「北朝鮮核実験・ミサイル発射」記念論文:その6/7 |
アメリカはソ連を打ち負かすことを計画しなければならないのだが、それはその後のアメリカの復興を妨げるような、コストのかかるものであってはいけないのだ。ワシントンの戦争の狙いは、最終手段としてソ連の政治システムを破壊することや、その後の世界秩序が西洋の価値観と合うようなものにすることでなければいけない。
ソ連が最も恐れる脅威は、その政治システムの破壊やその機能に対する重大な損害であろう。したがって、アメリカはソ連のリーダーシップの中枢や、彼らの情報伝達手段、そして国内政治を統治するための手段を破壊できなければならない。
モスクワにある大規模な官僚機能に代表される、きわめて中央集権的な政治構造を持つソ連は、そのような攻撃にはかなり弱いはずである。国家の安全保障機関であるKGBが深刻な危機に陥ると、ソ連政府の機能は麻痺するはずだ。もしモスクワの官僚たちを消滅させたり、被害を与えたり、もしくは孤立化させることができれば、ソ連は混乱に陥って崩壊し、ソ連の指導者たちを残すために国内において徹底した予防措置をとることになるはずだ。アメリカが目標選別と兵器購入において賢明な政策をとることができれば、ソ連のリーダーシップの生き残りを防ぐこともできるのだ。
ソ連という国家を打ち負かすことが戦争の狙いとして定まれば、国防関係者たちはこの目標を達成するために最適な目標選別プランを設定しなければならない。たとえば中央アジアや極東におけるソ連の政治支配は、選択的な核目標の選別によってかなり弱体化できるし、同じことは南コーカサスと東ヨーロッパにも当てはまる。
究極の処罰
アメリカの目標選別の見直しが成功しても、ソ連のリーダーたちは八〇年代中頃までには第三次世界大戦を戦って勝てるような能力を持とうとしている可能性がある。これからも当分続くであろう東西の軍事バランスは、ソ連のリーダーたちに「我々は戦わずに軍事的な成功を納めることができるのだ」という希望を与えるような、実践的な軍事的勝利の理論をソ連の軍事計画者たちに引き続き作らせて行くことになる。
ソ連はアメリカの自己抑止によってソ連社会を処罰するのを思いとどまるということも予期しているのかも知れない。もしアメリカがソ連軍や経済産業基盤に対して大規模な第二撃(報復攻撃)を行うことになっても、その紛争で争われていることや、支配下にある海外の地域が復興のために貢献することになるという事実によって、その結果はソ連にとってもまだ耐えれるようなものであるはずなのだ。
アメリカは一九六〇年代の後半に、ソ連に対する「究極の処罰」として、人口の二〇〜二五%や五〇〜七五%の工業生産能力を破壊することを定めている。ところが一九七〇年代になると、アメリカはソ連経済の回復力に目を向けはじめた。ソ連側の勝利の理論というのは、ソ連が核戦争を生き残ってすぐさま回復するために必要となるものに左右されるからだ。ところがアメリカ政府はソ連経済回復のシナリオの詳細を完全には把握しておらず、そのおかげでこのコンセプトの人気も落ちてしまったのだ。
かなり複雑なソ連経済をモデル化できたとしても、その分析が正しいと確信できるような証拠はあまりにも少ない、という事実は隠せないのだ。分析に使えるデータがあまりにも少ないため、経済の回復にとって重要などの産業を攻撃すれば良いのかという目標選別を行うことは極めて難しいことは誰にもわかるはずだ。
シュレシンジャーは「アメリカは軍事的に受けたダメージを相手にも同じくらい与えることのできる能力を持たなければならない」という主張を行っている。しかし一九七〇年代初期からのアメリカの戦略ではそのバランスを十分に保っているとは言いがたい。アメリカの国防コミュニティーは核戦争に勝ったり負けたりする可能性があるという重要性を認めていないため、目標選別オプションの処罰的な結果から先のことを考えようとしていないのだ。