2009年 04月 13日
戦略文化:その1 |
イントロダクション
近年では多くの人々が、戦略の趨勢に「文化」(culture)というものが強力なインパクトを与えるものであり、最近の様々な事件によって文化が安全保障の中で果たす役割を探るという知的興奮を呼び起こすことになった、と考えはじめている。研究者や実務担当者たちは、戦後のイラクにおける民主制度の定着や米中関係、そして「テロとの戦争」で直面する問題を、「アイデンティティー」や「文化」というレンズを通して解釈するようになったのだ。よって本章では、このような事柄を「概念的なツール」や「政策作りの際の基礎」となる「戦略文化」(strategic culture)というものに注目しながら考えていく。また、ここでは戦略文化のいくつかの「世代」(最近のコンストラクティビストのアプローチも含む)の学問的な業績が考察される。また、本章では戦略文化の「所有権」の問題や、「非政府組織」、「国家」、そして「多くの国家によって構成される」アクターなどが、二十一世紀という時代の中で独特の戦略文化を持ちえるものなのかという点にも注目して見て行くことにする。
「文化」と「安全保障」について考える
国際安全保障における文化の研究のやりかたには、主に三つのアプローチが存在する。一つ目は、文化というものを国家の行動に価値観が加わったものとして説明するものだ。この見方に従えば、文化は「国益」や「パワーの配分」を中心に見る理論を補うような「隙間を埋める」役割で使われることになる。よって文化というのは国家の動きに影響を与える「変数」として考えられるのだが、それでも国際社会のシステムの枠組みによる圧力よりも弱い副次的な役割しか果たさない、ということになる。二つ目のアプローチでは
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表4.1:文化と政治についての様々な見方
●文化は言語、価値観、それに「民主制度の推進」や「戦争の虚しさ」などの意見などを含む「解釈的コード」(interpretive codes)によって構成されている(Parsons 1951)。
●文化は“歴史を通じてある象徴に込められた意味のパターンであり、人々が意思疎通のための方法として象徴的な形で受け継がれているシステムであり、そして人生についての知識や態度を発展させるもの”である(Geertz 1973)。
●文化は“伝統に対して感情移入させることによって人々の集合的な記憶を維持して目覚めさせるダイナミックな器”である(Pye 1985)。
●政治文化は“ある社会の政治体系に関連性をもつ、信念や価値観のまとまり”である(Almond and Verba 1965)。
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文化というものを、全てではないにしても、それなりの数の戦略的行動を説明できる「理論モデル」として捉えている。このアプローチでは、反証可能な文化についての理論をつくるために政治心理学をはじめとする他の分野の知識を使ったり、知識を蓄積していくような研究にも貢献したりすることができる。この感覚から言えば、文化は安全保障政策を「ネオリアリズム」(nerealism)や「ネオリベラル制度主義」(neoliberal institutionalism)と同等か、それ以上にうまく説明するための「独立変数」となる。三つ目のアプローチでは「人間の行動というのはその文化に入り込んでから初めて理解できるものであり、そのために反証可能な理論の探求はそもそも始めから無理である」という考え方をとっている。文化人類学者や社会学者の中には、文化が論証的なもの(つまり「言われたこと」)と非論証的な表現(「言われなかったこと」)が混じり合わさったもので構成されていると考える人もいる。彼らは「文化は信じられないほど強い力持っている」と主張するのだが、それが政策にどのような影響を与えるのかを計測するのは不可能だとしている。
政治文化
「文化が戦略の結果に影響を与える」というアイディアは、トゥキディデスや孫子などの古典の中でもすでに表れている。十九世紀にはプロシアの軍事戦略家カール・フォン・クラウゼヴィッツが「戦争」と「戦略」を、「意思と物理的な力の試し合いである」として、文化と戦略についてのアイディアを発展させている。彼によれば、戦略の目的は戦場で敵を倒すことだけではなく、敵の意思を喪失させることにあることになる。クラウゼヴィッツは社会が本気になれば侵略を行う力を持っていることをは忘れてはならないということ国家のリーダーたちに向けて重ねて強調しているのだが、これは彼がフランス帝国の栄光のために進軍するナポレオン軍を目の当たりにして負けた経験を持っているからだ(Howard 1991)。
第二次世界大戦は、国家が言語、宗教、慣習、そして共有の歴史解釈などにルーツを持つ、いわゆる「国家様式」(national character)に注目する新しい研究の流れを促すことになった。これによって、研究者たちは国家様式がそれぞれの国の戦争の戦い方にどのような影響を与えるのかに興味を持つようになったのだ。たとえばある学者は、日本の文化がアメリカの戦艦に攻撃を行う神風特攻隊や、南太平洋の離島のために死ぬまで戦うような自己犠牲の精神は、どのようにして生まれたのかを研究している(Benedict 1946)。 この著作は「日本の文化を具現化し、偏見を助長するものである」として批判されたのだが、マーガレット・ミード(Margaret Mead)やクロード・レヴィ=ストラウス(Claude Lévi-Strauss)などの社会学者や文化人類学者は、このような研究をさらに続けて発展させている。一九八〇年代になると社会学者のアン・スウィドラー(Ann Swidler)が文化的な「行動の戦略」(strategies of action)というものが仲介的な役割を果たすことを強調することによって、文化と国家の行動の関係性についてさらに複雑なモデルを提案している。スウィドラーは文化を「信念、儀式的な行為、芸術の形、祭典などの他にも、言語、ゴシップ、物語、そして日常生活の儀式など、非公式の文化的行為を含む“意味”の象徴的な器によって構成されるもの」というように極めて幅広く定義している(1986: 273)。マックス・ウェーバー(Max Weber)とタルコット・パーソンズ(Talcott Parsons)の議論を元にして、彼女は国家の行動には「利益主導の戦略」(interest-driven strategies)が仲介的な役割を果たすと主張したのだ。
それよりも以前に、政治学者のゲイブリエル・アーモンド(Gabriel Almond)とシドニー・ヴェルバ(Sidney Verba)たちは、「政治文化」(political culture)への注目を促すような研究を発表しており、彼らはこれを「政治体制に関連した社会の信念や価値観のまとまり」と定義している(1965: 11)。アーモンドとヴェルバたちによると、政治文化とは民主主義の原則や制度、倫理観や軍事力の行使についてのアイディア、個と公の権利、そして世界の中で自国が果たす役割の傾向などについてどのような価値観で取り組めば良いのかという問題も含まれるのだ。彼らはこの政治文化が少なくとも三つのレベル、つまり「経験的、因果的な意思を含む“認知レベル”、価値感や規範、それに倫理判断などを含む“評価レベル”、そして感情的な愛着、アイデンティティーと忠誠のパターン、そして親しさ、嫌悪感、無関心などの感情を含む“表現/感情レベル”」で表れていると論じている(Duffield 1999: 23)。たしかに社会学における文化のモデルはどんどん複雑化したのだが、その後の政治文化についての理論の研究はそれほど発展したとはいえない。批評家たちもこのようなアプローチはそもそも主観的であり、政治文化による「説明力」はそれほど強くないと論じている。文化を解釈するような議論は、社会科学の中で行動学派の革命が起こると同時にその魅力を失ってしまったのだ。もちろん地域研究ではこのようなアイディアは生き残ったのだが、国際関係論の学問の主流ではあまり注目されなくなってしまった。
まとめ
●文化と安全保障政策を結びつける初期の研究では、言語、宗教、慣習、社会化、そして共通の歴史体験の解釈などによって生まれた「国家様式」が注目された。
●文化を使ったアプローチを政治科学の学問に取り入れたのはアーモンドとヴェルバである。彼らによれば、政治文化には民主主義の原則や制度、道徳性や軍事力の行使についての考え方、個と公の権利、そして世界の中で自国が果たす役割の傾向などが含まれるという。
●文化を解釈するような議論は、社会科学の中で行動学派の革命が起こると同時にその魅力を失ってしまった。
近年では多くの人々が、戦略の趨勢に「文化」(culture)というものが強力なインパクトを与えるものであり、最近の様々な事件によって文化が安全保障の中で果たす役割を探るという知的興奮を呼び起こすことになった、と考えはじめている。研究者や実務担当者たちは、戦後のイラクにおける民主制度の定着や米中関係、そして「テロとの戦争」で直面する問題を、「アイデンティティー」や「文化」というレンズを通して解釈するようになったのだ。よって本章では、このような事柄を「概念的なツール」や「政策作りの際の基礎」となる「戦略文化」(strategic culture)というものに注目しながら考えていく。また、ここでは戦略文化のいくつかの「世代」(最近のコンストラクティビストのアプローチも含む)の学問的な業績が考察される。また、本章では戦略文化の「所有権」の問題や、「非政府組織」、「国家」、そして「多くの国家によって構成される」アクターなどが、二十一世紀という時代の中で独特の戦略文化を持ちえるものなのかという点にも注目して見て行くことにする。
「文化」と「安全保障」について考える
国際安全保障における文化の研究のやりかたには、主に三つのアプローチが存在する。一つ目は、文化というものを国家の行動に価値観が加わったものとして説明するものだ。この見方に従えば、文化は「国益」や「パワーの配分」を中心に見る理論を補うような「隙間を埋める」役割で使われることになる。よって文化というのは国家の動きに影響を与える「変数」として考えられるのだが、それでも国際社会のシステムの枠組みによる圧力よりも弱い副次的な役割しか果たさない、ということになる。二つ目のアプローチでは
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表4.1:文化と政治についての様々な見方
●文化は言語、価値観、それに「民主制度の推進」や「戦争の虚しさ」などの意見などを含む「解釈的コード」(interpretive codes)によって構成されている(Parsons 1951)。
●文化は“歴史を通じてある象徴に込められた意味のパターンであり、人々が意思疎通のための方法として象徴的な形で受け継がれているシステムであり、そして人生についての知識や態度を発展させるもの”である(Geertz 1973)。
●文化は“伝統に対して感情移入させることによって人々の集合的な記憶を維持して目覚めさせるダイナミックな器”である(Pye 1985)。
●政治文化は“ある社会の政治体系に関連性をもつ、信念や価値観のまとまり”である(Almond and Verba 1965)。
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文化というものを、全てではないにしても、それなりの数の戦略的行動を説明できる「理論モデル」として捉えている。このアプローチでは、反証可能な文化についての理論をつくるために政治心理学をはじめとする他の分野の知識を使ったり、知識を蓄積していくような研究にも貢献したりすることができる。この感覚から言えば、文化は安全保障政策を「ネオリアリズム」(nerealism)や「ネオリベラル制度主義」(neoliberal institutionalism)と同等か、それ以上にうまく説明するための「独立変数」となる。三つ目のアプローチでは「人間の行動というのはその文化に入り込んでから初めて理解できるものであり、そのために反証可能な理論の探求はそもそも始めから無理である」という考え方をとっている。文化人類学者や社会学者の中には、文化が論証的なもの(つまり「言われたこと」)と非論証的な表現(「言われなかったこと」)が混じり合わさったもので構成されていると考える人もいる。彼らは「文化は信じられないほど強い力持っている」と主張するのだが、それが政策にどのような影響を与えるのかを計測するのは不可能だとしている。
政治文化
「文化が戦略の結果に影響を与える」というアイディアは、トゥキディデスや孫子などの古典の中でもすでに表れている。十九世紀にはプロシアの軍事戦略家カール・フォン・クラウゼヴィッツが「戦争」と「戦略」を、「意思と物理的な力の試し合いである」として、文化と戦略についてのアイディアを発展させている。彼によれば、戦略の目的は戦場で敵を倒すことだけではなく、敵の意思を喪失させることにあることになる。クラウゼヴィッツは社会が本気になれば侵略を行う力を持っていることをは忘れてはならないということ国家のリーダーたちに向けて重ねて強調しているのだが、これは彼がフランス帝国の栄光のために進軍するナポレオン軍を目の当たりにして負けた経験を持っているからだ(Howard 1991)。
第二次世界大戦は、国家が言語、宗教、慣習、そして共有の歴史解釈などにルーツを持つ、いわゆる「国家様式」(national character)に注目する新しい研究の流れを促すことになった。これによって、研究者たちは国家様式がそれぞれの国の戦争の戦い方にどのような影響を与えるのかに興味を持つようになったのだ。たとえばある学者は、日本の文化がアメリカの戦艦に攻撃を行う神風特攻隊や、南太平洋の離島のために死ぬまで戦うような自己犠牲の精神は、どのようにして生まれたのかを研究している(Benedict 1946)。 この著作は「日本の文化を具現化し、偏見を助長するものである」として批判されたのだが、マーガレット・ミード(Margaret Mead)やクロード・レヴィ=ストラウス(Claude Lévi-Strauss)などの社会学者や文化人類学者は、このような研究をさらに続けて発展させている。一九八〇年代になると社会学者のアン・スウィドラー(Ann Swidler)が文化的な「行動の戦略」(strategies of action)というものが仲介的な役割を果たすことを強調することによって、文化と国家の行動の関係性についてさらに複雑なモデルを提案している。スウィドラーは文化を「信念、儀式的な行為、芸術の形、祭典などの他にも、言語、ゴシップ、物語、そして日常生活の儀式など、非公式の文化的行為を含む“意味”の象徴的な器によって構成されるもの」というように極めて幅広く定義している(1986: 273)。マックス・ウェーバー(Max Weber)とタルコット・パーソンズ(Talcott Parsons)の議論を元にして、彼女は国家の行動には「利益主導の戦略」(interest-driven strategies)が仲介的な役割を果たすと主張したのだ。
それよりも以前に、政治学者のゲイブリエル・アーモンド(Gabriel Almond)とシドニー・ヴェルバ(Sidney Verba)たちは、「政治文化」(political culture)への注目を促すような研究を発表しており、彼らはこれを「政治体制に関連した社会の信念や価値観のまとまり」と定義している(1965: 11)。アーモンドとヴェルバたちによると、政治文化とは民主主義の原則や制度、倫理観や軍事力の行使についてのアイディア、個と公の権利、そして世界の中で自国が果たす役割の傾向などについてどのような価値観で取り組めば良いのかという問題も含まれるのだ。彼らはこの政治文化が少なくとも三つのレベル、つまり「経験的、因果的な意思を含む“認知レベル”、価値感や規範、それに倫理判断などを含む“評価レベル”、そして感情的な愛着、アイデンティティーと忠誠のパターン、そして親しさ、嫌悪感、無関心などの感情を含む“表現/感情レベル”」で表れていると論じている(Duffield 1999: 23)。たしかに社会学における文化のモデルはどんどん複雑化したのだが、その後の政治文化についての理論の研究はそれほど発展したとはいえない。批評家たちもこのようなアプローチはそもそも主観的であり、政治文化による「説明力」はそれほど強くないと論じている。文化を解釈するような議論は、社会科学の中で行動学派の革命が起こると同時にその魅力を失ってしまったのだ。もちろん地域研究ではこのようなアイディアは生き残ったのだが、国際関係論の学問の主流ではあまり注目されなくなってしまった。
まとめ
●文化と安全保障政策を結びつける初期の研究では、言語、宗教、慣習、社会化、そして共通の歴史体験の解釈などによって生まれた「国家様式」が注目された。
●文化を使ったアプローチを政治科学の学問に取り入れたのはアーモンドとヴェルバである。彼らによれば、政治文化には民主主義の原則や制度、道徳性や軍事力の行使についての考え方、個と公の権利、そして世界の中で自国が果たす役割の傾向などが含まれるという。
●文化を解釈するような議論は、社会科学の中で行動学派の革命が起こると同時にその魅力を失ってしまった。
by masa_the_man
| 2009-04-13 09:57
| 戦略学の論文

