リアリズムの十箇条 |
さて、論文を書くために昔書いたノートをほじくり返していたら、昔書いたリアリズムに関するメモが出てきました。
出典がどこだかわからないのですが、カナダ時代にどこからか書き写したもので、国際関係論におけるリアリズムの「前提」となる十箇条、という内容です。
自分で読み返して興味深かかったので、とりあえず以下に書き写しておきます。
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1、 人間というのは本質的には自己中心的で倫理・道徳的にも欠点を持っており、他人よりも自分たちを高めようとして競争するという原罪的な事実から逃れられない存在である。
2、パワーを求める本能的な情熱や他を支配しようする欲望に比べれば、どの人間も優れていて冷酷で危険なわけではない。
3、人間のパワーへの欲望を絶滅させようとする試みは、ユートピア的な儚い望みである。
4、国際政治はトマス・ホッブスが言ったように「パワーを求める争い」であり、「万人の万人に対する戦い」である。
5、全ての国家の主な義務、つまりその他のすべての国家目標が従属しなければならないものは、国益(national interest)の増進であり、この目的の為にパワーを獲得することである。
6、国際システムにはアナーキー的な性格があるために、国家は潜在的な敵からの攻撃や他国への影響力を行使するための十分な軍事力を獲得するものだ。
7、経済は軍事力よりも国家の安全保障についての貢献度は低い。経済成長が重要なのは、それが主に国家のパワーと威信の拡大を獲得するための手段となるからだ。
8、同盟国の存在は国家の自己防衛力を増加させてくれるのかも知れないが、彼らの忠実や信頼に依存することはできない。
9、国家は自己防衛という任務を果たすために国際安全保障機関や国際法に頼るべきではなく、世界政府的な統治によって国際的な動きを規制・管理するような動きには抵抗するべきだ。
10、もしすべての国家がパワーを最大化することを狙っているのなら、国際関係の「安定」はバランス・オブ・パワーの維持の結果によるものであり、その逆に、反対側の同盟の結成や崩壊などによるバランスが変化すれば、それによって流動化する。
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ここで何度も言っているように、あらゆる「セオリー」や「考え方」には、このような「前提」というものがあります。
このブログを読んでいる皆さんも、自分の周りの世界を見るときに、何かしらの「前提」を基にした「セオリー」のようなものを使って判断しているわけです。
ハイエクは「セオリーが無ければ、現実は無口である」と言いましたが、これは学問だけでなく、一人一人の人間にも当てはまるんですよね。