2009年 04月 15日
戦略文化:その4(コンスト) |
コンストラクティビズムと戦略文化
一九九〇年代にはコンストラクティビズム(constructivism)の影響によって新しい研究(「第三世代」の研究と呼ばれることもある)が生まれたが、これは戦略文化の理論面を発展させようとしたものであった。この中の何人かは、ネオリアリズムに代わる理論的な枠組みを生み出そうとしている。
コンストラクティビズムの研究では、特に組織のプロセス、歴史、伝統、そして文化などによるアイデンティティーの形成に注目している。コンストラクティビズムは国際システムのレベルにある社会構造や、国際安全保障における規範の役割に焦点を当てるのだ。アレクサンダー・ウェント(Alexander Wendt)によれば、コンストラクティビズムは国家のアイデンティティーと国益というものを「知的な慣習により、社会的に構成されたもの」として見ている(1992: 392)。ヴァレリー・ハドソン(Valerie Hudson)によれば、コンストラクティビズムは「文化というものを、人々の受け取り方、コミュニケーション、そして行動などを決定する、共有された意味の発展的システム」と見なしているという(1997: 28-9)。その結果として、ハドソンは「行動が行われる時、文化というものは状況を決定し、動機を明らかにし、そして成功のための戦略を説明する、文法的な要素を提供する」と考えている(ibid.)。
アラスター・イアン・ジョンストン(Alastair Iain Johnston)の『文化的リアリズム:中国史における戦略文化と大戦略』(Cultural Realism: Strategic Culture and Grand Strategy in Chinese History 1995)は、戦略文化研究の第三世代を代表する著作である。この本では、中国の戦略文化の存在とその性格や、これが外敵に対する軍事力の行使と因果関係があるのかどうかについて調べられている。ジョンストンは戦略文化を「普通に予測できる特定の戦略的選択」から「行動の選択を限定する観念的環境」であるとしている。彼はこの理論を調べるために明王朝(一三六八〜一六四四年)の時代をケーススタディとして選び、ここから色々な分析を行っている。彼はここから中国が「どちらかといえば独りよがりの優越的な世界観と、古代の戦略家の国政術に深く根ざした、抑制の効いて政治主導の、防御的で最低限の軍事力の行使という傾向を見ることができる」という結論を出している。また、ここでは二つの戦略文化が働いているとしており、「第一が象徴化、もしくは観念化された前提や階層化された優先順位、そして第二が明時代の戦略的選択に大きな影響を持った方法論など」である(Johnston 1995: 1)。ジョンストンの結論は、中国はたしかに独特の戦略文化を持っているが、戦略の実行段階になると古典的なレアルポリティークの要素を見せる、ということだ。
ドイツと日本を対象とした戦略文化の研究では、この二国の対外政策の行動において「反軍事的な政治・軍事文化」が大きな役割を果たしていることが注目されている。たとえばトーマス・バージャー(Thomas Berger)は、経済・テクノロジーの力によって日本は冷戦末期に経済(もしくは軍事)超大国大国になったのだが、それでも反軍事的な戦後文化が一九九〇年代の日本の安全保障政策を決定づける重要な要素になったと指摘している。このような意味から、彼は「文化には程度の自律性があり、具体的な“客観的”事実が単に主観的に反映されたものではない」と考えている(Berger 1998: 1)。トーマス・バンコフ(Thomas Banchoff)は、あえてコンストラクティビズム的にドイツの政策を「方針依存的」なモデルとして考えており、これによって歴史との決別を果たすという決定が長期的な対外政策の流れを形成してきたと論じている。(1999: 2)。ジョン・ダフィールド(John Duffield)は、ドイツは新しい方向性を打ち出していたにも関わらず、「一九九〇年からの外交において、当初に恐れていたのは全く反対に、かなり自制的で慎重な行動をしている」と結論づけている(1999: 2)。ダフィールドは以下のような説明をしている。
「安全保障の文化の全体的な影響というのは、一般的な社会や、特に国家のエリート達に、対外政策において特定の行動や政策を行うよう仕向けさせるものなのだ。選択肢の中ではそもそも始めから全く想定されないようなものもあれば、他のものと比べて不適当や効き目が無いものとして拒否されるものもある」 (1999: 771)
これと同じような研究では、軍事組織の文化に着目するものがある。たとえばエリザベス・キアー(Elizabeth Kier, 1995)は、フランスの軍事ドクトリンの中で組織文化が果たしている役割を述べている。スティーヴン・ローゼン(Steven Rosen)はインドの戦略には軍事・組織文化が長期にわたって影響を与えてきたやり方を説明している。ニナ・タンネンワルド(Nina Tannenwald, 1999, 2005)の研究では核兵器のタブーや核不拡散の規範、そしてジェフリー・レグロ(Jeffrey Legro)の第二次世界大戦時の軍事制約の研究も、このような最近の流れに入る。その他にも、ローランド・イーベル(Roland Ebel)、レイモンド・タラス(Raymond Taras)そしてジェームス・コクラン(James Cochrane)は、ラテン・アメリカ諸国の文化が、国内および対外政策の発展において、独特かつ大きな影響を与えていると論じている(1991)。これらの研究によると、 組織文化は戦略の選択に直接的な影響を与える「独立変数」もしくは「干渉変数」であると解釈することができるのだ。
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ケーススタディ4.1:戦略文化の実例
中華人民共和国の場合
中国では戦略行動に対して戦略文化が特に強力な役割を果たしている。研究者たちは現代の中国の戦略文化の中に、レアルポリティークと、主に観念的な哲学的な議論を行うために使われる「孔孟思想」という二つの大きな流れに注目している。スコーベル(Scobell)はこれらの二つの流れが「中国の防御への執着」を形成する役割を果たすことがあると主張している。中国の官僚と軍事指導者たちは、儒教で言われる「平和は貴重である」とうことを繰り返し強調しており、彼らは中国は今まで一度も侵略的だったり拡大主義だったことはないと断言するのだ。アラスター・イアン・ジョンストン(1995)はこれを「どちらかと言えばひとりよがりの優越感を持つ世界観」であると指摘している。ところが中国が純粋に防御的な戦略文化を求めているという主張は、現代の流動的な安全保障環境のおかげで厳しい批判にさらされている。たとえばスコーベル(2002)は、中国の国家主導者たちが「たとえ本質的には攻撃的であろうとも」、自分たちの戦う戦争はすべて正しく防御的なものであると考えていると結論づけている。
アメリカの場合
アメリカの冷戦時代の戦略文化を規定していたいくつかの中心的な原則には、軍事行動、核抑止、そして安全保障の目的を達成する軍事力の有用性というアイディアを共有するという指向性を持つ、「西洋諸国のリーダーシップ」というものがあった。ところが、二〇〇一年九月一一日に発生したアメリカに対するテロ攻撃とブッシュ政権の「テロとの戦争」の宣言は、アメリカの戦略文化に根本的な変化が起こったことを教えている。この新しい戦略文化には、国際安全保障の中でアメリカが支配的な立場にあることを再確認することや、安全保障の目的を達成するためには軍事力の行使も辞さないとする新しい先制攻撃のドクトリン、そしてアメリカの行動を制限しようとする外国の干渉から逃れるために単独行動を行おうとすることなどが含まれる。劇的な変革にも関わらず、これらの新しい戦略文化の方向性は、民主制度と自由を促進するというレトリックと一緒に含まれてしまったのだ(Lantis 2005)。
日本の場合
冷戦期を通じて、日本は平和主義とアメリカとの安全保障同盟によって性格づけられる「反軍事的な政治・軍事文化」を育んできた。「吉田ドクトリン」は日本が経済とテクノロジーの発展に集中しつつもアメリカとの同盟を通じて軍事安全保障を確立することを強調していた。トーマス・バージャーによれば、日本の反軍事的な国民感情は、政治的な妥協を含む、長期間の歴史的なプロセスによって、かなり深く浸透した制度となってしまったのだ。ところが九月一一日のテロ攻撃によって、日本は安全保障に対する脅威に対応するために再軍備化という重要な問題に直面することになった。日本政府はアフガニスタンとイラクで戦うアメリカを始めとする同盟国軍に対して兵站・後方支援を行うことを決定し、軍備の近代化にも本腰を入れ始めた。また日本は世界中の国連の平和維持活動に対しても貢献を始めている(Berger 1998; Hughes 2004)。
北欧地域:デンマーク、フィンランド、スウェーデン、そしてノルウェイの場合
デンマーク、フィンランド、ノルウェイ、そしてフィンランドなどの戦略文化は、冷戦時代を通じて(そしてそれ以前も)大国のそばに位置していたことによって影響を受けている。たとえばスウェーデンとデンマークについての分析では、二つの形の戦略文化があることが判明している。スウェーデンの場合、一つ目の戦略文化では軍隊のプロ化とテクノロジーの高さが強調されており、二つ目の文化では「徴兵制による国民のための軍隊」ということや、「国民が国家に民主的に関与する」という考え方を中心になっている。デンマークに関していえば、これらの二つの流れは「コスモポリタニズム」(cosmopolitanism)と「国防主義」(defencism)という名で知られている。 コスモポリタニズムは、中立性や非軍事的な紛争解決の手段、そして国際同盟や国連などの国際制度機関の重要性を強調する。それとは対照的に、「国防主義」は「平和を欲するなら戦争に備えよ」という格言に代表されるように、軍備の重要性や、北大西洋条約機構(NATO)のような、防衛と抑止を目的とした地域の軍事組織の重要性を強調している (Graeger, Leira 2005; Heikka, 2005)。
ドイツ連邦共和国の場合
ドイツの戦略文化は、地政学的な状況と歴史の記憶の両方の産物だ。西ドイツで深く浸透している教育やメディアによる歴史観は、平和主義による制約と、戦争の罪悪感による反軍事的な態度によって作り上げられたものだ。これらの価値観は、冷戦期を通じて政治制度やエリートたちの間の議論にも根付いてきている。ドイツの国家指導者たちが軍事力の行使をためらうことに疑問を感じ始めたのは、ベルリンの壁の崩壊、ドイツ統一、そしてソ連の解体などが始まってからである。一九九〇年代の学者達の間の議論では、ドイツの対外政策と安全保障政策の「通常化」が中心となっていたが、同時に政治家達の議論も「憲法の制約」から「行動のための責任」という方向に移ってきた。現在でもドイツは国際社会に要請された多国間行動による軍事力の行使を求める「市民パワー」であり続けている(Lantis 2002)。
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一九九〇年代にはコンストラクティビズム(constructivism)の影響によって新しい研究(「第三世代」の研究と呼ばれることもある)が生まれたが、これは戦略文化の理論面を発展させようとしたものであった。この中の何人かは、ネオリアリズムに代わる理論的な枠組みを生み出そうとしている。
コンストラクティビズムの研究では、特に組織のプロセス、歴史、伝統、そして文化などによるアイデンティティーの形成に注目している。コンストラクティビズムは国際システムのレベルにある社会構造や、国際安全保障における規範の役割に焦点を当てるのだ。アレクサンダー・ウェント(Alexander Wendt)によれば、コンストラクティビズムは国家のアイデンティティーと国益というものを「知的な慣習により、社会的に構成されたもの」として見ている(1992: 392)。ヴァレリー・ハドソン(Valerie Hudson)によれば、コンストラクティビズムは「文化というものを、人々の受け取り方、コミュニケーション、そして行動などを決定する、共有された意味の発展的システム」と見なしているという(1997: 28-9)。その結果として、ハドソンは「行動が行われる時、文化というものは状況を決定し、動機を明らかにし、そして成功のための戦略を説明する、文法的な要素を提供する」と考えている(ibid.)。
アラスター・イアン・ジョンストン(Alastair Iain Johnston)の『文化的リアリズム:中国史における戦略文化と大戦略』(Cultural Realism: Strategic Culture and Grand Strategy in Chinese History 1995)は、戦略文化研究の第三世代を代表する著作である。この本では、中国の戦略文化の存在とその性格や、これが外敵に対する軍事力の行使と因果関係があるのかどうかについて調べられている。ジョンストンは戦略文化を「普通に予測できる特定の戦略的選択」から「行動の選択を限定する観念的環境」であるとしている。彼はこの理論を調べるために明王朝(一三六八〜一六四四年)の時代をケーススタディとして選び、ここから色々な分析を行っている。彼はここから中国が「どちらかといえば独りよがりの優越的な世界観と、古代の戦略家の国政術に深く根ざした、抑制の効いて政治主導の、防御的で最低限の軍事力の行使という傾向を見ることができる」という結論を出している。また、ここでは二つの戦略文化が働いているとしており、「第一が象徴化、もしくは観念化された前提や階層化された優先順位、そして第二が明時代の戦略的選択に大きな影響を持った方法論など」である(Johnston 1995: 1)。ジョンストンの結論は、中国はたしかに独特の戦略文化を持っているが、戦略の実行段階になると古典的なレアルポリティークの要素を見せる、ということだ。
ドイツと日本を対象とした戦略文化の研究では、この二国の対外政策の行動において「反軍事的な政治・軍事文化」が大きな役割を果たしていることが注目されている。たとえばトーマス・バージャー(Thomas Berger)は、経済・テクノロジーの力によって日本は冷戦末期に経済(もしくは軍事)超大国大国になったのだが、それでも反軍事的な戦後文化が一九九〇年代の日本の安全保障政策を決定づける重要な要素になったと指摘している。このような意味から、彼は「文化には程度の自律性があり、具体的な“客観的”事実が単に主観的に反映されたものではない」と考えている(Berger 1998: 1)。トーマス・バンコフ(Thomas Banchoff)は、あえてコンストラクティビズム的にドイツの政策を「方針依存的」なモデルとして考えており、これによって歴史との決別を果たすという決定が長期的な対外政策の流れを形成してきたと論じている。(1999: 2)。ジョン・ダフィールド(John Duffield)は、ドイツは新しい方向性を打ち出していたにも関わらず、「一九九〇年からの外交において、当初に恐れていたのは全く反対に、かなり自制的で慎重な行動をしている」と結論づけている(1999: 2)。ダフィールドは以下のような説明をしている。
「安全保障の文化の全体的な影響というのは、一般的な社会や、特に国家のエリート達に、対外政策において特定の行動や政策を行うよう仕向けさせるものなのだ。選択肢の中ではそもそも始めから全く想定されないようなものもあれば、他のものと比べて不適当や効き目が無いものとして拒否されるものもある」 (1999: 771)
これと同じような研究では、軍事組織の文化に着目するものがある。たとえばエリザベス・キアー(Elizabeth Kier, 1995)は、フランスの軍事ドクトリンの中で組織文化が果たしている役割を述べている。スティーヴン・ローゼン(Steven Rosen)はインドの戦略には軍事・組織文化が長期にわたって影響を与えてきたやり方を説明している。ニナ・タンネンワルド(Nina Tannenwald, 1999, 2005)の研究では核兵器のタブーや核不拡散の規範、そしてジェフリー・レグロ(Jeffrey Legro)の第二次世界大戦時の軍事制約の研究も、このような最近の流れに入る。その他にも、ローランド・イーベル(Roland Ebel)、レイモンド・タラス(Raymond Taras)そしてジェームス・コクラン(James Cochrane)は、ラテン・アメリカ諸国の文化が、国内および対外政策の発展において、独特かつ大きな影響を与えていると論じている(1991)。これらの研究によると、 組織文化は戦略の選択に直接的な影響を与える「独立変数」もしくは「干渉変数」であると解釈することができるのだ。
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ケーススタディ4.1:戦略文化の実例
中華人民共和国の場合
中国では戦略行動に対して戦略文化が特に強力な役割を果たしている。研究者たちは現代の中国の戦略文化の中に、レアルポリティークと、主に観念的な哲学的な議論を行うために使われる「孔孟思想」という二つの大きな流れに注目している。スコーベル(Scobell)はこれらの二つの流れが「中国の防御への執着」を形成する役割を果たすことがあると主張している。中国の官僚と軍事指導者たちは、儒教で言われる「平和は貴重である」とうことを繰り返し強調しており、彼らは中国は今まで一度も侵略的だったり拡大主義だったことはないと断言するのだ。アラスター・イアン・ジョンストン(1995)はこれを「どちらかと言えばひとりよがりの優越感を持つ世界観」であると指摘している。ところが中国が純粋に防御的な戦略文化を求めているという主張は、現代の流動的な安全保障環境のおかげで厳しい批判にさらされている。たとえばスコーベル(2002)は、中国の国家主導者たちが「たとえ本質的には攻撃的であろうとも」、自分たちの戦う戦争はすべて正しく防御的なものであると考えていると結論づけている。
アメリカの場合
アメリカの冷戦時代の戦略文化を規定していたいくつかの中心的な原則には、軍事行動、核抑止、そして安全保障の目的を達成する軍事力の有用性というアイディアを共有するという指向性を持つ、「西洋諸国のリーダーシップ」というものがあった。ところが、二〇〇一年九月一一日に発生したアメリカに対するテロ攻撃とブッシュ政権の「テロとの戦争」の宣言は、アメリカの戦略文化に根本的な変化が起こったことを教えている。この新しい戦略文化には、国際安全保障の中でアメリカが支配的な立場にあることを再確認することや、安全保障の目的を達成するためには軍事力の行使も辞さないとする新しい先制攻撃のドクトリン、そしてアメリカの行動を制限しようとする外国の干渉から逃れるために単独行動を行おうとすることなどが含まれる。劇的な変革にも関わらず、これらの新しい戦略文化の方向性は、民主制度と自由を促進するというレトリックと一緒に含まれてしまったのだ(Lantis 2005)。
日本の場合
冷戦期を通じて、日本は平和主義とアメリカとの安全保障同盟によって性格づけられる「反軍事的な政治・軍事文化」を育んできた。「吉田ドクトリン」は日本が経済とテクノロジーの発展に集中しつつもアメリカとの同盟を通じて軍事安全保障を確立することを強調していた。トーマス・バージャーによれば、日本の反軍事的な国民感情は、政治的な妥協を含む、長期間の歴史的なプロセスによって、かなり深く浸透した制度となってしまったのだ。ところが九月一一日のテロ攻撃によって、日本は安全保障に対する脅威に対応するために再軍備化という重要な問題に直面することになった。日本政府はアフガニスタンとイラクで戦うアメリカを始めとする同盟国軍に対して兵站・後方支援を行うことを決定し、軍備の近代化にも本腰を入れ始めた。また日本は世界中の国連の平和維持活動に対しても貢献を始めている(Berger 1998; Hughes 2004)。
北欧地域:デンマーク、フィンランド、スウェーデン、そしてノルウェイの場合
デンマーク、フィンランド、ノルウェイ、そしてフィンランドなどの戦略文化は、冷戦時代を通じて(そしてそれ以前も)大国のそばに位置していたことによって影響を受けている。たとえばスウェーデンとデンマークについての分析では、二つの形の戦略文化があることが判明している。スウェーデンの場合、一つ目の戦略文化では軍隊のプロ化とテクノロジーの高さが強調されており、二つ目の文化では「徴兵制による国民のための軍隊」ということや、「国民が国家に民主的に関与する」という考え方を中心になっている。デンマークに関していえば、これらの二つの流れは「コスモポリタニズム」(cosmopolitanism)と「国防主義」(defencism)という名で知られている。 コスモポリタニズムは、中立性や非軍事的な紛争解決の手段、そして国際同盟や国連などの国際制度機関の重要性を強調する。それとは対照的に、「国防主義」は「平和を欲するなら戦争に備えよ」という格言に代表されるように、軍備の重要性や、北大西洋条約機構(NATO)のような、防衛と抑止を目的とした地域の軍事組織の重要性を強調している (Graeger, Leira 2005; Heikka, 2005)。
ドイツ連邦共和国の場合
ドイツの戦略文化は、地政学的な状況と歴史の記憶の両方の産物だ。西ドイツで深く浸透している教育やメディアによる歴史観は、平和主義による制約と、戦争の罪悪感による反軍事的な態度によって作り上げられたものだ。これらの価値観は、冷戦期を通じて政治制度やエリートたちの間の議論にも根付いてきている。ドイツの国家指導者たちが軍事力の行使をためらうことに疑問を感じ始めたのは、ベルリンの壁の崩壊、ドイツ統一、そしてソ連の解体などが始まってからである。一九九〇年代の学者達の間の議論では、ドイツの対外政策と安全保障政策の「通常化」が中心となっていたが、同時に政治家達の議論も「憲法の制約」から「行動のための責任」という方向に移ってきた。現在でもドイツは国際社会に要請された多国間行動による軍事力の行使を求める「市民パワー」であり続けている(Lantis 2002)。
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by masa_the_man
| 2009-04-15 11:29
| 戦略学の論文

