「北朝鮮核実験・ミサイル発射」記念論文:その2/7 |
アメリカは一九六〇年代後半に「戦略(核兵器の)均衡」(strategic parity)というコンセプトを、それがアメリカの核の傘の信頼性にとってどのような意味を持つのかをあまり考えずに採用している。「均衡のための条件」や「必須の等価」というのは、拡大抑止の義務とは相容れないものだ。なぜならそのような戦略的状況にはそもそも自己抑止が組み込まれているものだからだ。ところが「均衡」というものが実際に示しているのは、アメリカの致命的な利益のいくつかの分野にとってはそれほど重要ではない場合があるということだ。たとえば西ヨーロッパはアメリカにとってあまりにも重要であるために、逆にソ連のリーダーたちは、アメリカが戦略バランスの詳細を度外視して、なぜここまで長い期間にわたってこのような形でコミットするのか驚くほどなのだ。
自滅をうながす脅威
皮肉なことに、「戦争で生き残るための理論」というのは政治的・道徳的に受け入れがたい侮辱である、という主張はかなり多く見られるものだ。たしかに何百万人ものソ連国民の命を奪い、その反動として何千万人ものアメリカ人が死ぬような戦略を主張することは誰にとっても心地よいものではないし、政治的にも道徳的にも受け入れがたいものだ。
しかし、ここでカソリック教会が「正戦論」として示している軍事力行使のための六つの方針は参考になる。つまり軍事力は①正義にのっとった理由があり、②それに正しい意図とある程度の成功の見込みがあり、③成功すれば行使しなかった場合よりもよい未来につながり、④その未来には狙った目標の獲得、または悪を倒すある程度の見込みがあり、⑤非戦闘員に被害を及ぼさない覚悟があり、⑥しかもそれがかなり可能であるような場合に限って行使してもよい、ということなのだ。
これらの指針にはアメリカの政策に参考となるメッセージが含まれている。特に核兵器による脅しがアメリカの外交の武器の一部であり、しかもそれが実質的な運用計画という(単なるこけ脅しではない)脅威を伴っている限りにおいては、アメリカの国防計画担当者たちは核戦争を想定して計画を考える義務があるのだ。また彼らは少なくとも行使された軍事力と達成されるべき政治目標の意図された関係、つまり「戦略」というものについての何からのアイディアを持つべきなのだ。
現在のアメリカの戦略政策は、正戦論の六つ指針の内の、少なくとも三つで不合格だ。なぜなら、その政策には①「敵の勝利を防ぐ」ということ以外には「成功」の定義がなく、②核兵器の効果的な使用が敵への降伏よりも良い未来を約束しているわけでもないし、③戦争に使われる実質的な戦略が具体的な政治目標によって導かれてはいないため、どのような見込みがあるのかさえわからないのだ。簡潔にいえば、アメリカの核戦略は非道徳なのだ。