戦士 vs 兵士
2009年 11月 05日
昨日はまた恒例の火曜日ランチミーティングでして、今回の発表は元グリーンベレーのコースメイトの発表でした。
この彼はテクノロジーとCT、COINの関係について論文を書いているわけですが、今回は先生からある論文を読んでくるように課題を与えられ、それに対して自分の意見を発表しております。
すでにここでも書きましたが、今回議題に上がっているこの論文は、ある戦略学の専門誌に数年前に掲載された「兵士(ソルジャー)と戦士(ウォリアー)はどう違うか」というテーマのもの。
グリーンベレーの訓練を受けた彼はこの二つの「生き物」の違いを肌で実感している人なので、こういうテーマにはうってつけの人選です(笑
基本的に彼の発表は、以下の四つの「正しいポイント」と「間違ったポイント」を中心に論じられました。
まずこの論文の著者が(彼の感覚で)正しいと感じるのは、
1、戦いに個人的かつ内在的に全てをかけているような「兵士」はまれである、という点
2、「戦士」というのは、その背後にある、戦士を道徳的に制限したり支援することになる「社会」の現れである、という点。
3、「戦士」というのは軍隊の支柱であり、摩擦の発生をガードするものだ、という点。
4、「戦士」というのは、その困難とチャンスのために特殊部隊に魅了されることが多い、という点。
ということらしいのです。
それに対して彼がこの論文の間違っている、というか無視していると思う点は、
1、リベラル社会は「戦士」を評価しない。なぜなら純粋な「戦争」というのは道徳的であり、最も望ましい「戦士」というのは非道徳的(amoral)であるために、法律などを遵守するリベラル社会と相容れない存在である、という点。
2、「戦士」という人々の特徴は普通に思われているものよりも内在的(intrinsic)な要素の影響が強く、これは「攻撃的な精神病者」(aggressive psychopaths)というネガティブな言葉で表現されることが多い、という点。
3、戦略や 統一軍事司法法典(UCMJ)、交戦規定(rule of engagements )には道徳面での要素が(実践的な意味で)必要とされているが、これは「非道徳的な戦士」と両立できないというわけではない、という点。
4、(最適な)非道徳性を持つ「戦士」は、医師とほぼ正反対の性格を持つものとして比較することができる、という点。
そしてこの彼の結論としては、
●「戦士」が戦闘のなかで活躍できるのは、そうすることが彼にとって(内在的な理由から)気持ちよく感じるからだ。
●私がいままで見てきた人々の中には、戦闘の中での行動や興奮を楽しむものや、人を殺すことだけに快感を覚えるやつがいた。
●このような人々、つまり引き金を引く人間やボタンを押す人々というのは、彼ら自身の独自の道徳的観念の上から、そうすることが気持ち良いと感じるものなのだ。
と論じておりました。そして最後に彼は、
▶ベトナム戦争というのは「不道徳な戦争」(immoral war)であるという人もいるが、この呼び名は逆に考えると「道徳的な戦争」(moral)が存在することを示している。しかし私が(多少は文明的だった)歩兵だった頃の経験から言えば、そのような言葉は、絶対に、絶対に信じられない。
という「マーシャル・プラン」で有名なジョージ・マーシャル将軍の言葉を引用して議論を終えております。
基本的に彼が言いたかったのは、「戦士のようなやつはやっぱり生まれつきの要素が大きい」ということでした。
ただし空軍大佐は別で、彼は私に対して個人的に「それでも条件付けとか使えば、かなりの割合の人間を戦士にできると思うけどなぁ」と言ってました。
この発表のネタとなった論文にご興味のあるかたは、
Rune Henriksen, “Warriors in Combat--What Makes People Actively Fight in Combat?”, Journal of Strategic Studies, Vol.30, No.2, (April 2007), pp.187-223.
を参照してみてください。
(戦士といえば、この映画)




いずれにしても、殺人者の心理は非常に興味深いです。

→「周囲全体を視認する力に欠け地雷の発見ができない」
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1332919.html
アメリカの都市の郊外で育ったゲーマーで、田舎で狩りをやった経験も、
繁華街で危険な場所を避けて歩いた経験もあまりない人は、
道端に仕掛けられた地雷を見つけるのが特に下手なんですって。
ゲーム「グランツーリスモ5」優勝者、リアルで欧州GT4選手権3位入賞
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1260540.html
ところで、当然、部隊長、司令官、大統領にとって
戦士と兵士のどちらが望ましいかは変わってきますよね。
>北欧神話ですね。
なるほど、そうきましたか。
>ヴァイキングの間では、死後このエインヘリャルに選ばれることこそ、戦士としての最高の栄誉
これってイスラムの殉教のロジックと似たような感覚ですな。
>死を恐れることなく勇敢に戦うことが出来たため、結果、ヴァイキングの勢力拡大へつながっていったと考えられている。
日本にかぎらず、こういう文化は世界共通なところがありますね。コメントありがとうございました
>軍人の間ではこの本はどう評価されているのでしょうか?
基本的に軍人はあまりこの本を読まないかも知れませんが、読んだ人々は一様に高い評価をしていると思います。少なくとも私の知っている限りでは読んだ人間はみな熱心にこの内容を語ります。コメントありがとうございました
>人殺しという最大の禁忌を犯したことへの呵責はなかなか除去できないのではないでしょうか
できないかも知れませんな。
>戦士は禁忌意識を無視できるか無意識下にとどめておくことができるため、高いパフォーマンスを発揮できると考えられます
あまり大っぴらに論じることはできませんが、やはりこれが「好き」という性格の人もいるわけで(苦笑
>お楽しみに人を殺すような輩とは断じて区別しなければなりませんが。
もちろんそうですし、戦士を尊ぶ文化は一様に彼らの高潔さを尊重しておりますよね。
>いずれにしても、殺人者の心理は非常に興味深いです。
極限の心理状態ですからね。コメントありがとうございました
>「周囲全体を視認する力に欠け地雷の発見ができない」
おおっ、これは面白い(笑
>ゲーム「グランツーリスモ5」優勝者、リアルで欧州GT4選手権3位入賞
これは逆に優秀だった例ですな(笑
>戦士と兵士のどちらが望ましいかは変わってきますよね。
もちろんそうだと思います。逆に「戦士」が大統領になったらけっこう悲惨かも知れませんし(苦笑)コメントありがとうございました

>主目的がどこまでも戦闘にある所
こうなるとやっかいですよね。似たようなコメントはけっこう映画ランボーなんかにも出てきますが(笑
>最終戦までの間に何をするかというと、死ぬこともなく毎日戦い続ける
そこに喜びや安らぎを感じるわけですから困り者ですな。
>ウールヴヘジン
オオカミ男ですか。コメントありがとうございました

>そこからさらに区別された狂戦士というのは、戦争を支援する社会における「戦士」の姿の比喩
たしかに「扱いづらさ」では似たようなところが(笑
>日本のカミカゼと同じで一人の自己犠牲で大きな成果を上げる
ほんとうですよね。基本的に「ローカルだ」というところがわからないのかも知れません。コメントありがとうございました

ttp://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm
ある種の優秀な戦士とシリアルキラーは連続していると言うことですかね。