるにあたって、原子力の専門家が一般の人々の恐怖心や不合理を過小に評価していたのではないかと思うのです。
自転車を漕げる人には漕げない人の気持ちがわからないという感じでしょうか
Commented by ytk at 2011-03-31 07:12 x
原発事故のほうが自動車事故よりも、感覚のみならず事実としても危険である、と見ることも出来ると思う。
危険を受ける対象をどう設定するかによる。
一個人にとっては、原発事故による死亡確率は自動車事故による死亡確率よりも低いとは言える。
一地域、一国家にとって、自動車事故による消滅確率はゼロだが、原発事故による消滅確率はゼロとはならない。

自動車並みに危険で、自動車並みに被害範囲の狭い原発が開発されたら普及すると思うな。一家に一台我が家の原発、MY原発

あるいは、All or Nothing路線を徹底するか。
原発を一地域に集め、集中管理。MD、対空ミサイル、迎撃戦闘機で完全防御、原発を攻撃した敵国への報復核も配備、と
Commented by Tet at 2011-04-02 00:07 x
確かに仰るとおりの部分も大きいと感じます。

私の場合はそれに付け加えて「自分で負える(コントロールできる)リスク」か「他人を巻き込むリスク」なのかと言う事が様々な判断時に影響するようになってきました。
もちろん「自分一人で負いきれるリスク」というものは社会人としてはあり得ないわけですが、結婚し子どもが出来た今ではそうやって割り切れるものでもなく、昔に比べてリスクを負わないような判断をするようになったと思います。

考えると現代の日本人は「人に巻き込まれてリスクを負う」事を徹底的に避けることが多いと思います。
昔は「人に迷惑をかけない」という個人に対して「一人で背負いこむな」と周りが助ける形だったのが、今は逆なのかなと。
ある意味「お客様は神様です」と言う商売をしていた日本人が、「自分は客だぞ、神様だぞ」と言うようになったのと同じで根本を履き違えて逆転してしまっていうかのようですね。
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:11
NB学生さんへ

>飛行機の恐怖も似たものが

ありますねぇ

>自転車やバイクの方が危ない

メチャメチャ危険ですよね、致死量でいったら。

>という私も飛行機恐怖症

「危険」というのは感覚的なものですからね。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:12
緑川だむさんへ

>「力説しなきゃいけない」点でもう負けている

たしかに恐怖があるわけですから・・・コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:13
M16 さんへ

>核兵器よりAKや対人地雷の方が人殺してるのにねえ。

まあ私は「核兵器」とは言ってませんよ(笑)あくまで「原発」です。コメントありがとうございました。
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:17
yagimaruthecatさんへ

>原発事故で出る影響は死者の数だけで計りきれないでしょう

社会的影響力、という基準ですか?

>一回の事故の影響という見地からは交通事故の比ではない

私は事故を比べているわけじゃなくて「そのテクノロジーが殺している人間の数」という点から論じてます。

>破滅的な大災害と、未来に負の遺産を残すかといったら、そうでもない。

でも人を原発より殺していることは間違いないわけで。

>原発のほうが交通事故より危険である、ということです。

というか、私が言いたいのは「危険であると感じられている」という点です。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:18
ナリさんへ

>メタボリックシンドロームの方が人殺しているけど、痩せるのは自分でコントロールできるから怖さを感じない

うまいたとえですなぁ(笑

>化学的な反論よりも、神道のようなケガレを払うという方が効果的なものかも

なるほど!

>落ち着いた後大相撲の横綱に行って頂いて、土俵入りをやって頂くのが良いのではと考えております。

納得。一理あります。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:21
故郷求めて さんへ

>日常接していてリスクを目にしている、ということと、無くては困るのが明白である、ということも大きい

そしてもこれもの「コントロールできる」という感覚に寄与してますよね

>「とにかく電気がなんとかなるなら原発でも建てて」という潜在的願望も大きいのでは

あるかも知れませんが、それ以上に「原発なくてもいいから節電生活を」みたいに感じる人も増えそうな。

>原発反対派が一番言うのは「無くても困らない」

たしかにこれはけっこう見かけるようになったような。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:24
kmzk さんへ

>戦場に行って銃撃戦をすることの方が、危機に陥っている東電の原発で作業するより安心

アフガニスタンの戦場よりもメキシコとの国境付近で死んでいる人が多いのに、アメリカ人はそれでもメキシコには旅行で行きたがる、みたいな?

>「なんとかできる」気がしてしまいます

これが「コントロール」の感覚かと。

>原発危機は、最悪の事態になったら被害が甚大になるという恐怖

コントロール不能の恐怖ですよね。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:28
野良男さんへ

>影響が人間だけにとどまらないということです。

あるかも知れませんが、ガソリン掘って精製してもってきてエンジンの中で燃やしている時点ですでに自然界にそうとうな影響を与えていると考えたら・・・

>農耕民族であるDNAか、日本人は土を汚したり生態系を汚すことに後ろめたさを感じやすい

これなんですが、私はどうも賛成しかねるところが、日本ほど自国を自然破壊している国は世界にもなかなかないですよ。幸いなことに、日本の風土は自然の回復力がすごいからなんとかなってますが。

>土の上でなくては人は生きることはできません。それゆえら汚染がつきまとう原発に、タブーを感じる

あると思います。しかし外国でも似たようなところはあるのかなぁと。コメントありがとうございました。
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:31
スペースほむらさんへ

>20世紀中に行なわれた虐殺とか粛清とかそういう例を出したほうが

うーん、たしかにそうかも知れませんが、「テクノロジー」と「事故」いう共通項で比べたかったので、あえて原発にしました。

>放射能よりも人の方が人を惨殺しています。ゼロの数がやたらと多いくらい

これはたしかにそうですね。

>人の精神とか心の方がずっと怖いです。

ただし人間は「人の心さえコントロールできるものだ」と考える傾向があるために危険だと感じ無いわけですよね。コメントありがとうございました。
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:34
macht at さんへ

>「危険を可視化できるかどうか」というところとも関わってくる気が

なるほど。見えると怖くないですからね。

>生物に備わった感知能力を超えた領域は「気味悪い」

なるほど。ここまでくるとけっこう深いところにまで話題が・・・コメントありがとうございました。
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:36
waterlooさんへ

>妖怪に似てますね

たしかに。

>対処法がわかると(創作されると)ネタになる

わははは(笑

>今は、科学者

ですね。その通りです。

>遥かに大きいからというのもあると思います。

一発の恐怖ですか。

>いっぱい持ってるおっさんの隣に住むのがやっぱり恐い。

ただし殺している人間の数が一緒だったら・・・・ここはやっぱり「数」じゃないんでしょうなぁ。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:41
残雪さんへ

>いざ自分が運転できる立場になると、他人の運転に恐怖を感じる、すなわち分かるがゆえの恐怖というものも存在

これありますねぇ。

>この場合は、コントロール可能性がなく、かつ最悪の事態の恐ろしさを認知しているが故の恐怖

もしくは、自分はコントロールの仕方を知っているのにそれが実行できない事に対する恐怖、みたいな。

>原発事故も同じで、コントロール可能性がなく、かつ最悪の事態=核爆発 の被害が想像を絶することを認知

この「認知」の部分が極めて心理的だなぁと。

>コントロール不能で最悪の場合甚大な被害が出る(と認知した)状況に対して、人が恐怖心を抱くのは、至極当然です。

わかりますね。

>それを非合理的だと言う事までは出来ない

できませんね。むしろそれはそれで合理的かと。

>このような意図を本文が含んでいないのかもしれませんが、念のため。。

ありがたいご指摘です。私はとにかく心理的な作用の強さを強調したかったのです。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:49
溝下創 さんへ

>どちらにしても、ローリスク、ハイリターンが大好きな人類のゴウマンさのツケを感じます。

ありますね。

>地球は人間だけのものでは無いです。。。

たしかにそうですな。しかしここを突き詰めていくと大変哲学的な話ができそうな。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:53
stranger さんへ

>文章の「原発」を「核兵器」に置き換えると変な論理であることがよくわかります

それはおそらく置き換えること自体が変だからではないでしょうか。

>つまり単純な死者数で考えると、どう考えても「核兵器」よりも「車」のほうが危険なテクノロジー

おっしゃりたいことはなんとなくわかるんですが、原発は核兵器じゃないですからねぇ。残念ながら。

>ヒロシマナガサキ以来核兵器による死者はほとんどないが、自動車事故は多い

まあ純粋な死者数だけで言ったら自動車事故で死んだ人間のほうが歴史上多いかも知れませんが。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:56
waterlooさんへ

>セカンドイメージとファーストイメージが混じっている

うーん、そうですかねぇ。影響が及ぶ範囲という意味でしょうか。

>社会全体という視点での、原発の運用状況と、自動車の運用状況の比較

むしろそれでいいのかと。私は「ファーストイメージに近いほうがコントロールの感覚が生まれるから危険じゃない思う」と言いたかったわけです。

>テクノロジーを狭義にとらえている人が見ると、ここで単体の比較になっているように受け止められかねない

テクノロジーは「システム」ですからね。これは以前このブログのどこかに書いたかと。いつ書いたのかは忘れてしまいましたが(苦笑)コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-04-02 00:59
あかきさんへ

>放射能被害の中の「飲食」に着目してコメント

了解です

>飲食物を口に入れる時に「この1口に入っているかもしれない」という恐怖がある(とする)と、その人の行動や考え方を変えるのに十分である。

食物に入ってしまうからコントロールできない、という感覚かも知れませんね。

>車の場合で考えると、もし政府や法律が「ブレーキを必ず効くようにする必要はない。」としたとすると、車に近づこうとしない人が増える

しかしこれはありえない仮定なのでなんとも・・・

>食事による健康に 比較的感心の高い日本人は、飲食物が犯されて行く恐怖には特に縛られやすいのかなと。

そういう意味で、私は「コントロールできない」という感覚がやはり大きいのかなと考えたわけなんです。

>「この1回で、もしかすると」という考えを加えると恐怖が発生しやすいと。そういう意見

なるほど、了解です。コメントありがとうございました
Commented by ヤックル at 2011-04-03 07:37 x
>「人間社会で大きな影響力を持つのは、事実そのものよりも“人々がどう感じるか”のほうである」
大変もっともな考えだと思います。危険・恐怖というのはあくまでも主観的・個人的なものですから。

それで、死者の数だとか確率といった客観的なデータではなく、
「もし、自分の近くで起こったら?」
という個人的なレベルで判断されているのだと思います。

原発の場合、事故が起これば、命はともかく生活が確実に破壊されることが明らかになりました。
車は個人を破壊しますが、原発は都市レベルで破壊します。

自動車事故は突発的レベルなので「自分だけは大丈夫」と思い込むことができますが、今回のような事故の場合、そう思うことは不可能です。これは「逃げられない」という意味で飛行機事故につながるかもしれません。

つまり、「どこかの誰かが死ぬ」よりも「自分を含めたコミュニティの成員に程度はともかく、確実に被害が出る」ことが危険に感じられるのだと思います。
Commented by えんき at 2011-04-03 22:39 x
コントロールの感覚というのは、分り易い説明だと思います。偽政者側の対策としては下手に啓蒙を図るよりも、恐怖の方向性を誘導して、戦略推進の起爆剤として利用するのが賢いでしょうか。

ところで、これを読んでいて考えたことなのですが、「健康のためなら死んでもいい」「平和のために闘争を」といった本末転倒の考えは(今回の件に当て嵌めると「危険な原発を廃止するためなら資源獲得戦争での戦死も厭わない」とでもなるのでしょうか)、一体どういう心理から生まれるのか疑問に思いました。
Commented at 2011-04-07 14:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by あきこ at 2012-06-28 11:58 x
感覚の考え方は興味深いですが、炭鉱事故と比べるなら、ウラン採掘現場の事故と比較しないといけないだろうし、原子力発電所の事故と比べるなら、火力発電所の事故と比べる必要があるのでは?どっちがコントロールできるかはそこからの話かと。
Commented by masa_the_man at 2012-06-28 17:13
あきこさんへ

>炭鉱事故と比べるなら、ウラン採掘現場の事故と比較しないといけないだろうし

たしかにそうですな。お調べいただけるとありがたいです!

>どっちがコントロールできるかはそこからの話かと。

「できるか」、というよりも「できると感じるか」なんですよね、実際は。コメントありがとうございました
by masa_the_man | 2011-03-29 02:38 | 日記 | Comments(68)