2009年 05月 19日
バランスオブパワーには二つある |
今日の甲州は朝晴れておりましたが、今は雲が出てきております。過ごしやすい季節ですね。
先週末の講演会から二冊分の本の文章や図の修正、そしてまた横綱に関するミニ講演会開催など、かなり忙しく動いておりましてなかなかブログを更新するヒマがありません。
そのような中で、どこで読んだのか忘れましたが、バランスオブパワーに関する面白い話を読みましたのでこれを一つだけ。
本ブログでもバランスオブパワーについては何度も言及しておりますし、何冊かこれに関する理論書を紹介したことがあります。
もちろんこの概念は実は「地政学」や「愛」と同じように(笑)、なかなか定義しにくいものでありまして、専門の学者たちの間でも意見がわかれることは本ブログをご覧のみなさんでもなんとかくお分かりいただけていると思います。
たとえば現在は「中国にパワーがシフトしている」という議論がけっこうマスコミでも出てきておりますが、それって具体的にどういうものかというと明確に答えられる人っていないんですね。
ミアシャイマーなんかは完全に「陸軍力のバランスだ」と言い切っておりますが、クラウゼヴィッツ的に言えば軍事力も政治的に影響を及ぼせなければなんの意味もないわけです。
そうなると、「政治に影響を与える(軍事)力の配分」とでも言えなくもない。
まあとにかく私が今回のブログで書きたいのは、「バランスオブパワー」と言った場合には、大きくわけて二つあるということです。
どういうことかというと、まず前々回のエントリーでウォルツが述べていたような、「自分に都合の良い有利なバランス」という意味のバランスオブパワー。
これは自分がバランスオブパワーの参加者であった場合には、自分が圧倒的な力を持っていて、他がそれを覆そうとする気を起こさない、という意味での安定です。つまり「非均衡による安定」ということになります。
ところが通常でバランスオブパワーと言った場合、これは全体的に力が均衡しているために安定している状態ができている、という意味が多いわけです。これがスタンダードな「均衡による安定」ですね。
で、イギリスやアメリカのシーパワー国家というのは、どちらかというと前者の「(自分が圧倒的な力を持つ)バランスオブパワー」という概念を歴史的によく使っていた、という事実ですな。
しかもここで大事なのは、バランスされていた側、つまりイギリスの場合は当時のヨーロッパ大陸側にある国々、そして現在のアメリカの場合はアメリカ以外の世界中の国々にとって、それが心地よいものである場合と、かなり不快な場合がある、ということですね。
現代の日本にとっては、アメリカの一極状態という「不均衡による安定」はある意味で「フリーライダー」なので心地いいものですが、ロシアや中国などにとってはどちらかといえば不快である、ということになります。
ところがアメリカの圧倒的な力が落ち始めている(と感じられている)ために、この「不均衡による安定」がどうなるのかというところに注目が集まってきます。これってもしかすると、後者の「均衡による安定」に移行しているプロセスなんでしょうか?
世界政治のパワーバランスを考えた時に、これからアメリカの没落(と感じられること)がどちらの形のバランスオブパワーに落ち着くのか、リアリストたちの間でこれからもこの辺の話題が積極的に論じられて行くことになることは確実ですね。
先週末の講演会から二冊分の本の文章や図の修正、そしてまた横綱に関するミニ講演会開催など、かなり忙しく動いておりましてなかなかブログを更新するヒマがありません。
そのような中で、どこで読んだのか忘れましたが、バランスオブパワーに関する面白い話を読みましたのでこれを一つだけ。
本ブログでもバランスオブパワーについては何度も言及しておりますし、何冊かこれに関する理論書を紹介したことがあります。
もちろんこの概念は実は「地政学」や「愛」と同じように(笑)、なかなか定義しにくいものでありまして、専門の学者たちの間でも意見がわかれることは本ブログをご覧のみなさんでもなんとかくお分かりいただけていると思います。
たとえば現在は「中国にパワーがシフトしている」という議論がけっこうマスコミでも出てきておりますが、それって具体的にどういうものかというと明確に答えられる人っていないんですね。
ミアシャイマーなんかは完全に「陸軍力のバランスだ」と言い切っておりますが、クラウゼヴィッツ的に言えば軍事力も政治的に影響を及ぼせなければなんの意味もないわけです。
そうなると、「政治に影響を与える(軍事)力の配分」とでも言えなくもない。
まあとにかく私が今回のブログで書きたいのは、「バランスオブパワー」と言った場合には、大きくわけて二つあるということです。
どういうことかというと、まず前々回のエントリーでウォルツが述べていたような、「自分に都合の良い有利なバランス」という意味のバランスオブパワー。
これは自分がバランスオブパワーの参加者であった場合には、自分が圧倒的な力を持っていて、他がそれを覆そうとする気を起こさない、という意味での安定です。つまり「非均衡による安定」ということになります。
ところが通常でバランスオブパワーと言った場合、これは全体的に力が均衡しているために安定している状態ができている、という意味が多いわけです。これがスタンダードな「均衡による安定」ですね。
で、イギリスやアメリカのシーパワー国家というのは、どちらかというと前者の「(自分が圧倒的な力を持つ)バランスオブパワー」という概念を歴史的によく使っていた、という事実ですな。
しかもここで大事なのは、バランスされていた側、つまりイギリスの場合は当時のヨーロッパ大陸側にある国々、そして現在のアメリカの場合はアメリカ以外の世界中の国々にとって、それが心地よいものである場合と、かなり不快な場合がある、ということですね。
現代の日本にとっては、アメリカの一極状態という「不均衡による安定」はある意味で「フリーライダー」なので心地いいものですが、ロシアや中国などにとってはどちらかといえば不快である、ということになります。
ところがアメリカの圧倒的な力が落ち始めている(と感じられている)ために、この「不均衡による安定」がどうなるのかというところに注目が集まってきます。これってもしかすると、後者の「均衡による安定」に移行しているプロセスなんでしょうか?
世界政治のパワーバランスを考えた時に、これからアメリカの没落(と感じられること)がどちらの形のバランスオブパワーに落ち着くのか、リアリストたちの間でこれからもこの辺の話題が積極的に論じられて行くことになることは確実ですね。
by masa_the_man
| 2009-05-19 12:15
| 日記