コックスの「理論」論:その5 |
さて、コックスの話の続きを。
彼はセオリーには二つのタイプあって、一つ目は「問題解決理論」であると言ったことまではお話しました。
この問題解決理論、わかりやすいところでは拙訳『大国政治の悲劇』の著者である、ジョン・ミアシャイマーの「オフェンシヴ・リアリズム」などがまさにその典型です。
ミアシャイマーは、まず自身の理論を「記述的」(descriptive)であると同時に「処方箋的」(prescriptive)な理論であると説明しております。
これはどういうことかというと、まず「記述的」というのは、その名の通り、ある複雑なものごとや現実をわかりやすく説明するための理論、ということになります。
具体的には、「冷戦世界は二極構造のシステムである」みたいな感じですね。
ところがもう一方の「処方箋的」というのは、「どうするべきか」という政策や対策などを導き出すためのものなのです。
これをミアシャイマーの例で言えば、「中国は覇権国になる」→「だから封じ込めなければならない」という答えが出てくるわけですね。
ちなみにミアシャイマーは中国については「もう封じ込めるには手遅れだ」と悲観的なのですが(苦笑
このミアシャイマーの二つの理論、実はコックスからみればどちらも「問題解決理論」ということになります。なぜならこれらの二つは、どちらも一つの問題の存在があり、それを解決(記述/処方)しようとしているからですね。
ところがコックスのいう二つ目のセオリーは、これよりももうちょっと物事を根本から見るものです。
これを彼は「批判理論」(critical theory)と呼びます。
この批判理論で問題になるのは、前日のエントリーで説明したように、すでに存在している秩序や問題解決の手順などであり、それを根本から疑うからです。
この理論の有利なところは、あえて言えば視点がデカいということでしょうか。
たとえば問題解決理論のほうが「問題」と「その解決法」のような、ある意味で部分的/局所的なところしか見ていないのに対して、批判理論はその全体的な構造の由来や現実が変化したあとのことまでフォローすることができるという意味で、視点が総体的(ホリスティック)なのです。
鋭い方はすでにお気づきかも知れませんが、これは地政学の大きな学問的な二つの流れと一緒です。つまり
「問題解決理論」= 私が現在研究している「古典地政学」(classical geopolitics)
そして
「批判理論」= 私が最初に受けた政治地理学で主流だった「批判地政学」(critical geopolitics)
という風に対応するわけです。
実際に世界政治の現場で使われているのは「古典地政学」であり、その逆にアカデミック界ではどうしても「批判理論」が強くなりますが、これはコックスの言うように、古典地政学が問題解決に「使える」ものであり、その逆に、批判地政学は批判理論であるために「批判的な意見」意外には何も具体策を導き出してくれないからです。
私は元々このような批判理論の勉強から地政学に入ったのですが、実際にやってみると、やはり問題解決理論である古典地政学のほうが実際的でなかなか面白いんですね。
ただしどちらかに偏ることでなしに、両方からバランス良く見るということが一番大事なのでしょうが・・・。
そういえば学者と実務家の両方の経験を持つジョセフ・ナイ次期米国駐日大使が「理論と現実の両方の間を行き来することが重要だ」みたいなことを言っていたと記憶しますが、これはある意味でこの「問題解決」と「批判」の間を行き来することの重要性につながってくるような気が。
人間、やはりバランスが大切ですね。