2010年 11月 24日
「北朝鮮核実験・ミサイル発射」記念論文:その7/7 |
ハルマゲドン症候群
まだ全く取り組まれてない戦略面での問題というのは、政治的な統治構造を標的にするという具体的な問題よりも、やや難しいものだ。敵の政府を破壊して戦争を終わらせるというオプションを無くしてしまうのは、本当に賢明なことなのだろうか?アメリカが敵のリーダーの潜む掩蔽壕をすべて見つけるという実際にはありえない状況では、誰がソ連との戦争を行い、その目的は何にするのだろうか?大規模な反コントロール攻撃を生き残ったソ連の首脳たちにとってそれほど恐れることはないため、このような標的オプションは本当に脅威となり得るのだろうか?
現在のアメリカの国防コミュニティーでは、アメリカ戦略兵力にとって最も重要な標的はソ連の政治支配構造であると考えられている。ところがこのような標的の選別が抑止、もしくは破壊の限定にとってどれくらい重要なのかについては、まだ何も明らかにされていないのだ。
ソ連の支配構造がどのように機能しているのかについてのアメリカ側の理解も完璧ではない。しかしこれは理論上では「さらなる調査によって解決できるテクニカルな問題」でしかない。それよりも問題の焦点としなければならないのは、ソ連の支配構造を本当に攻撃できるのか、という点だ。
戦略家は「痛みのない紛争」や、現在のアメリカの持つ抑止態勢よりもはるかに優秀な態勢やドクトリンを保証できるものではない。しかし彼らは「本土防衛と組み合わせたアメリカの理知的な攻撃戦略を使えば、犠牲者を二千万人ほどに減らすことができるし、これによってアメリカの戦略的脅威をさらに真実味のあるものにするはずだ」と主張している。
もしアメリカが標的選別計画を練り、ソ連の政治、官僚、そして軍のリーダーシップを危機に陥れることができる兵器を獲得することができれば、これは一九六〇年代後半のソ連の確証破壊効果についての見方と同じような役割を果たすことになる。ところがアメリカ側の標的を選別する人々は、まだこの標的オプションをどのように組織したらよいのか決めかねているのだ。
対兵力の攻撃的な目標設定、市民防衛、そして弾道ミサイルと防空態勢の組み合わせをつかえば、アメリカは犠牲者を国家の生き残りと復興ができるだけの数に抑えることができるはずだ。具体的な数はいくつかの要因にも左右されるのだが、これらのいくつかはアメリカ側がコントロールできるもの(本土防衛のレベル)であるし、それらのいくつにも影響(ソ連側の攻撃の量と性質)を与えることができるし、それらのいくつかは誰のコントロールや影響を受けないもの(たとえば天候など)なのだ。われわれが唯一確実にできるのは、アメリカの大多数の国民の生き残りをなんとか確保できるような防衛計画と、ソ連側が仕掛けてくるいかなるダメージのレベルでもわざと許しているような防衛計画の、どちらを選ぶかだけなのだ。
アメリカの大統領というのは、たとえソ連が仕掛けてくる攻撃がいくら恐ろしいものであったとしても、アメリカ国民の犠牲者が一億人以上出ることが予測される場合には、「戦略核攻撃を本当に仕掛けてくるかもしれない」とソ連に信じさせながら脅すことはそもそもできないし、また実際に攻撃するべきでもないのだ。抑止が崩壊した場合に合理的な指針をほとんど提供してくれないようなドクトリンと、大統領が明確な政治目的のために行うようなドクトリンの間には、大きな差があるのだ。
現状をふまえて核戦争が起こった場合を考えてみると、やはり「核戦争では戦略が必要だ」ということになる。「核戦争では戦略が必要になる」という可能性を無視することは、抑止が失敗した時に核によるこの世の終焉をわざわざ選ぶことと一緒なのだ。現在のアメリカの抑止態勢は、根本的な欠陥を抱えている。なぜならそれはアメリカの領土を守ることができるようなものではないからだ。
実際のところ、核戦争が全く意味のない些細な出来事であるということにはならない。むしろそれはソ連側が最近獲得したものを強制的に諦めさせるために行われる可能性が高いのだ。したがって、大統領は戦争を終結させるたけでなく、それを有利な条件で終わらせる能力を持たなければならない。
アメリカは必死で戦いを挑んでくるソ連側の指導者たちに対して、「望む結果を得るまでは、我々はいまよりもさらに激しいレベルの暴力が使われる核戦争を戦う能力と決意がある」ということを信じさせる必要があるのだ。戦時に抑止を機能させるためには、戦うもの同士は「よりよい結果はさらなるエスカレーションを通じて得ることが可能かどうか」を冷静に計算しなければならないからだ。
アメリカにとっての適切な抑止態勢とは、ソ連が戦略的な紛争のいかなるレベルにおいても成功できるような見込みを持つことを拒否することだ。そしてそれはソ連を敗北させる期待のできるものでなければならないし、アメリカ側の損害の可能性を限定的にするような、ある程度合理的な可能性をもつものでなければならないのだ。もちろんこのような抑止態勢は「軍拡競争になる」という意見や、ソ連の新たな軍備を促すために「戦略的不安定の原因となる」といって批判されることが多い。ところが一九七〇年代のソ連の行動によってわかったのは、その兵器の開発や配備についての決断はアメリカ側の行動だけによるものではない、ということだ。ソ連の軍備についての西側の理解はたしかに完璧であるとは言えないが、それでもソ連の兵器に関する決定は、軍拡の動きについての単純な「行動・反応」というモデルでは説明できないのだ。さらに言えば、アメリカが残存率の高い戦略兵力を持てば、ソ連側にとって魅力的となるような第一攻撃目標のまとまりを拒否することができるので、戦略的安定性を確保することができるのだ。
「ハルマゲドン症候群」は、あらゆる核戦略の背後に忍び寄っている。これはアメリカに最大二千万人の犠牲者が出るという事情から、「たとえ八千万人以上の人々が生き残ることができても逆に彼らの命を危険にさらすことになってしまう」という考えや、「二億人のアメリカ人が核戦争で生き残れるわけがない」という考えがその底にある。そうなるとこれは「アメリカで二千万人くらいの犠牲が出るのは仕方ないから、それ以外の八千万人以上の危機にさらされる人間を助けるわけにはいかない」という考えや、「二億人のアメリカ人が核戦争で本当に生き残れる可能性」を疑うことにつながりかねない。
無制限の核戦争において二千万人以上の国民の犠牲を生むような核運用ドクトリンを提言するのは、実際のところあまり気持ちのよいものではない。しかしますます強力になりつつあるソ連に対してアメリカが核の脅威で抑止しようと思うのなら、アメリカの国防コミュニティーが国防計画や効率的な戦争を行う計画と「抑止」を切り離して考えるのは無理である。国防や戦争のための計画についての慎重さというのは、抑止を強化するものである。
まだ全く取り組まれてない戦略面での問題というのは、政治的な統治構造を標的にするという具体的な問題よりも、やや難しいものだ。敵の政府を破壊して戦争を終わらせるというオプションを無くしてしまうのは、本当に賢明なことなのだろうか?アメリカが敵のリーダーの潜む掩蔽壕をすべて見つけるという実際にはありえない状況では、誰がソ連との戦争を行い、その目的は何にするのだろうか?大規模な反コントロール攻撃を生き残ったソ連の首脳たちにとってそれほど恐れることはないため、このような標的オプションは本当に脅威となり得るのだろうか?
現在のアメリカの国防コミュニティーでは、アメリカ戦略兵力にとって最も重要な標的はソ連の政治支配構造であると考えられている。ところがこのような標的の選別が抑止、もしくは破壊の限定にとってどれくらい重要なのかについては、まだ何も明らかにされていないのだ。
ソ連の支配構造がどのように機能しているのかについてのアメリカ側の理解も完璧ではない。しかしこれは理論上では「さらなる調査によって解決できるテクニカルな問題」でしかない。それよりも問題の焦点としなければならないのは、ソ連の支配構造を本当に攻撃できるのか、という点だ。
戦略家は「痛みのない紛争」や、現在のアメリカの持つ抑止態勢よりもはるかに優秀な態勢やドクトリンを保証できるものではない。しかし彼らは「本土防衛と組み合わせたアメリカの理知的な攻撃戦略を使えば、犠牲者を二千万人ほどに減らすことができるし、これによってアメリカの戦略的脅威をさらに真実味のあるものにするはずだ」と主張している。
もしアメリカが標的選別計画を練り、ソ連の政治、官僚、そして軍のリーダーシップを危機に陥れることができる兵器を獲得することができれば、これは一九六〇年代後半のソ連の確証破壊効果についての見方と同じような役割を果たすことになる。ところがアメリカ側の標的を選別する人々は、まだこの標的オプションをどのように組織したらよいのか決めかねているのだ。
対兵力の攻撃的な目標設定、市民防衛、そして弾道ミサイルと防空態勢の組み合わせをつかえば、アメリカは犠牲者を国家の生き残りと復興ができるだけの数に抑えることができるはずだ。具体的な数はいくつかの要因にも左右されるのだが、これらのいくつかはアメリカ側がコントロールできるもの(本土防衛のレベル)であるし、それらのいくつにも影響(ソ連側の攻撃の量と性質)を与えることができるし、それらのいくつかは誰のコントロールや影響を受けないもの(たとえば天候など)なのだ。われわれが唯一確実にできるのは、アメリカの大多数の国民の生き残りをなんとか確保できるような防衛計画と、ソ連側が仕掛けてくるいかなるダメージのレベルでもわざと許しているような防衛計画の、どちらを選ぶかだけなのだ。
アメリカの大統領というのは、たとえソ連が仕掛けてくる攻撃がいくら恐ろしいものであったとしても、アメリカ国民の犠牲者が一億人以上出ることが予測される場合には、「戦略核攻撃を本当に仕掛けてくるかもしれない」とソ連に信じさせながら脅すことはそもそもできないし、また実際に攻撃するべきでもないのだ。抑止が崩壊した場合に合理的な指針をほとんど提供してくれないようなドクトリンと、大統領が明確な政治目的のために行うようなドクトリンの間には、大きな差があるのだ。
現状をふまえて核戦争が起こった場合を考えてみると、やはり「核戦争では戦略が必要だ」ということになる。「核戦争では戦略が必要になる」という可能性を無視することは、抑止が失敗した時に核によるこの世の終焉をわざわざ選ぶことと一緒なのだ。現在のアメリカの抑止態勢は、根本的な欠陥を抱えている。なぜならそれはアメリカの領土を守ることができるようなものではないからだ。
実際のところ、核戦争が全く意味のない些細な出来事であるということにはならない。むしろそれはソ連側が最近獲得したものを強制的に諦めさせるために行われる可能性が高いのだ。したがって、大統領は戦争を終結させるたけでなく、それを有利な条件で終わらせる能力を持たなければならない。
アメリカは必死で戦いを挑んでくるソ連側の指導者たちに対して、「望む結果を得るまでは、我々はいまよりもさらに激しいレベルの暴力が使われる核戦争を戦う能力と決意がある」ということを信じさせる必要があるのだ。戦時に抑止を機能させるためには、戦うもの同士は「よりよい結果はさらなるエスカレーションを通じて得ることが可能かどうか」を冷静に計算しなければならないからだ。
アメリカにとっての適切な抑止態勢とは、ソ連が戦略的な紛争のいかなるレベルにおいても成功できるような見込みを持つことを拒否することだ。そしてそれはソ連を敗北させる期待のできるものでなければならないし、アメリカ側の損害の可能性を限定的にするような、ある程度合理的な可能性をもつものでなければならないのだ。もちろんこのような抑止態勢は「軍拡競争になる」という意見や、ソ連の新たな軍備を促すために「戦略的不安定の原因となる」といって批判されることが多い。ところが一九七〇年代のソ連の行動によってわかったのは、その兵器の開発や配備についての決断はアメリカ側の行動だけによるものではない、ということだ。ソ連の軍備についての西側の理解はたしかに完璧であるとは言えないが、それでもソ連の兵器に関する決定は、軍拡の動きについての単純な「行動・反応」というモデルでは説明できないのだ。さらに言えば、アメリカが残存率の高い戦略兵力を持てば、ソ連側にとって魅力的となるような第一攻撃目標のまとまりを拒否することができるので、戦略的安定性を確保することができるのだ。
「ハルマゲドン症候群」は、あらゆる核戦略の背後に忍び寄っている。これはアメリカに最大二千万人の犠牲者が出るという事情から、「たとえ八千万人以上の人々が生き残ることができても逆に彼らの命を危険にさらすことになってしまう」という考えや、「二億人のアメリカ人が核戦争で生き残れるわけがない」という考えがその底にある。そうなるとこれは「アメリカで二千万人くらいの犠牲が出るのは仕方ないから、それ以外の八千万人以上の危機にさらされる人間を助けるわけにはいかない」という考えや、「二億人のアメリカ人が核戦争で本当に生き残れる可能性」を疑うことにつながりかねない。
無制限の核戦争において二千万人以上の国民の犠牲を生むような核運用ドクトリンを提言するのは、実際のところあまり気持ちのよいものではない。しかしますます強力になりつつあるソ連に対してアメリカが核の脅威で抑止しようと思うのなら、アメリカの国防コミュニティーが国防計画や効率的な戦争を行う計画と「抑止」を切り離して考えるのは無理である。国防や戦争のための計画についての慎重さというのは、抑止を強化するものである。
by masa_the_man
| 2010-11-24 01:35
| 戦略学の論文

