「日本人は土人だ」論について |
いやー、それにしてもカダフィ大佐はすごいですね。いまこれを書いている現在も演説をやっているみたいですが、自国の国民に対して空爆に実弾ですからね(苦笑)
昔、古舘伊知郎がカダフィのことを「中東の暴れん坊将軍」とか言っていたと思いますが、ここまで国民とトップが乖離しているとなれば、いままであまり成功しなかった「斬首戦略」も簡単に成功しそうな気が。
しかし今回の例でも見られたように、追い込まれた指導者というのは、おしなべて「外国からの分断工作だ!」という発言を行うのが通例となってきたような。
さて、ここ連日続けている話の続きというか、その拡大版の話を一つ。
みなさんの中には、ある某有名評論家の「日本人は土人だ」論をご存知かと思われますが、私が最近考えていることとこの理論(?)には少し関係があると思ったので、一言ここで述べておきたいかと。
この人物なんですが、私の解釈だと「日本人は西洋の近代的な概念を全く正しく理解していない、いわば土人と一緒なのだ」という、一見するとかなり乱暴な議論を行っておりまして、この部分は彼だけでなく、その弟子たち周辺にも脈々と受け継がれているように思います。
さて、普通の人が「土人論」を聞いた時の反応として考えられるのは、
●日本人を愚弄した、失礼な分析だ!
●冷徹な分析だ。言い方は失礼だが、それでも白人の日本人に対する優越感情を描いている。
という二つの極端なものかと。
私はこれを初めて聞いた当時はカナダに留学中でして、当然のように周りは(私にとって)外国人だらけだったわけですが、私はこの「日本人土人論」には後者のような反応をしまして、この分析には半分賛成できるようなところがあるなぁと感じておりました。
実際に外から見ても、日本の人文系の学問ではたしかに西洋式のロジカルな考え方をどこまで正確に理解できているかどうか怪しいところもありますし、さらに私のような東洋人に対する(白人からの)差別感情のようなものを肌で感じたことも何度かあります。
ところがこの「土人論」、私の中ではあとの半分がどうしても納得できないところがありまして、それがなんだかわからずに、心の奥底でひっかかっていた、というのがつい数年前までの状況でした。
ところがやはり「戦略文化」について少し考えたことがキッカケで、なぜこの「土人論」について違和感を感じていたのかわかったのです。
昨日までのエントリーで私が言いたかったのは、「人は何かを分析する時に、自分のことをその分析対象の勘定にいれていない」ということであり、また「すべて人間は完全に客観的にはなれない」ということだったかと。
そして私がこの「土人論」が半分ひっかかっていたカギが、この「分析と分析する人物の視点」の部分でした。
遅くなりましたので、続きはまた明日。