パワーとは何か |
酒井法子が山梨に来ているということだったので、今日は一日中近所の辺りを探したのですが、結局は彼女を発見できませんでした。
うそです(笑
とりあえず彼女がいたというのは身延のほうでして、神奈川でいえば私が川崎に住んでいるとして、彼女は小田原の辺りに出没していたということになります。
つまり私のいる場所からかなり離れた場所にいたわけで、私が探しにいけるわけがないんです(苦笑
長男は都内で無事保護された(誰に?)と大ニュースになっておりましたが、とにかく芸能人の複雑な人生模様を連日見せられているように思います。
さて、明後日の土曜日に迫りました「コリン・グレイの戦略思想」の講演会で話すことを色々と考えていたことを少し。
すでにお知らせしているように、土曜日には「戦略家とはどういう人なのか」ということや、「そもそも戦略とな何なのか」ということを中心にお話しようと思っているのですが、これを突き詰めて考えていくと、結局行き着くのは、
「パワー(power)とは何か」
という問題であるということを否定できなくなってしまうのです。
ご存知の通り、政治というのはパワーについてのことであり、国際政治というのは国家のパワーの関係についての問題である、という風に端的に言うことができます。
ではこの人間や政治組織が求める「パワー」って何かというと、簡単に言えば「影響力」であり、ロバート・ダールが言うような「AがBに望むことをさせる」ということになるかも知れません。
ではこの影響力が何から構成されているのかというと、ミアシャイマーなどは「ランドパワーである」と唯物的な観点から主張しているのに対し、ナイみたいに「ソフトなものもある」という立場をとる人がおります。
このパワーの働きをわかりやすい形で説明したのがスパイクマンの友人であったアーノルド・ウォルファーズであり、この人は国際政治で争われているパワーというのは、ズバリ、
「お金と一緒である」
と言っているのです。
この指摘で興味深いのは、人間(や国家)は、そもそもこのパワーという「お金を集めること」を目的として働いているのか、それとも「お金を持つことによって得られるもの」を求めているのかどうか、という問いかけと一緒であることがわかるからです。
これについての詳しい説明は土曜日にしますが、国内であれ国際であれ、「政治で争われているのはパワーというお金である」と考えてみると、色々と面白いことが見えてきます。