戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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「戦略文化」と観察者の主観問題

今日の甲州は午後になってすっかり晴れました。気温は相変わらず低めですが、日差しはかなり春らしくなってきてますね。

さて、バーレーンやリビアがだいぶキナ臭くなってきてますが、こちらは連日やっている話題の続きを。

私がなぜこのような「分析している人の性格」と「分析そのもの」の関連性が気になってしまったのかといえば、すでに述べたようにアメリカの政治言論を追いかけていた十年くらい前の体験に端を発しているところがあるのですが、イギリスに行ってからも似たようなことを追体験しました。

それは何かというと、「戦略文化」(strategic culture)についての議論です。

すでにご存知の方も多いと思われますが、私のイギリスの指導教官は70年代から米ソ核戦略の違いなどについて研究をしていたことがキッカケで、ジャック・スナイダーらと共に戦略文化研究の「第一世代」と呼ばれる人々に属していると考えられております。

それが90年代の後半に「第三世代」と呼ばれる学者たちに批判されたことから再び論争に加わったわけですが、その時の論争の的になったのが、

文化と行為者(アクター)は切り離して考えられるのか

という問題。

これについては、「第三世代」の代表であるアラスター・イアン・ジョンストンなどが、

リアリスト的なユニバーサルな動機によるアクターの「行動」と「文化」は切り離して考えられる

という立場だったのに対し、「第一世代」に属する私の先生は

「アクターの行動と文化は切り離せない」

という立場で応戦したわけです。

これをわかりやすい例で例えると、

第三世代:日本の武士の「戦い方」は文化的特徴を持つが、「戦う」という行為は普遍的なもの。

第一世代:日本の武士の「戦い方」も「戦う」という行為も、すべて日本の文化に影響を受けている。

という違いなのです。

この違いは、一般の人にとってはどうでもいい問題なのかも知れませんが、学問的にはちょっとヘビーな問題を含んできます。なぜなら、これには

われわれは“文化”のような現象を客観的に分析できるのか

という、社会学や文化人類学にとっての永遠の哲学的テーマがからんでくるからです。

これをまたまた言い換えれば、

第三世代:われわれはある現象を、文化の影響を受けずに「客観的」に観察できる。

第一世代:われわれはある現象を、文化の影響を受けて「主観的」にしか観察できない

私はどちらかというと「第一世代」に影響を受けてしまったわけですから(苦笑)、第一世代の考え方、つまり「行為者」と「行為」は切り離せないという考え方に同意しがちになってしまったわけですが、これをまたまた単純に考えると、どうやら以下のような前提が成り立つような気がするのです。つまり、

第三世代:「分析」と「分析する人」は別個の存在である

第一世代」「分析」と「分析する人」は切り離せない

これが私にとっては、「分析」と「分析する人の性格」の関係についての関心につながってきたわけです。

長くなりましたので、続きはまた明日。

今度はある有名評論家やその周辺の人々の「日本人は土人だ」発言について少し考えてみます。
Commented by 上山祐幸 at 2011-02-22 00:49 x
お疲れさまです。

これは、第一世代に分があるのでは無いでしょうか。

分析者も、生きてきた過程の中で文化の影響を受け、主観が形成されている訳ですから、そこからは逃れることはできない。

コンテクストからは、逃れることはできないと考え、

なおかつ、他文化のコンテクストを永遠に理解することはできない、

故に戦略には不確実な面が存在する、とした方がスッキリします。

逆にこれ以外だと、クラウゼヴィッツの言う「戦場の霧」の原因が単なる情報の過多になってしまう恐れがある。まあ、情報の過多も一面ではあるのでしょうが。

第三世代が客観的に見ることのできると主張する根拠が知りたいものです。面白い話題だと思いますが、私的には明日の話題の方が、興趣をそそられます。
Commented by 柴崎力栄 at 2011-02-22 00:59 x
だから、欧州人も土人だとして、科研費をとって、欧州「探検」に出かけた梅棹忠夫の勝ちでしょう。
Commented by takaski at 2011-02-22 01:48 x
何だかジョハリの窓を思い出しますね
分割できる部分、できない部分、そもそも知覚できない部分に分けられるのではないかと
Commented by 秋の空 at 2011-02-22 06:03 x
>「日本人は土人だ」発言について少し考えてみます。
大いにやってください(笑)。柴崎さんコメントに引っ掛けていうと、欧州人を『南蛮人』と呼んでいた秀吉の時代の日本とドーバー海峡の向こうにある『野蛮』たるスペインと戦ったエリザベス女王一世のイギリス。私からみたら当時の地球世界の『先進国』はこの2つの国ぐらいなんで、有名評論家先生の「日本人は土人」観、奥山さんの論考が楽しみです。

あと昨日はFoylesの写真の説明ありがとうございます。
昔、短期間、ロンドンに住んでた時に何回か行ったことがあります。Holland Park からCovent Gardenあたりはよく歩きまわったはずなのですが、私の記憶の中では別の角度からみたFoyles周辺の町並みの印象が強かったのです。『記憶の中のFoyles』ってのも『文化の影響』ってことになりますね。
Commented by nanashi at 2011-02-22 08:13 x
観察者の世界を形成しているのは、言語による分節・分解であって、主観ですら言語の一部だ。認識については、どの言語でも語彙の運用を除けば違いは無い。しかし、政治については相当な違いがある。
日本人は空間の圧縮に耐えられるが、米国人は耐えられない。狭い空間では、英国のように階級化して空間と様式の棲み分けをする。日本人は、無階級なまま尻を少しづつ動かして座席を詰めてしまうような圧縮をしてしまう。
こうした文化の違いは政治の違いでもあり、両文化の接触は本質的に相容れないものだ。
Commented by nanashi at 2011-02-22 08:23 x
捕鯨問題は両文化が相容れない文明の衝突の典型的な例だ。
アングロサクソンは所有の文化であり、プライベートビーチを許す。しかい日本人には本質的に所有はなく管理の意識しかない。
職人としての義務として空間を認識する。捕鯨は職・仕事だ。

英語が普及しアングロサクソン化がすすむ世界の未来は悲惨だ
マルクス主義が予言する世界であり、だから、私はマルクス主義はアングロサクソンの意図した文化兵器だというのだ。あまりにも世界観が似すぎているからだ
世界で日本語が重要な地位を占めるようになれば世界は平和になると予想しているのは、こういう理由だ
Commented by キモオタ at 2011-02-22 15:50 x
なんつうか、第一世代も第三世代もどっちも正しい気はします。

アクターの行動は文化の多大な影響を受けるが、文化のみが行動を決定する訳ではなく 様々な外的な要因によって文化を無視した行動を取ることもある。

純粋な意味での100パーセント客観的な分析は人の構造上 不可能
とかそういうのはとりあえず置いといて

文化の影響を極力排除して、より客観的に観察する事は訓練により可能ですけど

むしろ、その観察によって発見された真実を 他者が受け入れるかどうか?というところが問題のような気がします。

他の誰かが受け入れてくれなければ、例え観察できたとしても
真実や法則を発見したとしても 何の意味も持ちませんから
Commented by キモオタ at 2011-02-22 15:57 x
文化の影響を排した観察や客観的な分析というのは

つまり、それまでの文化を全く無視した観察結果がでる可能性があり
それを既存の文化を影響化において、きちんと認知されるのか否か

そちらの方が重要だと考えます。まぁ、自然科学の分野なら観測結果や実験結果が妥当なら 受け入れざるを得ませんけど

国家戦略のような、いわば文化がそれを決定するような分野で
それまでの文化を無視或いは否定するような観察結果を
だれが受け入れるというのか むしろ自らの文化と主に滅んでも
戦略を変えようとしないのではないか??
というのは考えすぎでしょうか??
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 22:31
上山さんへ

>第一世代に分があるのでは無いでしょうか。

少なくともうちの先生はそう考えていそうです(笑

>コンテクストからは、逃れることはできないと考え、

そうなんですが、これだと分析が出来なくなってしまうという難点が。

>逆にこれ以外だと、クラウゼヴィッツの言う「戦場の霧」の原因が単なる情報の過多になってしまう

そういうことですね

>第三世代が客観的に見ることのできると主張する根拠が知りたいものです

「リアリズム」です。もしくは「合理選択理論」でしょうか

>私的には明日の話題の方が、興趣をそそられます。

もう少ししたら書き始めます。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 22:31
柴崎さんへ

>欧州人も土人だとして、科研費をとって、欧州「探検」に出かけた梅棹忠夫の勝ち

なるほど(笑)基本的に彼らも土人ですからねぇ。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 22:32
takaskiさんへ

>分割できる部分、できない部分、そもそも知覚できない部分に分けられるのではないかと

うまいですなぁ。たしかにそうかも知れません。不可知な部分って重要なんですよね。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 22:35
秋の空さんへ

>私からみたら当時の地球世界の『先進国』はこの2つの国ぐらい

なるほど。

>有名評論家先生の「日本人は土人」観、奥山さんの論考が楽しみです。

あんまり期待されてもハードルが上がってしまって大変なんですが(苦笑

>短期間、ロンドンに住んでた時に何回か行ったことが

なるほど。私はロンドン内には住んだことはないので、逆に羨ましいですなぁ

>Holland Park からCovent Gardenあたりはよく歩きまわった

あそこのあたりはたしかに遊べるところですよね

>『記憶の中のFoyles』ってのも『文化の影響』ってことになりますね。

そうなります(笑)こうやって考えると、「文化」ってそこら中に存在するわけで・・・コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 22:40
nanashi さんへ

>こうした文化の違いは政治の違いでもあり、両文化の接触は本質的に相容れないものだ。

そこで「文明の衝突が起こる」ということですか?nanashiさんの話には「オチ」がないような。

>捕鯨は職・仕事だ。

そしてその結論は?

>アングロサクソン化がすすむ世界の未来は悲惨だ

どのように悲惨なんでしょうか?

>あまりにも世界観が似すぎているからだ

ここがよくわかりません。

>世界で日本語が重要な地位を占めるようになれば世界は平和になると予想しているのは、こういう理由だ

そんな予想をしていたとは知りませんでした。しかしこれはあくまでも「仮定」の話ですよね。「社会主義が世界を覆えば世界は平和になる」というのと似ています。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 22:43
キモオタさんへ

>第一世代も第三世代もどっちも正しい気はします。

それぞれの目的では、ということですよね

>文化の影響を極力排除して、より客観的に観察する事は訓練により可能ですけど

難しいですけどねぇ

>むしろ、その観察によって発見された真実を 他者が受け入れるかどうか?というところが問題

それはありますね。分析が共有できるかどうかという問題だと。

>むしろ自らの文化と主に滅んでも戦略を変えようとしないのではないか??

そういう例はいくらでも歴史に散見できますねぇ。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 22:43
ラッコさん部隊 さんへ

>またnanashiさんが来てる。

そうなんです。コメントありがとうございました
Commented at 2011-02-22 23:35 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by masa_the_man at 2011-02-22 23:38
umi さんへ

>という表現につながるのかなと思いました。

その通りだと思います。これについてはこれからここに書きこむつもりですので、いましばらくお待ちください。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2011-02-24 03:00
Risako さんへ

>ということになるのでしょうか。

うおー、過激だなぁ(笑)むしろ自分のやり方がベストだと思って他の人のやり方にも当てはめる、というほうが近いでしょうか。うーん、たとえが良くない(苦笑)ちょっと考えてみます。過激なコメントありがとうございました
Commented by gucci 新作 財布 at 2013-09-26 17:36 x
コーチ
by masa_the_man | 2011-02-22 00:35 | 日記 | Comments(19)