戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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徹底討論?!「世界観の身につけ方」

今日のイギリス南部は朝から快晴でして、鳥のさえずる声がうるさいくらい。今日も暑くなりそうです。

さて、本ブログをご覧のみなさんにひとつお聞きしたいことが。

私が最近の講演会などで必ずとりあげる「戦略の階層」というものがありますが、ここでそのトップの階層に位置するのが「世界観(ビジョン、アイデンティティー、地理観、歴史観)」であることは、本ブログをご覧のみなさんがたはすでにご存知かも知れません。

そしてこれを見て行くと、どうも世の中で尊敬される人(もしくはロングセラーのヒット商品など)というのは、いずれもこの「世界観」がしっかり身に付いているものばかり。

そうなると成功するために重要になってくるのは「世界観を身につけること」ということになるわけですが、私の中で最近疑問になっているのは、この「世界観」を身につけるためにはわれわれはどうすればいいのか、ということ。

私はその一つの答えが「教育」という名の(他人からの自分に向けた、もしくは自分のための自分による)「プロパガンダ」だと考えておりますが、皆さんはどう思われますでしょうか?

もし「世界観の身につけ方」について一言ありましたら、ぜひお願いします。

みなさんのご意見お待ちしております。
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Commented by vassal_hiro at 2010-06-05 18:02 x
ご無沙汰してます。ルボウのプロジェクトにしばらく携わっていないのでご迷惑おかけしてます。もうしばらくすると再度お手伝いできるかもしれません。

>「世界観」を身につける
これを聞いて思ったのは、幕末の志士です。奥山さんが以前要因としてあげていた実体験・幼少からの教育・読書(だったと思うのですが)に幕末の志士を当てはめると、
1. 実体験ー常に死と隣り合わせ。
2. 幼少の教育ー朱子学的、修身的な教育(論語、漢籍など)。
3. 読書―幼少児からの論語・漢籍など古典に馴染んでいる。

すべての志士がそうだとは言えないかもしれませんが、少なくとも現代日本に生きる人に比べると、世界観を学ぶにあたって機会(?)が多くあったような印象があります。
Commented by 焔剣 at 2010-06-05 18:48 x
哲学とはまた別の概念でしょうか?
Commented by nanashi at 2010-06-05 18:51 x
若い人なら面接に100回失敗することでしょう。
とにかく徹底的に否定されないと頼りになる土台は発見できない。
外国に出ることもいいでしょう。
子供にとっては、隣町に行くことも良いし、とんでもない金持ちの家に遊びに行くことも良いし、とんでもなく貧乏な家に遊びに行くことも良い。
いずれにしても、自分にとって自明のことが揺るぐような経験が必要です。
Commented by エルトリューム at 2010-06-05 20:28 x
横綱論の中でも正真正銘の「横綱」に分類される昭和天皇は、ご幼少の時から、国内最高レベルの人たちに教育を受け、内外の古典を半ば強制的にでも勉強させられた上、実際に日本以外の外国(先進国も途上国も両方とも)に出来るだけ旅行させて自分の目で見て回るという経験を積ませられました。

これが「世界観」という考え方の判断基準を形作ったのは間違い無いでしょう。

結果として、国内にせよ、海外にせよ「最高レベル」の人たちや文物、芸術、学問を経験させたことで初めて、「帝王」としての振る舞い方を自覚(学習)出来たのではなかろうかと。

「世界観」という思想の持ち方にもそれまで積み重ねられた本人の経験と、知識と、時間のかけかたにより大きな「差」が発生するのは、聡明な王様や、馬鹿なお殿様が代わる代わる出てくる世界の王朝の歴史でも証明されるのだと思います。
Commented by 中川信博 at 2010-06-05 21:13 x
>「世界観」を身につける。
実にシンプルな質問です。
ユダヤ、クリスチャンであれば創世記にはじまる世界観、イスラムであればイスラムの世界観、チベットであれば仏教の世界観、インドであればヒンデゥーの世界観、日本であれば神道の世界観、つまり自分の出自に関わる神話と歴史を感じること。
西洋の学者であればキリスト教の教義にある世界観の影響は否めないと思います。西洋人の書いたノウハウ本や成功本はほとんど聖書に出てくる内容です。
一度伊勢神宮に参拝されてはいかがでしょうか。日本人の「世界観(ビジョン、アイデンティティー、地理観、歴史観)」がすべてありますから。
Commented by モノトワ at 2010-06-05 23:00 x
どうすれば世界観が身につくのか、私も切実に知りたいと思っています。このエントリを読んで連想したのは、このブログでも横綱として取り上げられたことのある丹波哲郎氏。

丹波哲郎と言えば大霊界ですが(笑)、彼は、死後の世界は、この世では想像もつかないとてつもなく幸福な世界で、人は死んだら(ごく一部の例外を除いて)みんなこの幸福な世界で暮らすのだとしていました。

彼の死後観が正しいかどうかはともかく(個人的にはとても信じられませんが(笑))、自分も含む皆が、今どのような状況にあろうとも最終的には絶対的な幸福にたどり着くのだと信じ続けたことが、彼の運を横綱レベルにまで高めたような気がします。

この人のことを思うと、世界に対して、ある意味で盲目的とも言える絶対的な信頼を持つことが、世界観を身につけることを助けるのかなという感想を持ちます。
Commented by nanashi at 2010-06-05 23:48 x
代表的な世界観である宗教は、自身や身内の病気や死や悩みが入信のキッカケになっています。健康・生・幸福の揺らぎが、特定の物語と結びつくことで安定を回復するというのが世界観獲得のプロセスでしょう。
Commented by Naotaka_Uzawa at 2010-06-06 00:55
「各民族語は相互に異なる固有の世界像を持つ」(ソシュール)。私は哲学の本を読んでもちっとも理解できませんが・・・やはり言葉を徹底的に勉強することなのかもしれません。国語か・・・辛いですが頑張らなければいけないのかもしれません・・・
Commented by 柴崎力栄 at 2010-06-06 02:48 x
奥山さん。質問(問題の設定)がよくないと思う。第一に、すべての人は世界観をもっているのであって、その世界観の生成発展を一般的に把握するところから始めないといけない。第二に、「成功するために重要」という世界観の意味づけをもっている人間は、小結以下だとは奥山さん自身がなんども説いてきたところでしょう。世界観を成功に結びつけるのは初期設定を間違えているのではないですか。
Commented by カカ at 2010-06-06 03:38 x
中川信博さん
>一度伊勢神宮に参拝されてはいかがでしょうか。

伊勢神宮は、垂仁天皇の時代(西暦3世紀後半~4世紀前半くらい)に出来たものであり、比較的に新しいモノ。それならば、日本の起源である「高天の原」に行くほうをオススメします。ニニギ(神武天皇の曽祖父)は、この「高天」の麓の「高尾張(葛城)」で生まれ、近畿王権が出雲王権を降伏させた後は、近畿王権の大王だった天火明命(古事記によるとニニギの兄上)の命令で、高千穂(九州南部)を派遣され、そこで三代ほど日向の知事を任されていました。

古事記・日本神話の伝承地~高天原史跡ガイド奈良県御所市から
http://takama.sakura.ne.jp/
高天彦神社 高天 天孫降臨神話
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/97.htm
J007高天原の清流音
http://www.youtube.com/watch?v=J_25N9SHcCQ
A055葛城の道-2<高鴨神社~高天彦神社>
http://www.youtube.com/watch?v=0nJWKxJ3Zww
A056葛城の道-3<高天彦神社~極楽寺>
http://www.youtube.com/watch?v=wxy1B2_kegk&feature=related
高天彦神社 Takamahiko Jinja (HD)
http://www.youtube.com/watch?v=tIVK_K4uCNY
Commented by ナリ at 2010-06-06 07:28 x
ああ、横綱論とごっちゃになるなあ。横綱論はあくまで心の平安、仕事運は又別。そして、仕事を成功させるためには、戦略が必要。ただし、この戦略を立てる際に、世界観を持っている方が的確な戦略を下せる。そうした場合、世界観は無意識と意識の両方にかかわることなので、教育だけでは難しいと思います。ただし、歴史や人の話を聞くことで、無意識の世界観が活性化されるので、教育自体の意味は大きいと思います。まずは教育という型から入って、そのうち己によって破り、離れる事が出来れば、世界観を持てるのではないでしょうか。結論、教育と時間が必要だと思います。
Commented by sirimonkon at 2010-06-06 07:49 x
このブログで紹介されていた桜井章一氏の著作を読みました。面白かったし参考にしようと思いました。
自分はこのブログに訪れるまで「運の研究をする」という発想がまったくなかったという人間なので、桜井氏のような価値観・世界観がどのようにして構築されたのか不思議な感じがしました。

「与えられた世界観」だけでなく、それなりに独自の価値観・世界観を育むためには、不安や好奇心をきっかけに長い年月をかけて自ら思索したり悩んだりし、そのような自分自身の経験や考察と相性のよさそうな既存の価値観・世界観とブレンドして築いていくもの、という感じなんですかね。
Commented at 2010-06-06 07:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-06-06 07:58 x
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Commented by nazuna at 2010-06-06 09:09 x
いつも興味深く読まさせて頂いています。

社会科学の文脈での世界観とは人間観とほぼ同義ではないでしょうか。
もしそうであるならば世の中の全ての人間に共通する一般的な行動原理や、ある領域では広範に共有されている行動原理を理解することが世界観を把握する手法になるかと思います。
ここから先は全くの推測ですが、人が精神的な成長の過程で世界観、人間観を理解するときにはその入門書として具体的で親しみやすく、しかしながら汎用性に欠ける物語を手にすることが多いように思えます。
例えば「国家は自らの利益を最大化するために合理的な判断を下す主体である」とか、「日本人は勤勉で手先が器用である」とかそういった類のものです。
そしてこのような自らの基礎となる物語を何冊か胸の中に抱いた上でこれらと矛盾する現実と向き合い、あたかも彫刻を彫るように世界観を止揚しつつ現実的な形に修正していくのではないでしょうか。
Commented at 2010-06-06 10:01 x
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Commented by WIZARD03 at 2010-06-06 10:47 x
日本人の場合、まず最初の第一歩として学校でディプロマシーというゲームをさせるのが一番よいのではないでしょうか?
こちらから攻撃しなければ戦争はないという誤った「世界観」を崩さなければならないからです。
まず安全のありがたみを悟ることが、第一歩です。
Commented by 読んだ人 at 2010-06-06 12:20 x
 世界観」の身につけ方とおっしゃられましても。そもそも、その「世界観」が身についた人間とはどのような考え方や行動をする人間と考えれられてるんですか?
 後、とりあえず何かを身につけるというのならやはり。その身につけたいことの定義をして調べる教えてもらうということをしないと明確な論理として身に付かないかと。例えば国家なら「国家」とはなんぞやという疑問を持つこと、それと同様に世界観なら「世界観」とはなんぞやという疑問を考えることこそ明確な「世界観」を身につける第一歩だと思います。
Commented by 邪ブラック at 2010-06-06 13:44 x
この質問の仕方だと「戦略の階層」と「横綱論」が、ごちゃ混ぜ状態のような感じだと、素人の自分は受けてしまうのですが!

もしかして「戦略の階層」と「横綱論」を、統合する計画でも有るのですか?

ではでは!
Commented by 柴崎力栄 at 2010-06-06 14:21 x
邪ブラックさん。2008年12月の過去ログをご覧ください。既に奥山さんが提示済みの観点です。
Commented by 坂東のあらえびす at 2010-06-06 15:17 x
ありゃ、ささいなtweetからおおごとになっちゃって何か申し訳ないです。ここのコメント欄はレベルが高いので、高校生が大学のゼミに紛れ込んだようないたたまれなさを感じながらカキコw
柴崎力栄さんがおっしゃるように「すべての人は世界観をもっている」のは確かだと思います。レッド・ネックにも世界観はある。ただ皆がそれを言葉にして説明できるか、説明できるとしてそれがある程度の通有性を有するか、ということなのだと思います。
私が抱く問題の焦点のひとつはこうです。我が国には戦後、いやひょっとすると戦前から「ある程度の通有性を有する、言葉にできる世界観」が国民一般に流布せず、それが世論形成の障害となり、不毛な神学論争の乱立を招いているのではないのか、というものです。
そのような意味合いにおいての「世界観」であり、ではそのような「世界観」を身につけるにはどうしたらよいかという問題意識で、当該ブログ管理人様にtweetしました。

Commented by 坂東のあらえびす at 2010-06-06 15:18 x
連投失礼。
念頭においている具体例は、佐藤優さんと宮台真司さんの活動です。一方は『国体の本義』を「経典」とする「世界観」を世間に流布しようとし、他方はヘレニズム・ヘブライイズムを源とする近代合理主義という「世界観」を世間に流布しようとするものです。あるいはトリックスター的には細木数子というのもいます。彼女は安岡正篤の思想の承継者を公言しているように、単なる占い師ではなく、自らの占術の背後にある思想、すなわち「世界観」の伝道を、占いを通じてしているわけです。
かかる見地から、誰がどこでどの時期にどのように「世界観」を身につけるべきか、というのが私がtweetしたことの底流に流れるものでした。
で、その答えなのですが、これ以上は無知蒙昧なる私が中途半端な知識を振り回して馬脚を現すのもアレなので、もうちょっと勉強がすすんでからにw
コメ欄汚し、申し訳ありませんでした。
Commented by elmoiy at 2010-06-06 16:52 x
やはり「異質なものとの接触」が大きいのではないかと思いますね。それは必ずしも楽しいことばかりではなく、むしろ不愉快なことのほうが多いかも知れない。あと、若いときに一度「挫折」を経験していること。

子供のころからGated communityに住み、順調にエリートコースを歩んできたような人間は、「世界観」などというものを意識することがないのかも。最近、新興国でも裕福な中産階級だけが集まって住むGated communityが増えていますが、この中で育った子どもたちは外の環境に触れたことがなく、「想像力の欠如」という問題を抱えるようになるそうです。
Commented by 邪ブラック at 2010-06-06 18:27 x
柴崎先生!

ご指摘ありがとうございますm(--)m!
Commented at 2010-06-06 18:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-06-06 18:52 x
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Commented by 柴崎力栄 at 2010-06-06 18:54 x
奥山さん。「「世界観」を身につけるためにはわれわれはどうすればいいのか」という問いを、a. 組織にとって、と、b. 個人にとって、に区分してひとまず考える。a. 組織にとっては、横綱論の階層を考慮した人的な配置を組織文化として可能にするにはどういう方法が必要とされるのかという風に具体化される。b. 個人にとっては、今回の奥山さんの問いでしょう。第一段階は、中間層のリーダーに如何にして関脇レベルの人材を配置するか、万が一小結で我慢しなければならない場合でも、小結上位から関脇下位に近づいてもらうにはどうするかを考える。(ここで、a.の問いの回答の一部にb.の問いの回答を必要としていることが判る)。こういう意識で、またまた、「海軍大将77人」のサイトを見てしまう。
Commented by 柴崎力栄 at 2010-06-06 19:39 x
第二段階としては、危機的状況になった際のリーダー選出に、小結以下の中間層の妬み・嫉みの感情が悪影響を与えずに、如何にしたら、危機対応リーダーに大関を据えることが可能かを考える。その際の舞台裏の仕組みをどう事前に構築したらいいのかに熟慮を要する。明治日本は、日露戦争時、連合艦隊司令長官に大関である東郷平八郎を、満州軍司令官に関脇最上位である大山巌を選ぶことができた。大山さんは大関ではなかったので、本人にとって任務がかなりきつかったのではないかと写真を見ながら想像している。(ヤマハ創業者川上源一のお別れの会で「時代」を「献奏」する中島みゆきを見るのに似た気持ち)。人間の脳神経系をパソコンに例えれば、CPUパワー、メモリー容量、マザーボードの設計上の上限を越えた演算を課されたら大変だみたいなこと。
Commented by 柴崎力栄 at 2010-06-06 20:18 x
それから、最近、「だれだれは人物だ」ないし「だれだれは人物ではない」という表現を読んだり、聞いたりしなくなりました。慣用語句に「人物」という点からの他の人間の評価を示すことばが消えたのは、現在の日本において結構重要な「喪失物件」ではないかと思う。そういうことばは、人物の可否を見分ける能力を身につけるインセンティブを生み出す。選挙も、政策ではなくて、人物に投票するという発想がなぜなくなったのだろうか。坂東のあらえびすさんの書いていることを読んでいて、こんなことを思い出しました。

そう言えば、旧帝大のある学部の長老の先生が、別の学部の先生たちについて、「あの人たちは品(しな)が落ちるから」と、サラッと言ってのけたのが記憶に残っています。「品」というのも「人物」に通底する人格評価の基準でしょう。(もっともその先生の写真をいま見ると、小結に見えます)。
Commented by 大阪人K at 2010-06-06 23:52 x
これは私自身の主観として思うことですが、世界観とは言語的な物でなく、それより大きな非言語系の体感めいた物のように思えます。
そう仮定すれば、言語の力によってある程度の方向付けは出来ても、それから先は感覚的または直感的な世界になると思います。

それを体系的に行っているのが各種宗教の修行や宗教的な体験になると思います。

ただ、これらの方法による問題点は、普通の人では難しいということと、そしてその方法がその人に合うかどうかという問題があります。

では普通の人で出来る方法とは何なのかという問題が出てきますが、私が思うにそれは例え今日死んでも満足(自殺をする意味でなく)であるという感覚を持つことのように思えます。
そう思うと森羅万象を無理なく自然に受け入れ、世界観を持つを超越して、世界と一体感を持つに至るのではないでしょうか。

ただ、ここまでの感覚に至ると社会的な成功を目指す気にならなくなり、何とも言えないところですが・・・
Commented by 愚人 at 2010-06-07 00:54 x
世界観自体は大半の人が何らかの世界観を持っていると思われますが、教育をもってするとなると、国家レベルでの世界観の統一でしょうか?
世界観を統一するには教育のほかにマスコミの利用があるかと思います。あとは、強制的な社会の変革でしょうか?
戦後、敗戦という社会の変革によって、しばらくの期間、日本人の世界観があるていどまとまっていたのではないかと考えています。
Commented by いづき at 2010-06-07 13:34 x
横で見ると、世界観=文化圏だと思うんですよ。

縦に見ると、世界観は大きく3つに分解されるかと
1 生活習慣+生活環境
 各自の行動範囲内における気候風土風習常識礼節
2 宗教、哲学
 多神一神、3大宗教圏+α
3 言語圏
 差異(方言レベル 文法レベル 文字レベル)

上の3つが同一で無いコミュニティなんてものはまず存在し得ないのは
移民問題に目を向ければこの3つの何かが必ずトラブルの元になっている現状がその証明であるかと。
Commented by nanashi at 2010-06-07 16:09 x
昔は、欧米圏は、宣教師を派遣して医療や教育のサービスを提供しながら入信を誘っていたけれども、最近は、英語教師ですね。
青春期も親の保護から外れるという意味で人生の危機ですから、この時期を狙ってマルクス主義などがてぐすねを引いている。
戦前の日本はマルクス主義で米英と敵対する世界観を持つようになり、滅びたと思いますが、未だにマルクス主義は盛んですからね 日本は。
by masa_the_man | 2010-06-05 17:18 | 日記 | Comments(33)