ミーティングの内容:その1
2009年 10月 15日
さて、さっそく昨日のランチミーティングの話の内容を。
先週末にうちの学校で行われた「自由主義の戦争方法」というテーマのカンファレンスは確かにためになったのですが、個人的にはこの火曜日のランチミーティングのほうが似たような仲間と興味深い話ができる点で楽しみが違います。
今学期からこのミーティングの内容が少し変わり、生徒が話すテーマを交互に持ち寄ってそれについてみんなで議論するという形になったことはすでに触れた通りですが、今回は最初の発表者がイギリスの若い学生。
聞くところによるとこの彼はまだ24歳くらいで、すでにこの学校でマスターを終えており、サンドハーストにある陸軍士官学校に入学したかったらしいのですが、腰を悪くしたとかで三ヶ月ほどで退校し、こちらに戻ってきてドクターコースを始めたそうです。
この彼の発表からいきなり始まるのかと思いきや、うちの先生から色々と連絡事項があり、しかも彼の仲間内で話題になっている、陸軍戦略学研究所が発行する「オペレーショナル・アート」を批判した小論文(モノグラフ)についての説明がはじまりました。
Alien: How Operational Art Devoured Strategy(無料でPDFのダウンロード可)
この論文で、「オペレーショナル・アート」という理論とそれの現場での実践の間には驚くほどの差があり、もはやこのような概念は単なる宗教でしかない、という強烈な批判が展開されているそうです。
ところが「戦略家」である先生としてはこのような議論は我慢ならないようであり、しかもこの論文のシリーズを編集している人と知り合いだそうで、「これについて奴と一度話あわなきゃいかん」と憤慨した様子でした。
たしかにクラウゼヴィッツは『戦争論』において、「戦略」のすぐ下に「戦術」のレベルを持ってきておりますし、この「オペレーショナル・アート」という言葉がアメリカで本格的に使われ始めたのは82年になってからなので、それほど古典的な概念というわけではありません。
その次に先生が語り始めたテーマとしては「兵士と戦士の違い」でありまして、これはつまり「人を究極まで戦わせるのは何か」ということであります。
軍隊の中でも、ほとんどの人は「単なる兵士」なのですが、一部には本当に戦うことが心から好きな「戦士」(ウォーリアー)がおりまして、これは何によって差が出るのかという話。
これについては先生は私のコースメイトの元グリーンベレーの生徒にある論文(JSSのもの)を用意してきており、「これを読んで来て感想を聞かせて欲しい」と指示。
私はこの宿題を申し付けられた彼に、個人的にこの「兵士と戦士」を分ける問題についてどう思うのかについて質問したのですが、彼としては
「兵隊ってのは確かに戦う目的を信じているほうが強いけど、軍隊の中には単純に戦うのが好きな奴はいたよ。フランスの傭兵部隊なんかがそれだよね。彼らは戦う目的なんかどうでもよくて、とにかく戦いたいだけなんだもん」
とのこと。これは確かに一理あります。
「戦略の階層」でこれを考えると、これは「世界観」とか「死生観」のレベルまで行く話ですが・・・やはり「アイデンティティー」になるのかも知れません。
いや、単に「技術/戦術」レベルか?!
話が長くなりましたのでこの続きはまた明日。


>デーヴ・グロスマンの「戦争の心理学」と「戦場における『人殺し』の心理学」参考になると思います。
ああ、これは私も読みました。人を殺す「距離」が重要だとか、なかなか地政学に使えそうな指摘もいくつかありました。最後はゲームの危険性を警告しておりましたな。
>私の商売にも関係するので熟読しましたが、一読に値しますよ。
ど、ど、ど、どんな商売に????コメントありがとうございました



近代以降の国軍の兵士は自己が貴族する共同体のために戦うことを義務づけられています。志願にせよ徴兵にせよ。
ですが、中世、近世の騎士、武士、傭兵たちは自己の利益(名誉も含む)をのために戦うという要素を強くもっていたのではないでしょうか。
兵士→戦う目的は「勝利するために戦う」
戦士→戦う目的は「己(おのれ)のために戦う」
なんか漠然としてしまいました。

兵士は戦闘が何かしら目的の為の手段であるが、戦士は戦闘が目的である。
という風に私は理解しております。そして両者を完全に区別できるケースは希だと思います。
>単純に戦うのが好きな奴
日本人でも高部正樹氏などがそうでしょうね。彼を著作を読むと「ああこの人は戦闘がしたいんだな」と判ります。
戦士と兵士の違いはどこから、といった問題は興味深い問題ではあるのですが、私自身は「単純に戦う事が好きな奴」=戦士がこの世に存在するのは当然でしょうし、そもそもこれを特殊な事と見做すほうが私にとっては違和感があります。
戦士が特異に見做されるのは「戦うこと」=「人を殺すこと」が一般的に悪と見做されているからに他なりません。
兵士とは「戦争が仕事」な訳ですが、世の中にはお金や名誉の為ではなく、「仕事が好きだから」という自己完結で働いている方が大勢いらっしゃいます。私だってそうです。小説が好きで書いている、とかそんな感じで。
本質的には「仕事が好き」という人と大差無いでしょう。
『自動車修理工の中には「工員」と「職人」がいる。彼等の違いは何によって生じるのか』を議論するようなものではないかな、と。
その「仕事が好き」にしても、それは人それぞれ、「才能の限界に挑戦したい」だったり、「車の部品を弄っていると幸せ」だったりする訳で……戦士が何故戦士であるのか、その差を生じさせる『何か』というのは、戦士一人一人それぞれで違うのではないでしょうか?
>中世、近世の騎士、武士、傭兵たちは自己の利益(名誉も含む)をのために戦うという要素を強くもっていたのでは
でしょうなぁ。ナポレオンが出てきてあまりに熱狂的な国民兵にびっくりしたくらいですから。
>兵士→戦う目的は「勝利するために戦う」
というか、自分の「国」の勝利のため、という感じでしょうか。
>戦士→戦う目的は「己(おのれ)のために戦う」
「戦いたいから戦う」みたいな自己完結型ですよね(笑)コメントありがとうございました
>兵士は戦闘が何かしら目的の為の手段であるが、戦士は戦闘が目的である。
いいのではないでしょうか。
>両者を完全に区別できるケースは希だと思います。
どうなんでしょう。元グリーンベレーの彼は「けっこうわかりやすい」みたいなこと言ってましたが。
>彼を著作を読むと「ああこの人は戦闘がしたいんだな」と判ります。
いそうですね、そういう人(笑)この間、宮里藍選手が優勝した時のインタビューみたいなのをチラッと読んだんですが、この子はとにかくゴルフしかないんですね。いわゆる「ゴルフ戦士」なんだとわかりました(苦笑)コメントありがとうございました
>そもそもこれを特殊な事と見做すほうが私にとっては違和感があります。
なるほど。ミーティングでは「特殊」というよりも「少数だが必ずいる」という感じでしたが。
>「人を殺すこと」が一般的に悪と見做されているからに他なりません。
たしかにこれはあるでしょうね。「おくりびと」も似たようなものでしょうか(笑
>兵士とは「戦争が仕事」な訳
うーん、正確には「破壊とコントロール」でしょうか。詳しくは『戦略論の原点』をぜひ(笑
>世の中にはお金や名誉の為ではなく、「仕事が好きだから」という自己完結で働いている方が大勢
ですよね。しかもこれで稼げるんだったら最高です。
>「工員」と「職人」がいる。彼等の違いは何によって生じるのか』を議論するようなもの
これはこれで面白そうな議論ですが(笑
>その差を生じさせる『何か』というのは、戦士一人一人それぞれで違うのではないでしょうか?
もちろんです。それを一般化させたいというのが戦略学ではないかと。私はそれが「アイデンティティー」だと思ってますが。コメントありがとうございました