戦略や地政学の視点から国際政治や社会の動きを分析中


by masa_the_man
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こちらの大学のエッセイで高得点をかせぐ方法

今日のイギリス南部はまた朝から雨でして、しかも午後はかなり強く降りました。日本ではなんと台風みたいですが。

昨日お知らせした毎週火曜のランチ・ミーティングなんですが、先生に自分の話すテーマをいくつか提案したら、さっそく返信がありまして、なんと二週間後にはいきなり私の番ということになりました。

話すネタは日本での蓄積があるので(ニヤリ)それなりの数はなんとなく準備できそうなのですが、今回はとりあえず拙訳『戦略論の原点』の中のネタを使って「戦略論の極意」みたいなことを語ってみようと思っております。

このミーティングで私みたいな人間が戦略論の世界的権威の前で「戦略論の極意」みたいな話をするのもどうかと思いますが、まあ「東洋人はこう考えてます」みたいなところでけっこうごまかせるのではないかと(笑

そこで昨日のエントリーの話のつづきと関係してくるんですが、我々が書くエッセイ(小論文)というのは、ある意味でこのランチミーティングでみんなが論じるテーマのように、「基本的に自分が扱うテーマの答えを心の底から信じていないくてもいい」ということが言えてしまいます。

私も随分長いこと留学してますが、これはいまだに心の中で少しひっかかっているところです。

しかし私が経験している限りの範囲で言うと、やはりこちらの社会科学系の論文では、「どれが真実か」というものはそれほど重要じゃないのです。

と書いてしまうとちょっと誤解をする人がいるかも知れないのでさらに説明すると、こちらの論文では、そもそも出されたテーマに「本当に正しい答え」というものはない、という「前提」(アサンプション)があるのです。

「じゃあ答えることに意味はないじゃん」という人もいるかも知れませんが、そうではありません。

そもそもこちらの小論文では何を求められているのかというと、質問への答えの「クオリティー」よりも、それに答えるプロセスの中の議論で「いかに強い説得力で論じているのか」ということなのです。

つまり「議論の強さ」を、短い文の中で十分デモンストレートできてしまえば、それで全てオッケーなのです。

うーん、いまだにちょっと慣れない(苦笑

そして意外なことに、その「議論の強さ」の次に、「そのテーマについて知らなければならない程度の知識の量」が問われてくるのです。

私は日本で大学教育を受けたわけではないのでよくわからないのですが、日本の場合はおそらく順番として、

1、どれだけ知っているか。
2、それをどれだけ上手く説明できているか。

という点がこのような論文の採点基準になると思われますが、こちらの場合はちょっと違っていて、

1、どれだけ説得力があることを論じているか。
2、どれだけ他の議論を知っているのか。

という順番になります。

このように考えると、こっちの社会科学系の大学教育ではとにかく「あるテーマをネタにしていかに上手いディベートをするか」ということが最優先であり、「このディベートを行うためには必然的に調べなければならなくなるから学生の知識もつくはずだ」という考えがその底にあるみたいなんですね。

つまり「アウトプット」(議論という出力)が先で、「インプット」(知識という入力)は後、ということになります。

私は以前このブログで、日本の研究と欧米の研究の違いを「八百屋と料理人の違い」にたとえてみましたが、ここで言っているのはまさにこのこと。

ようするにこちらの知識人としての優秀さは、「知識の品揃え」よりも「その調理方法」に求められる、ということなんですね。

これは少し誇張している部分があるかも知れませんが、これから留学される方がこちらで小論文を書く場合には、大体においてはこういう風なことを念頭に考えておけば間違いないかと。

よって極論すれば、「知識量」よりも「議論の強さ」をひけらかせ!、ということです。
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(ロンドンのある建物への入り口)
Commented by wuhho at 2009-10-08 12:20 x

> これはいまだに心の中で少しひっかかっているところです。

この心にひっかかるは重要だなと思って,投稿しました。
仮に,理屈さえ立てば悪行の限りを尽くしても問題ない,理屈が成立するための根拠や前提条件すら捏造してもばれなければそれで良い,という風潮のことを指しているのだとしたら,真面目に学問に勤しむものとして苦痛となります。

こう考えてみては,どうでしょうか?

「こういう考え方もありうる」
「こういう考え方をする人もいる」
「そういう観点があるのであれば,こういう観点もあるのではないか」

シナリオ・プランニングではないですが,もし○○の立場だったらXXと考えるかもしれない,という観点は,自分が認識していると思っている現実と本当の現実の落差を知る上で良い修行になるのではないでしょうか?問題を取り巻く状況の本質的把握においても役立つのかもしれません。
Commented by wuhho at 2009-10-08 12:20 x
それを踏まえた上で,

じゃあ,そうなると,結局,こうなってしまうのではないか?
その結果として,これらの問題への影響はどうなるのか?
今回の提起には,このような問題も含まれていたのではないか?

といったような突っ込みをしていこうとすると,頭の中で有機的に結びついた知識の集積が必要とされます。そのようなコンピューターならぬ「勘ぴゅーたー」を育てていくためには,関心のある知識を自ら吸い込み味わい消化する習得プロセスが必要となるのでしょう。

以上,あまり役に立たないコメントになってしまったかもしれませんが。。。
Commented by nanashi at 2009-10-08 14:06 x
戦略は真理の追究ではないから。
目的のために、いくつかの真理を手段として利用して達成するアートなんでしょう?
大恐慌の研究は真理の追究からもしれないが、2度目に起こった恐慌の研究は、真理にたどり着かず、誰かの戦略を発見することになるかもしれない。
Commented by ぱんだ at 2009-10-08 19:26 x
日本でも、どれだけ説得力があるように論じられるか、とか議論の重要性は、ある程度求められますが、私は、とても苦手ですね。おかげで、議論を避けて、知識のINPUTに専念してしまうような状況が続いています。
Commented by rop at 2009-10-08 19:53 x
>そもそも出されたテーマに「本当に正しい答え」というものはない、という「前提」(アサンプション)がある

ゲーデルの不完全性定理からしても妥当ではないでしょうか。

>「基本的に自分が扱うテーマの答えを心の底から信じていないくてもいい」

数学でも同じです。この切り口の問題は、この解法の方針を立てて考えればいい・・・という思考が重要です。必ずしも答えを出すことが立派なのではありません。
Commented by elmoiy at 2009-10-08 20:04 x
>理屈さえ立てば悪行の限りを尽くしても問題ない

O.J.シンプソン裁判が典型ですが、アメリカの裁判は当事者の利益や権利を守り、勝ち取ることが最重要で、それが真実の発見に優先します。日本人には馴染みにくい考え方ですね。

>「アウトプット」(議論という出力)が先で、「インプット」(知識という入力)は後

ソクラテスの対話編を読んでも、いかに相手をうまく「説得」するかに重きを置いていますね。欧米人のやり方は、卑俗な喩えでいうなら、女性を説得してうまく口説き落とすやり方と同じ(笑

>そもそも出されたテーマに「本当に正しい答え」というものはない、という「前提」(アサンプション)がある

社会科学というのは、そもそも「コンセプト」や「仮説」の自由競争という性格を持っていますから。
Commented by abbc at 2009-10-09 00:21 x
奥山様始めまして
>基本的に自分が扱うテーマの答えを心の底から信じていなくてもいい
このテーマに思わず反応してしまいました。
といいますのは、私は理系(生物学)なので、理系学問なら真実は一つで実験なり理論なりで決められると思っていたのですが、その思い方が欧米人は違うようなのです。自分の考えとは違う事実が出てきたとき彼らはかなりあっさり考えを変えますが、私を含む日本人は考えを変える前に、どっか見落とし間違えがないかしつこく考慮するように見えます。どっちがいいという話ではなく、彼我のかなり本質的な差ではないかと考えています。
Commented by FN at 2009-10-09 01:50 x
科学哲学の世界でいうK・ポパーの反証可能性と、「『本当に正しい答え』というものはない、という『前提』(アサンプション)」は、親和性が高いと思います。日本の場合は、「絶対的な真理がある」ということがいつのまにか仮定されているように感じられます。

現在の仕事で契約書のチェックを行っていますが、いつも感じることは、ビジネスの前提次第で契約書チェックの際に付すコメントが変わってくるということです。何が適切なのか、ということは状況次第で変わることが多々あるわけで、学校の試験問題のように唯一の解があるとは限りません。この点が実際のビジネスを担当する方に伝わらないことも多々あるようので、どうしたものかと日々悩んでいる部分もあります。

ビジネスの世界に限った話ではありませんが、現実の世界では「相対的な真理」の重要性も結構あるわけで、唯一絶対のものがあると信じてしまうのは、思考の柔軟性を奪ってしまうことになると思っています。
Commented by 秋の空 at 2009-10-09 06:30 x
プラトンを徹底的に疑い続ける人間が、『全ての西洋哲学はプラトンの脚注に過ぎない』と断言する、そういう知の営みを哲学(学問)というのですから、『本当に正しい答えなどない』が全ての前提であります。私はこれに深く同意します。

そして、奥山さんがいつもおっしゃっていることと重なるのですが、日本人のプレゼンテーションには共通する欠点がありますよね。日本人は研究や仕事の目的を最初に述べるのは良いのですが、あと延々と事実の羅列をするんですよね。そんな退屈な話に接すると窓の外の青くすきとおった<秋の空>をぼんやりと眺めてしまう私なんかには、会場の皆が日本人の話を聞いてないのが良く見える(笑)。

わかりやすい話というのは、最初に自分の分野の有名な仮説を紹介、だけど、こんな反例がある、そこでオレはこう考える、ほら、2~3証拠を挙げて見せようか、どうだわかった? すごいだろう! まいったか? という感じですかね。そのために、あらかじめ反論を予想し過去の議論に精通し、知識を確認しておくということになります。日本人のは知識の積み上げから話すボトムアップ。米国生活が長くなるとその反対のトップダウンが好きになってしまいますな。
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:39
wuhho さんへ

>仮に,理屈さえ立てば悪行の限りを尽くしても問題ない,

そうなんですよね。彼らは数学的な考え方をする傾向があるので。

>真面目に学問に勤しむものとして苦痛となります。

そこまで苦痛はないんですが、やはり日本人としてどこかで「真実はあるんじゃないの?」と考えてしまう自分があるんですよね。

>突っ込みをしていこうとすると,頭の中で有機的に結びついた知識の集積が必要とされます。

こっちで宿題として出されるエッセイというのはこれを狙って出しているんですよね。

>「勘ぴゅーたー」を育てていくためには,関心のある知識を自ら吸い込み味わい消化する習得プロセスが必要となる

そうなると本を色々な方向から読めますよね。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:41
nanashi さんへ

>戦略は真理の追究ではないから。

まあ「戦略」というよりも、社会科学一般ということですね。

>目的のために、いくつかの真理を手段として利用して達成するアートなんでしょう?

というよりも、「何が一番効果あるのか」を導き出す理論ですな。

>2度目に起こった恐慌の研究は、真理にたどり着かず、誰かの戦略を発見することになるかもしれない。

「誰かの戦略を発見する」とはどういう意味なんでしょうか?ここをもう少し説明していただけると助かります。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:43
ぱんだ さんへ

>議論の重要性は、ある程度求められますが、私は、とても苦手ですね

まあ基本的に日本人はそういう教育を受けてないですからねぇ。もちろん私も苦手でした。

>おかげで、議論を避けて、知識のINPUTに専念してしまうような状況が続いています。

どこかで「打って出る」という勇気が必要になる時がくるような。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:44
rop さんへ

>ゲーデルの不完全性定理からしても妥当

そこにきましたか。たしかにそうですなぁ。

>数学でも同じです。この切り口の問題は、この解法の方針を立てて考えればいい・・・という思考が重要

そうなんですよね、こっちの学問はおしなべて数学的ですよね。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:48
elmoiy さんへ

>O.J.シンプソン裁判が典型

そういえば私はこの裁判を向こうでリアルタイムで見てました。あれも不可思議な裁判でしたよねぇ。

>真実の発見に優先します。日本人には馴染みにくい考え方

そうなんですよね。日本人にはどこかで「お天道様が見ているんだ」というのがあって(笑

>ソクラテスの対話編を読んでも、いかに相手をうまく「説得」するかに重きを置いていますね

たしかにそうですな。理論が破綻してしまうと「ハイ、次はグラウコンさん〜」みたいに登場人物がどんどん入れ替わっていく(笑

>欧米人のやり方は、卑俗な喩えでいうなら、女性を説得してうまく口説き落とすやり方と同じ

これも数学的なんですよね。

>社会科学というのは、そもそも「コンセプト」や「仮説」の自由競争

あー、これはうまいですねぇ。たしかに言い得て妙です。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:50
abbc さんへ

>その思い方が欧米人は違うようなのです。

あー、理系の学問でもそうなんですか。

>私を含む日本人は考えを変える前に、どっか見落とし間違えがないかしつこく考慮するように見えます。

そうなんですよね。私もこれをしてしまいがちです。

>どっちがいいという話ではなく、彼我のかなり本質的な差ではないかと考えています。

私が以前ここで紹介した「木を見る西洋人、森を見る東洋人」という本にこのエピソードを加えていただきたい(笑)コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:54
FNさんへ

>ポパーの反証可能性と、「『本当に正しい答え』というものはない、という『前提』(アサンプション)」は、親和性が高い

なるほど、そうかも知れません。そうなるとクーンの「パラダイム」も。

>日本の場合は、「絶対的な真理がある」ということがいつのまにか仮定されているように感じられます。

ここなんですよね。

>ビジネスの前提次第で契約書チェックの際に付すコメントが変わってくるということです。

これは社会科学系の学問の論文における最初の「定義」をたてるところでも全く一緒ですね。

>唯一の解があるとは限りません。この点が実際のビジネスを担当する方に伝わらないことも多々ある

こればっかりは体験してもらわないとわからないのかも知れませんが(苦笑

>現実の世界では「相対的な真理」の重要性も結構あるわけで、唯一絶対のものがあると信じてしまうのは、思考の柔軟性を奪ってしまうことになると思っています。

これでいいのかも知れません。私は逆に彼らと長年議論しているうちにようやくわかってきたという程度なのでまだまだですが。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-09 07:58
秋の空さんへ

>『本当に正しい答えなどない』が全ての前提であります。私はこれに深く同意します。

こういう風に考えたほうがスッキリしますよね。

>日本人は研究や仕事の目的を最初に述べるのは良いのですが、あと延々と事実の羅列をする

あー、「八百屋」の悪いところです(苦笑

>会場の皆が日本人の話を聞いてないのが良く見える(笑)。

「あれは拷問だ」という話を外国人から聞いたことあります(苦笑

>最初に自分の分野の有名な仮説を紹介、だけど、こんな反例がある、そこでオレはこう考える、ほら、2~3証拠を挙げて見せようか、どうだわかった? すごいだろう! まいったか? 

これですな(笑)ミアシャイマーなんかとくにこれが得意です。

>あらかじめ反論を予想し過去の議論に精通し、知識を確認しておく

ですね、「イスラエル・ロビー」なんかはこの辺の準備がかなりされていると感じます。

>日本人のは知識の積み上げから話すボトムアップ。米国生活が長くなるとその反対のトップダウンが好きになってしまいますな。

私もトップダウン式に慣れてしまったので大変です(苦笑)コメントありがとうございました
Commented at 2009-10-09 08:44 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by wuhho at 2009-10-09 13:42 x
> としてどこかで「真実はあるんじゃないの?」と考えてしまう

この考えを,的確に,相手の論法に即した形でポイントとして突くことができれば,第一歩ということになるのでしょうか?

以前コメントで,心理学から見れば,洗脳も教育も心理療法もまったく同じもので,違いは目的と到達目標のみで,使われる手法はまったく同じ,と書き込みましたが,ディベートやプレゼンテーションそして学術討論においても,同様のものがあるように見受けられます。

現在師事していらっしゃる先生は,米ソ冷戦期間中における核戦略の大家で,人生の年輪を重ねた老練な方ですから,もしかしたら,masaさんと同じような印象をもたれていらっしゃるかもしれません。

かつてはキリスト教的価値観,冷戦中は人類の生存という問題,現在は?もしかしたら,それが曖昧になってきているのかもしれません。

今から100年前,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を著したマックス・ウェーバーは,同著の最後を,巨大化する官僚機構と魂を失った行政技術者の問題は,今後大きなものになっていくだろう,という趣旨の言葉で締めくくりました。
Commented by wuhho at 2009-10-09 13:45 x
真実にしても,普遍的な価値にしても,明確にすることは難しく,だからこそ,永遠に追求されていくものである。その目的が向上であるとするならば,これからも,もう一つの観点として,本を読む時や,討議をする時など,常に心の隅に留めておくことも大切なのかもしれません。

解らないものは解らないんだから仕方がないではなく,解らないながらも,何かの取り組みを継続していく西洋的アプローチ?は素晴らしいと私は思っています。

相手の張り巡らしたクモの巣に絡め取られるのではなく,一段高い所から,クモの巣が張られていることを認識し,その構造を逆にこちらから明快に解説し,その目的と結果について,一言指摘する形でも,そちらの環境では難しいのでしょうか?

<And The Band Played On Quote Doctors Acting Like Businessmen>
ttp://www.youtube.com/watch?v=TeC6TbLESbQ
Commented by アラスカ at 2009-10-09 22:34 x
>>「アウトプット」(議論という出力)が先で、「インプット」(知識という入力)は後

と言っても、具体的なデータや根拠に突っ込まれるたびにピンチになるのでは困りますから、これは「知識を全く無視する」という意味ではないんでしょうね。
そもそも知識とは考えるうえで、どういう位置にあるべきなんでしょうね?
Commented by masa_the_man at 2009-10-10 08:31
waterlooさんへ

>真実は人の数だけある

ああ、うまいまとめかただと思います(笑)コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-10 08:35
wuhhoさんへ

>そして学術討論においても,同様のものがあるように見受けられます

ありますねぇ。

>かつてはキリスト教的価値観,冷戦中は人類の生存という問題,現在は?もしかしたら,それが曖昧になってきているのかもしれません。

あるでしょうねぇ。それに答えられないから逆に宗教原理主義、というパターンも。

>巨大化する官僚機構と魂を失った行政技術者の問題は,今後大きなものになっていく

まあ当たってますよね。

>真実にしても,普遍的な価値にしても,明確にすることは難しく,だからこそ,永遠に追求されていくもの

ポパーと論争したクーンの立場はこれでしたな。

>解らないながらも,何かの取り組みを継続していく西洋的アプローチ?は素晴らしいと私は思っています。

なるほど。毎日そこに身を置いている人間としてはときどき突っ込みたくなってしまうんですが(苦笑

>一言指摘する形でも,そちらの環境では難しいのでしょうか?

いや、実際にやっている人たちはいます。批判哲学系の人なんかはそれに当てはまるかと。コメントありがとうございました
Commented by masa_the_man at 2009-10-10 08:38
アラスカさんへ

>これは「知識を全く無視する」という意味ではないんでしょうね。

当然です(笑

>そもそも知識とは考えるうえで、どういう位置にあるべきなんでしょうね?

私が言いたかったのは、論文を書くようなプロセスを進める順序としてアウトプットを念頭に置くと知識がよく入ってくる、ということなんです。この際、あえて知識を「材料」としてもいいですね。いくら材料を集めても調理しなけりゃ料理はできないわけですから。コメントありがとうございました
Commented at 2009-10-10 20:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by masa_the_man | 2009-10-08 09:22 | 日記 | Comments(25)