戦略学についてのある論文:その22 |
もちろんこの決断を「東京政府が経済的に首を絞められていたこと」や、「日本の閣僚が限定的な戦争を和平交渉によって終えることができる(十二月七日以前には米軍幹部にとっても不可能な考えではなかった)と思っていたこと」などを考えると、安全保障の計算によれば合理的だったという人もいる。
しかしこのような見解を否定する人は、当時の日本の文化が空想的で反戦略的であったということや、日本の国家指導者たちが単に何も考えておらず非現実的だったと論じている。
たとえばマクレガー・ノックス(MacGregor Knox)は、第二次世界大戦直前に絶大な人気を誇っていた『葉隠れ』(The Way of the Warrior)という一八世紀のサムライの倫理観を記した書物の中の文を引用しながら、「日本の価値観は商人的な合理性だけでなく、戦略そのものの考えも否定することを命じているように見える・・・つまり合理的な計算をするような人間は卑しむべき存在であり、常識的な感覚というのは偉大なことを何も達成しないというのだ。そうなると、ここでは単に強烈に喜んで死を求めるべきだということになる」と論じている。
こうなると、チャーチルと東條の違いは、「ただ単に幸運だっただけ」なのかもしれないことになる。