ウクライナの戦場でゲームに興じる兵士たち |


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2023年 12月 02日
今日の横浜北部は雲がありながらもよく晴れましたが、とにかく寒かったですね。 さて、復活第二弾の試訳です。これはウクライナでの兵士たちが、日常的にオンラインゲームをプレーしている様子を現地取材したものです。NYタイムズ紙の記事なんですが、記者はアメリカの元海兵隊の歩兵。 === by トーマス・ギボンズネフ 2023年8月21日 戦車の戦争には『World of Tanks』がある。 ウクライナの数百マイルに及ぶ前線のどこかで、ウクライナの兵士がおそらくビデオゲームの『World of Tanks』をプレイしていることだろう。ある戦争の英雄は最近、ログイン情報を紛失したため新しいアカウントを開設しなければならなかったが、ゲームをしていたことを認めた。 6月の訓練中、戦争で最も血なまぐさい戦いのひとつが繰り広げられたバフムート郊外の国境警備隊がプレイしているのが見つかった。また、昨年昼食を取っているところを目撃された戦車乗組員は、T-80主力戦車の車体に『World of Tanks』のロゴを貼り付けていた。 昨年、キエフ郊外での戦闘で装甲兵員輸送車を破壊し、ロシア軍戦車に損害を与えた本物の戦車を指揮したことで世間の注目を集めたナザール・ヴェルニホラ中尉は、「暇があれば時々プレイしている」と語った。 ウクライナの戦場ではスターリンク衛星インターネットが普及しており、兵士たちはスマートフォンを持っている。モバイルゲームの魅力は明らかだ。戦争は退屈な時間が長く続くことが多い。『ワールド・オブ・タンクス』があるため、兵士たちの不朽の娯楽である、大きな石に小さな石を投げるゲームに走るわけがない。 第二次世界大戦以来、ヨーロッパで最も残酷な陸上戦のさなかに、暴力的なビデオゲームで遊びたいという衝動は不可解に思えるかもしれないが、それは兵士たちが周囲の流血に対処する重要な方法、つまり「解離」を表している。 しかし、このマルチプレイヤーゲームは、戦車やその他の殺戮マシンで構成された2つのチームが仮想の戦場でお互いを破壊し合うというもので、制服を着たプレイヤーの周囲で繰り広げられている実際の戦争を不気味に反映している。ウクライナの戦車やその他の装甲車は、時にはクルーもバーチャルで体験しているような血みどろの戦いに巻き込まれることもある。 ウクライナのプレイヤーがプレイできるWorld of Tanksの世界には2つの作品がある: World of Tanks」と「World of Tanks Blitz」だ。どちらもインターネット接続が必要だが、後者はモバイル機器でもプレイできる。ゲームのプラットフォームが異なるため、ウクライナの戦場で、そして広くウクライナ全土で、このゲームがどれほど人気があるかを正確に述べるのは難しい: PC、Xbox、プレイステーション、任天堂、マックコンピューターなど、ゲームのプラットフォームが異なるからだ。 それでも、『ニューヨーク・タイムズ』紙がウクライナの最前線を訪れた際、このゲームはしばしば目にし、話題になった。ウクライナの兵士たちと『World of Tanks』の趣味について話し合ったところ、このゲームの魅力についてさまざまな説明が得られた。 しかし、ウクライナ東部の激戦地シヴェルスク郊外にあるドローン部隊の兵士たちは、このような状況でこのような暴力的なゲームをプレイすることに反発していた。 「ここに戦車があるのに、なぜWorld of Tanksをやるんだ?その代わりにFIFAをプレイするよ」と、別の兵士が付け加えた。 だがウクライナの兵士の多くはそうは感じていないようだ。ウクライナの戦車中隊の指揮官であるアントンは、最近最前線に赴いた際、アヴディフカ郊外に陣取り、パソコンで最近の戦闘の映像を見せてくれた。彼のお気に入りの映像は、ロシア軍の戦車が破壊され、車体が炎に包まれ、砲塔が空中に飛び出しているものだった。 彼がビデオを最小化すると、画面の隅に『World of Tanks』のプログラムアイコンが表示された。 「単純に、World of Tanksが大好きなんだ」と彼は肩をすくめた。 東部の町シヴェルスク近郊の砲兵部隊に所属するウクライナ兵のシルバー軍曹は、安全上の理由から、他の兵士と同様、コールサインかファーストネームで通している。しかし、彼はそれが戦前に多くの人が始めた娯楽であり、単にそれを引き継いだだけだと考えた。 「その一方で、一種の中毒でもありますよね」と、彼は数週間前にロシアの神風ドローンが旅団のロケット砲撃車の1台を破壊しかけた庭から歩いて戻りながら言った。 World of Tanksを開発したWargaming Groupは、サーバーの半分がロシア地域をサポートし、残りはアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、中国に分散していた。2011年から2021年までのeスポーツ大会で最も稼いだWorld of Tanksプレイヤーのトップ2は、ロシア人のキリル・ポノマレフとウクライナ人のドミトロ・フリシュマンだった。この2人はかつて同じWorld of Tanksのeスポーツチームに所属していた。 Steamアプリケーションを使ってプレイするビデオゲームユーザーを追跡する一般公開サービス「SteamDB」によると、World of Tanks Blitzのユーザー数は2021年12月中旬にピークを迎え、5万人以上が同時にプレイした。ロシアがウクライナに侵攻した2022年2月の1週間後には、その数は31,000人ほどに減少した。 現在、ウクライナのハリコフでゲームクラブを経営しているフリシュマン氏(27歳)は、ウォーゲーミング・グループがもともとベラルーシ発祥で、そのため親ロシア的だったため、このゲームの人気が落ちた可能性が高いと述べた。昨年の侵攻後、2011年からキプロスにあるウォーゲーミング・グループは、ベラルーシのミンスクにあったスタジオを閉鎖し、同地とロシアでの業務を別会社に移管すると発表した。 フリシュマン氏のゲームクラブの顧客の一部は、すぐに前線から離れて回復中の負傷兵となり、PUBGやカウンターストライク、そしてもちろんWorld of Tanksのような暴力的なゲームをプレイするようになった。 「なぜ彼らがこのようなゲームをしているのか、私には理解しがたいことでした。でも、彼らがリラックスして友達と遊んでいることはわかりました」。 クラブからおよそ120マイル離れた東部の都市バクムート郊外では、デジタルの爆発音と戦車の踏み込み音が樹木の間から発せられていた。そこにいたのは、国境警備隊から歩兵になったハニーとその仲間だった。ふたりは携帯電話で『World of Tanks』をプレイしていた。彼らの部隊は前線を離れて訓練を終えたばかりだった。 声をかけられると、彼らはゴミ箱に捕まった2匹のアライグマのように、羊のように携帯電話を置いた。そう、前線の近くでも『World of Tanks』をプレイしている部隊はある、と彼らは言った。 戦争とWorld of Tanksの共通点について尋ねられたハニーは、どちらもチームワークが重要だと答えた。 東部戦線の別の場所では、昨年、自分の戦車が数ではるかに勝るロシアの敵と戦っているところをビデオに撮られた21歳のヴェルニーホラ中尉が、ハニーの意見に同意した。 「チームワークを学び、ゲームの中で戦術を練っているようなものです」。 ヴェルニーホラ中尉は自分の部隊のT-72戦車の上に座りながら、鬱蒼と茂る木々の下に隠れていた。 彼のWorld of Tanksの習慣は、ログイン情報を失い、アカウントにアクセスできなくなったことで中止された。ゲームの中で獲得した戦車もすべて失った。武装したロシアの小隊に遭遇したのはかなりまずかったが、ゲームでの挫折は "災難だった "と彼はジョークを飛ばした。 World of Tanksの戦略の多くは、第二次世界大戦やその他の紛争から厳選されたような戦場を戦車を操縦することに依存している。プレイヤーは、自分の戦車が他のプレイヤーの戦車と比べてどれだけ速く、強く、武装しているかに依存し、実際の戦車戦のように、地形を利用して装甲を固めたスプライトを覆い隠し、保護することができる。 しかし、ハニーのようなこのゲームの熱狂的なファンでさえ、現実では(特にウクライナ東部戦線の砲弾が飛び交う塹壕では)「生き残る」という別の戦略があることを指摘するだろう。 砲撃が近づけば近づけば「たとえインターネットがあったとしても、遊びたくなくなる」とハニーは言う。 ==== このような記事を読むと、戦争というのは指揮をするのは老人たちですが、現場で戦っているのは米国でしたら「Z世代」に当たる若い世代である、という認識は重要ですね。 そして彼らはネット環境で遊び慣れているために、逆にオンラインゲームで戦場での戦い方を(戦場にいる間に)学ぶという、まさにヴァーチャルとリアルが融合したような状態で戦っていることになります。 すると上記の中にあるように、昼間は実際の戦場で殺し合いをしているのに、もしかしたらゲーム上ではチームメイトである可能性もあるわけですから、若い世代の世界観というのはわれわれと全く違うものだという想定が必要かもしれません。 ![]() (中野区役所) ▼あらゆる戦略の二つのアプローチのエッセンスがここに! 「累積・順次戦略:戦争と人生:2つの必勝アプローチ」音声講座 ![]() ▼〜奴隷人生からの脱却のために〜 「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから! ▼〜あなたは本当の北京の工作の手口を知らなかった〜 ▼〜あなたは本当の「孫子」を知らなかった〜 ![]() ▼〜あなたは本物の「戦略思考」を持っているか〜 「奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』」 ![]() ▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らなかった〜 「奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD」 ![]() ▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略がここにある〜 #
by masa_the_man
| 2023-12-02 00:28
| ニュース
2023年 11月 27日
今日の横浜北部は午前中ははっきりしませんでしたが午後から少し晴れました。寒いと思ったらまた暖かくなってます。
さて、ほぼ11ヶ月ぶりにブログを更新します。 言い訳がましくなりますのであまり言いませんが、とにかく今年に入ってから猛烈に雑事で忙しくなり、本も『デンジャー・ゾーン』の一冊しか出せておらず、次の訳本も、そして久々の自著についても遅れております。 そのような中で、今年から担当している非常勤先で使用する資料としていくつか個人的に訳した戦略系の論文がたまってきましたので、あくまでも試訳ですが、ここに一部を貼り付けておこうと思いました。 今回ご紹介するのはマイケル・ハワードという戦史家で、学問分野だけでなく、あの「ミリタリー・バランス」を毎年発行したり、シンガポールで世界中の国防大臣を集めて行われるいわゆる「シャングリラ・ダイアローグ」を主催しているIISSというシンクタンクを創設した一人の論考の一部です。 論文そのものは1979年にフォーリン・アフェアーズ誌で発表されたものですが、当時の米ソによる第二次冷戦の開始時期の緊張感の中で書かれた戦略に関する議論としてものとしては秀逸なものだと思います。 ==== By マイケル・ハワード フォーリン・アフェアーズ誌 1979年夏号(1979年6月1日発表) 「戦略」という言葉は、継続的に定義の見直しをする必要がある。ほとんどの人々にとって、クラウゼヴィッツの「戦争の目的のために交戦を用いること」や、リデルハートが言い換えたように、「政策の目的を達成するために軍事手段を配分し適用するアート」という定義で十分に明確だ。戦略とは、与えられた政治目標を達成するための兵力の配置と使用に関するものである。 戦略の歴史を解説した本では、リデルハート自身の『戦略論:間接的アプローチ』がまさにそうであるように、通常はアレクサンダー大王からマッカーサーに至るまで、事例研究によって構成されている。 ところが19世紀の経験からもわかるように、このアプローチは、その結論が平凡なものに成り下がったと感じてしまうほど不十分であることが判明している。そこで西側諸国では、20世紀に顕著になった戦争の産業的、財政的、人口動態的、そして社会的な側面をカバーするために「大戦略」という概念が導入された。そして共産主義国家では、あらゆる戦略思想はマルクス・レーニン主義の包括的な教義によって検証されなければならないとされるようになった。 私はこのようなすでに確立されているこれらの概念を否定はしないが、過去200年間の戦略ドクトリンと戦争の発展に関する研究に基づいた、これまでとはやや異なり、どちらかといえばもっと単純な分析の枠組みを提供するつもりだ。また、私はこの分析のやり方が、西側の現在の戦略態勢に示唆している点についても述べてみたい。 ❇❇❇ クラウゼヴィッツの「戦略」の定義は、意図的かつ挑戦的なまでに単純化されたものであった。この定義は、戦争についてそれまでの300年間に書かれてきたものを事実上一掃する(しかもかなり画期的な)ものであった。それ以前の著者たちは、軍隊の育成、武装、装備、移動、そして維持や管理に関する現場重視の膨大な問題にばかりに取り組んでいたが、クラウゼヴィッツはこのアプローチを「刀鍛冶の技術」と「フェンシングの戦いにおけるスキル」の関係にたとえて否定した。 クラウゼヴィッツは「このようなアプローチは実際の戦争の遂行には無意味であり、これまでのすべての作家が適切な理論を打ち立てることができなかったのは、軍事組織の維持とその使用とを区別できなかったためだ」と主張した。 クラウゼヴィッツは、戦争において私が個人的に「兵站の次元」と「作戦の次元」と呼んでいるものをそれぞれ区別することで、戦略思想に大きな貢献をした。しかし彼がその区別から導き出した結論は疑念を生じさせるものであり、そこから生じた結果は不幸なものであった。 第一に、クラウゼヴィッツが尊敬した指揮官たち(ナポレオンやフリードリヒ大王)は、彼の生きていた時代においてさえ、クラウゼヴィッツが考慮から除外した軍事活動の全範囲に対する深い理解を持っていなければ作戦上の勝利を収めることはできなかっただろう。 第二に、作戦過程と同様に、兵站に関する問題を徹底的に研究しない限り、いかなる作戦も理解できず、そこから有効な結論を引き出すこともできない。マーティン・ファン・クレフェルト博士が最近その著書である『補給戦』で指摘したように、軍事史家100人のうち99人が兵站的な要因を無視し、結果として多くの場合に誤解を招くような結論を出してしまったのだ。クラウゼヴィッツのドグマ的な優先順位の主張、つまり「戦争における兵站的な要素を作戦に従属させること」は、あらゆる時代のすべての戦う兵士に共通する偏見に起因しているのかもしれない。 この考え方の背景には、1806年にプロイセンを敗北に導いた作戦上の無能さを持つ超慎重な「科学的」将軍たちに対する彼の反動が大いにあったことは確実だ。しかしナポレオン時代における幾多の軍事作戦で決定的だったのは、健全な兵站計画よりも作戦面でのスキルであったことは否定できない。しかもナポレオンの作戦は19世紀を通じてすべての戦略系の著作や思考の基礎となったため、「戦略」は一般的に作戦レベルの戦略と同一視されるようになったのである。 しかしこの概念の不適切さは、アメリカの南北戦争の経過のおかげで、この概念を研究する人々にとって非常に明瞭なものとなった。そこでは作戦戦略の達人が、勝利した北軍の軍隊ではなく、南軍の指導者の中に見出されることになった。リーとジャクソンは、ナポレオンやフレデリックに匹敵する柔軟性と想像力で軍を操ったのだが、それでも戦争には敗れたのだ。彼らの敗北は、作戦レベルをほとんど超えることのないリデルハートの分析によれば、主に作戦上の要因、とりわけシャーマンが採用した「間接的アプローチ」に起因するとされた。 だが根本的な面から見れば、北軍の勝利は将軍の作戦能力によるものではなく、優れた工業力と人員を軍に動員する能力によるものであり、グラントのような指導者は、主に道路と河川輸送のおかげで、敵の作戦能力をほとんど無意味にするほどの強さで展開することが可能となったのだ。最終的に南軍は消耗戦に陥り、その結果として作戦面よりも兵站面がより重要であることが証明された。 最も重要な要素として証明されたのは、最良の装備を備えた部隊を最大規模で作戦地域に投入し、そこで維持する能力であった。この戦争の経験こそが、当時から現在に至るまで米軍の戦略ドクトリンを形成しているのだ。 ところがこの能力は、クラウゼヴィッツが主な思想家としては最初に注目することとなった、戦略の「第三の次元」、すなわちこの「兵站力」が最終的に依存することになる、国民の献身や自己犠牲の覚悟による社会的な態度に左右されるのだ。 クラウゼヴィッツは、戦争を「驚くべき三位一体」と表現した。それは「政治目的」、「作戦的な手段」、そして戦争が表現する社会的力である「国民の感情」から構成されるものだ。そしてフランス革命の戦争とフリードリッヒ大王の戦争をこれほど異質なものにしたのは「国民の感情」であり、これこそが将来のあらゆる戦争を異質なものにしたのではないかと指摘している。この点においてはクラウゼヴィッツは正しかった。 絶対主義の時代が終わり、冷静な職業軍人たちによる純粋な政策をめぐる「限定戦争」は、ますます希少なものとなっていった。統治への国民参加の拡大は、戦争への国民の参加を意味し、それはつまり19世紀の技術が可能にし、それゆえ必要とした、軍隊の規模の拡大にもつながった。世論を管理すること、あるいは世論に従うことは、戦争遂行に不可欠な要素になった。 たとえば南北戦争において、もし北部の住民たちが、南部連合の指導者が当初期待したほど南北戦争の結果に無関心であったならば、初期の南部軍の作戦上の勝利は決定的な有利をもたらしていたかもしれない。北部の潜在的な兵站力は、それを利用するという決意がなければ、無視できるほどの価値しかなかっただろう。 しかし両陣営のやる気がほぼ同等であったとすれば、この闘争では最終的には北側の優れた兵力を動員する能力こそが決定的な要因になったと言える。ここでまたしてもクラウゼヴィッツが正しかったことが証明された。つまり他のすべての要素が同じであれば、最終的には「数」が決定的な要素となる、ということだ。 ❇❇❇ たしかにある見方からすれば、「数」以外の要素はたしかに同等であった。南北戦争は、ヨーロッパの革命戦争と同様に、両陣営とも全く同じではないにせよ、ほぼ似たような武器で戦われた。「どちらかの側に決定的な技術面での優位がある」という考えは、クラウゼヴィッツや同時代の人々にとってはそもそも考えられないことであったために無視されたほどだ。 しかし、アメリカ南北戦争が終結して1年もしないうちに、プロイセン軍が後装式ライフル(ドライゼ)銃で装備して装備していないオーストリア軍を破り、小銃の領域でまさにその優位性が明らかにされたのである。 その4年後の1870年、プロイセンは鋼鉄製の後装式の大砲によってフランス軍に対してさらに圧倒的な優位を示した。特に普仏戦争は、アメリカの南北戦争と同様、民衆の強い支持に基づく、優れた兵站能力によって勝利したのである。そしてテクノロジーは「独立した重要な次元」として、もはや考慮に入れないわけにはいかなくなった。 海戦では、蒸気時代の幕開け以来、技術的平等の重要性が明らかにされてきたが、植民地戦争においても、技術的要素が極めて決定的なものとなった。 19世紀後半、ヨーロッパ製兵器の優位性は、それまでは土着勢力に対するわずかな技術的優位であり、しばしば数的劣位によって相殺されていたものを、圧倒的な軍事的優位に変え、 その結果、ヨーロッパ勢力は自分たちと同等の対応が不可能な文化に対して、世界中で新しい帝国支配を確立することが可能になったのである。ヒラール・ベロックの『キャプテン・ブラッド』が簡潔に表現しているように「何が起ころうとも、我々はマキシム銃を手に入れ、彼らはそうしなかった」のである。軍事計画家は、その日から今日に至るまで、現代のマキシム銃に相当するものを持たずに捕まることを恐れてきた。 つまり20世紀初頭には、戦争は「作戦」「兵站」「社会」「技術」の4つの次元で行われるようになっていた。これらすべてを考慮に入れずに成功する戦略を策定することはできないが、状況が異なれば、これらの次元のうちの1つ、または別のものが支配的になる可能性もある。1914年から15年にかけて、一方ではシュリーフェン計画、他方ではガリポリ作戦の作戦的な戦略が期待された決定的な結果を達成できなかったとき、戦争の兵站面、そしてそれらに依存する社会的基盤は、対立する軍隊が互いに血を流して死のうとする中で、さらに大きな重要性を帯びることになった。 アメリカの南北戦争のように、最も優れた将軍や最も勇敢な軍隊を持つ側ではなく、最も大量の人員と火力を動員し、最も強い民衆の支持を受けてそれを維持できる側に勝利がもたらされることになったのである。 社会的結束を背景に持たない単なる数の不足は、1917年のロシア帝国の崩壊によって証明された。しかし、敵が決定的な技術的優位を確保できて、兵站や社会的な力でさえも脆弱であることは、連合国が敗北まであと一歩のところまで迫った1917年の春、ドイツの潜水艦作戦の成功によって同様に証明された。ドイツ帝国は、アメリカの参加によって敵に与えられた兵站の優位性に対抗するために、技術的な優位性に賭けることにしたのである。しかし、彼らは負けてしまったのだ。 ==== これは自分の得意とするクラウゼヴィッツの『戦争論』の議論を元に、そこから戦略の要素を4つ導き出し、それらを当時のアメリカ側の戦略に関する議論に当てはめて考えるというアプローチをとっております。 ハワード自身はデビュー作の『普仏戦争』から一貫して「戦争や戦略というものはある特定の時代や、それが戦われる社会の中で行われる」という姿勢を取っており、今回の論文でもまさにそのような議論を展開しつつ、アメリカでの議論では「技術」や「作戦」についての議論ばかりがフォーカスされ、「社会」や「兵站」という面についての議論が足りないことを強く強調します。 このようなハワードの意見は、自身の軍事史のアプローチとして、大人物や政治事件だけに焦点を当てるような過去のアプローチではなく、フランスのアナール学派に代表されるような、社会や民衆の生活に近い視点を取り入れようとするアプローチに影響を受けているからだとされてます。 しかも興味深いのは、この議論は現在進行中のウクライナでの戦争だけでなく、現在の日本の防衛政策に関わる一連の議論にも当てはまるところかと。 ということで、これから更新を復活させてこのような資料をいくつか紹介していきたいと思います。 ▼あらゆる戦略の二つのアプローチのエッセンスがここに! 「累積・順次戦略:戦争と人生:2つの必勝アプローチ」音声講座 ![]() ▼〜奴隷人生からの脱却のために〜 「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから! ▼〜あなたは本当の北京の工作の手口を知らなかった〜 ▼〜あなたは本当の「孫子」を知らなかった〜 ![]() ▼〜あなたは本物の「戦略思考」を持っているか〜 「奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』」 ![]() 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by masa_the_man
| 2023-11-27 23:31
| 戦略学の論文
2022年 12月 31日
今日の横浜北部は関東の年末年始らしくよく晴れております。 本年は色々と忙しくてブログのほうが完全におろそかになってしまったのですが、年末にあたって今年の様々な状況から感じたことをいくつか簡単に記しておきたいと思います。 とにかく2022年は2月24日から始まったウクライナ戦争が大きかったですね。これによって個人的には対テロ戦争の開始から感じていた国際政治の戦略面における「これじゃない感」が一気に払拭され、いよいよ本格的な大国間紛争時代への突入が開始されたという点で、実に感慨深いものがありました。 そのほかにも7月の安倍元首相の暗殺など、実にショッキングが事件もたくさん起こってしまったわけですが、以下で三点だけ私が感じている、国際政治の戦略的な面における3つ課題というかトレンドのようなものを示しておきたいと思います。 第一に、世界の主要国はますます「戦時国家体制」に向かいつつあるという傾向です。 これは2020年に始まった新型コロナの世界的な大流行のときからすでに強まっていたということなのですが、減税や規制緩和を進めていたはずの共和党のトランプ政権時に実行されたワクチンの緊急開発を担った「ワープスピード作戦」によって、アメリカ政府も(911のときのように)やる気を出せば「国家総動員体制」をつくることができることを示したという意味で印象的でした。 そしてそのあとを継いだ民主党のバイデン政権も、ウクライナへの支援を強力に打ち出しているだけでなく、中国に対して矢継ぎ早に先端技術関連の輸出規制を行う法案を次々と通過させるなど、国家の役割を全面的に打ち出す、まるで統制経済のような国家運営を標榜しております。 日本でも「経済安保」という概念がここ二年ほどでだいぶ浸透してきましたが、これらも程度の差はあれ、安保環境が厳しくなった国際環境に対する戦時国家体制の強まりを国際的にもますます進めてしまうと見ております。 端的にいえば「小さな政府」の時代は終わって「大きな政府」の時代が再来したということです。ハンチントン的にいえば、「ローポリティクス」ではなく「ハイポリティクス」の時代ということでしょうか。 第二に、中国の動向です。 これは当然ながら、ブランズらの『デンジャー・ゾーン』を翻訳していた人間としてはどうしても気にせざるをえないテーマです。 台湾有事の可能性については個人的には少ないとは見ているのですが、問題は尖閣や南シナ海周辺、とりわけフィリピンような場所で、中国が引き続きいわゆる「プロービング」のような小規模な既成事実化を行っていることが紛争に結びつくのという点が最も気になります。 また、予想以上の中国経済の落ち込みによって日本だけではなく世界経済が落ち込み、われわれの生活の質に直結してくる事態については、引き続き警戒と準備が必要であるとあらためて感じます。 第三に、「戦う人間の価値観」とでもいうべきものが、社会的に大きく問われてくるという点でしょうか。 この年末に岸田政権が「戦略三文書」を改定したことは世界的にも大きく注目されまして、その中身については専門家筋では評価する声が多かったように思えるのですが、個人的には一番気になったのは国防を担う人材の「人的基盤の強化」という点の中でも、とりわけ国のために戦うという意志を持った人間をどう育てるのかという、なかなか正面切って論じにくい課題に対する向き合い方です。 これは戦略研究の世界では「戦士」(warrior)に関するテーマとして定期的に論じられている問題なのですが、日本では先の大戦から「戦う(戦った)人間も被害者・犠牲者である」という視点が強く、「戦うことの尊厳」や「兵士の勇敢さ」を論じることが(漫画やフィクションなどをのぞけば)社会的にタブーになっているようなところがあります。 ところが東アジアの厳しい安全保障関係を考えると、この問題については目をそむけずにはいられなくなるのではないかと危惧しております。 最悪なのは、このようなことを論じないまま紛争が起こってしまって右往左往する、ということなのでしょうが「日本が侵略されたら戦わない」という答えが7割を越えることを考えると、この問題に関しては決して楽観視できないと感じます。 ※※※ ということで、2022年も大変お世話になりました。 来る2023年も新年早々から発売される訳本である『デンジャー・ゾーン』をはじめ、数冊の訳書や、久しぶりの書き下ろしの本、そして各種論文の執筆などでがんばるつもりです。引き続きよろしくお願いします。 (船越) ▼あらゆる戦略の二つのアプローチのエッセンスがここに! 「累積・順次戦略:戦争と人生:2つの必勝アプローチ」音声講座 ![]() ▼〜奴隷人生からの脱却のために〜 「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから! ▼〜あなたは本当の北京の工作の手口を知らなかった〜 ▼〜あなたは本当の「孫子」を知らなかった〜 ![]() ▼〜あなたは本物の「戦略思考」を持っているか〜 「奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』」 ![]() ▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らなかった〜 「奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD」 ![]() ▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略がここにある〜 #
by masa_the_man
| 2022-12-31 12:25
| 日記
2022年 02月 27日
今日の横浜駅付近はよく晴れて気温は低めでしたが、風が強めなのが気になりました。 さて、ウクライナ危機がいよいよロシアによる全面侵攻となりましたが、私が翻訳した『戦争の未来』の著者で、イギリスの戦争学の権威であるフリードマン教授が、今回の侵攻がはじまって翌日に以下のブログの記事を書いておりました。実に参考になりますので試訳を。 ==== by ローレンス・フリードマン ウクライナのニュースを見ていると、何が起きているのか、どこに向かっているのか、よくわからない。情報には事欠かないが、その多くはソーシャルメディアのアカウントからで、そのすべてが信用できるわけではないし、またその性質から全体像を把握することはできない。デジタル時代といえども「戦争の霧」が晴れることはない。 しかし、いくつかの予備的な結論を出すには十分な情報がある。 ロシア軍は優勢であったにもかかわらず、戦術的な奇襲と圧倒的な数の可能性という利点があった開戦初日には、予想されたほどの進展はなかった。最初の攻撃は広く期待されていたようなエネルギーと推進力には欠けていた。ウクライナ人は気迫に満ちた抵抗を見せ、侵略者に犠牲を強いた。しかし今日の情勢はさらに暗くなる可能性があり、将来はもっと厳しく辛い日々になるだろう。しかし「プーチンは勝ち目のない戦争を始めたのだろうか」と問うのはもっともなことである。ロシア軍は最終的に勝利するかもしれないが、戦争の初日は、常にありそうなこと、つまり今後どのような軍事的勝利を収めようとも、プーチンにとって政治的に勝つことが並々ならぬ困難な戦争になることを確認させたのだ。 自信満々で始めた戦争が悪い方向に向かう主な理由の一つは、敵の過小評価である。早期勝利の予測につながる楽観的なバイアスのようなものは、危険なにおいがしたらすぐに降伏するような、退廃的で知恵のない相手という想定に依存しているのである。月曜日のプーチンの狂気に満ちた演説とその後の発言、そして彼の臣下たちの発言は、彼が好む戦争の根拠だけでなく、彼がなぜ勝てると考えているのかを理解するのに役立っている。プーチンが一貫して主張してきたように、ウクライナは非国家であり、人為的に作られたもので、政府は非合法でナチスに支配されているとすれば、普通のウクライナ人がそのような国のために一生懸命戦うことはない、と彼が考えていたとしてもおかしくはないだろう。国連担当のロシア大使が示唆したように、彼らはロシア軍を解放者として迎えるかもしれないのだ。 敵の戦力を過小評価すると、自国の戦力を過大評価することになりかねない。プーチンはたしかに戦争で大きな成果を上げている。2000年、第二次チェチェン紛争を利用して大統領に就任し、指導者としての資質を証明した。2008年にはグルジアを血祭りに上げ、NATOへの加盟を思いとどまらせ、ロシアがすでに設立していた分離主義者の飛び地を消滅させた。2014年にはウクライナからクリミアを奪取し、最近ではシリア内戦でアサドを支援することに成功した。 しかし、彼の最近の軍事行動は本格的に地上軍を展開するものではなかった。ウクライナでは、クリミア併合を含む作戦はドンバス地方の分離主義者が集めた民兵と一緒に、主に特殊部隊によって実行された。2014年夏、分離主義者が敗北しそうになったとき、プーチンは正規軍を送り込み、準備不足でまだ素人同然だったウクライナの部隊を撃退したのである。シリアでは、ロシアは航空戦力を提供したが、歩兵は提供しなかった。 そのため、大規模な地上作戦の経験は限られている。このことが、潜在的な敵の限界に対する傲慢さと結びついたとき、今回の作戦のスタートが確実なものでなかった一因となった可能性がある。その最たる例が、キエフ近郊の空港「ホストメル」で、ロシア軍がヘリ部隊で奪取しようとした戦いである。この空港を素早く占領していれば、ロシア軍は飛行機で部隊を送り込み、キエフに素早く移動することができた。しかし援護がなければ無防備な状態であり、これはまさにギャンブルであった。ウクライナ軍はヘリコプターを数機撃墜し、激しい戦闘の末にロシア軍を圧倒した。この作戦のために何カ月も計画を練り、すべての段階を綿密に計画した後で、計画者たちが初日にこれほどリスクの高いことをしようと決めたことは、示唆に富んでいる。 これはキエフにとって一時的な休息に過ぎないかもしれない。今朝の報道では、キエフ市内でのミサイル攻撃や小競り合いもあり、キエフがロシアの最重要目標であることが強調されている。したがって、これまでの戦闘からロシア軍が今後苦戦すると結論づけるのも賢明ではないだろう。ロシア軍は相手に対してもっと敬意を払い、もっと理路整然とした行動をとることを学ぶことになるかもしれないからだ。 とはいえ、第一印象は大切だ。自国を守る者の士気と決意は、侵略を企てる者の士気と決意より高くなる傾向があり、特に企てる側がなぜそのようなことをするのか分からない場合はこの傾向が強まることを我々は再認識させられた。ウクライナ人が本気で国を守ろうとしていること、そして忍耐力もあることが分かった。彼らは蹂躙されてはいないのだ。手っ取り早く既成事実を作っておけば、プーチンは大いに助かったはずだ。例えば、欧米の制裁の設計と実施は、ロシアがウクライナを蹂躙しているよう見えた状況では、まったく違った印象を与えただろう。つまり「ウクライナに起きたことは悲劇だが、ほとんど何もできない状況であり、高価なジェスチャーも無意味である」という主張を、懲罰的なものに反対する人たちに提供できたのかもしれない。 だがウクライナの抵抗が明らかになり、双方に戦費がかかるようになったことで、国内のプーチンの立場にも問題が出てきている。多くのアナリストたちが指摘しているように、ロシアが精密誘導ミサイルの在庫を失い、市街戦に引き込まれれば、戦闘は残忍になる可能性がある。 チェチェンの首都グロズヌイやシリアの都市アレッポは、ロシアが主導した作戦によって市民を直接標的にした爆撃を受けている。それにしてもロシア国内の反発の声の大きさ(熱狂的な支持のなさ)は目を見張るものがある。プーチンが「ウクライナは本当にロシアの一部であるべきだ」と主張し、その後に「スラブ民族の仲間(彼らの親戚であることも多い)が爆撃されるのを国民が容認する」と期待していたのは実に奇妙なことであった。プーチンは、多くの独裁者と同様に自国民に対して恐怖心を感じており、自国民の犠牲がさらに増え、ウクライナでの蛮行、国際的非難に対して彼らがどう反応するかを心配し始めた可能性がある。 プーチンがなぜ攻撃的な戦争に乗り出すのか、長年不思議に思ってきた人々にとっての最大の問題は「彼が政治的に何を達成したいのか」であった。たとえばウクライナ東部での限定的な作戦は「時間をかけて維持して守ることのできる地域を切り取る」という意味では、ある程度理にかなっていた。だが現在の作戦の規模の大きさは、実質的にキエフでの政権交代を求めるものとなるため、まるで意味をなさないものだ。米国と英国は、イラクとアフガニスタンで、これがいかに難しいかを苦い経験で学んだ。簡単に言えば、外国が就任させた、地元に根ざした比較的信頼できる指導者(ロシアにそのような人物がいることは明らかではない)であっても、その正統性には限界があり、すぐに占領軍に権力の維持を頼ることになるのである。 たとえウクライナ政府が首都を失い、脱出を余儀なくされ、ウクライナ軍の指揮系統が崩壊し始めたとしても、それは自動的に「ロシアの勝利」とはならない。「占領軍の後ろ盾なしに従順な人物をウクライナ大統領に据えて長続きさせられる」と考えるのは、ウクライナの国民性の根源を理解できていない人たちだけであろう。ロシアには、そのような軍隊をいつまでも維持する人数も能力もないのである。2004-5年の「オレンジ革命」と2013-14年の「ユーロマイダン」の記憶があるプーチンは、この国で「人民の力」が果たす役割をある程度理解しているだろうと思ったが、これらの運動はアメリカやその同盟国によって操作されていたという自らのプロパガンダを信じ切ったままでいるのであれば理解できていない。 ウクライナはNATOと陸上で国境を接しており、ウクライナ正規軍が戦っている限り、装備は通過することができる。この紛争がそのような段階に移行した場合、反ロシア勢力も通過することができるようになる。このため重要になってくるのが、ロシアが軍事的目標を達成したかどうかだけに注目しないことだ。むしろ注目すべきは、市民の抵抗や反乱に対してロシア軍が占領した地域をどこまで維持できるかという点だ。 戦争(私は多くの例を研究してきたが)について重要なのは、戦争が計画通りに進むことはほとんどないということだ。偶然の出来事や作戦の不手際で、突然戦略の転換を迫られることもある。意図しない結果が、意図したものと同じくらい重要な意味を持つこともあるのだ。すべての戦争にはこのような落とし穴があり、だからこそ戦争は正当な理由(中でも最も説得力があるのは自衛権の発動だ)があって初めて着手されるべきものなのだ。 この戦争に乗り出すという決断は、一人の男の肩にかかるものだ。今週初めに見たように、プーチン氏はウクライナに執着しており、戦争の口実のように見えるが実際は彼の考えを反映しているかもしれない、トンデモ説を唱えがちだ。新型コロナウイルスを恐れ、想像上のウクライナを恐れるこの孤独な人物の特殊な事情と性格のために、すでに多くの命が失われているのだ。民主国家では、長期的な視野に立ち、懐疑的な国民を納得させたり、批判に耳を傾けたり、法の支配のような厄介な制約に縛られたりすることなく大胆な手段を取ることによって我々を出し抜くことができる独裁者と比較して、我々の意思決定の曖昧さ、一貫性のなさ、近視眼性、そして惰性などを嘆くことになることが多い。だがプーチンは、独裁政治が大きな過ちを招く可能性があることを思い起こさせてくれる。もちろん民主制度は、我々自身が過ちを犯すことを決して排除するものではないが、少なくとも、過ちを犯したときに新しい指導者や新しい政策に速やかに移行する機会を与えてくれるものである。それが今、ロシアで起こってくれれば良いと思うが。 === 実に読み応えがありますね。 クラウゼヴィッツを引用するまでもなく、戦争というのは不確実でギャンブルな性格が強いものですが、著者のフリードマンはそれをあらためて思い起こさせてくれます。 それにしてもプーチン大統領、まるで以前の慎重な態度から打って変わっての今回の行動、大局的にみればだいぶ計算間違いをしたように思えます。 ▼〜奴隷人生からの脱却のために〜 「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから! ▼〜あなたは本当の北京の工作の手口を知らなかった〜 ▼〜あなたは本当の「孫子」を知らなかった〜 ![]() ▼〜あなたは本物の「戦略思考」を持っているか〜 「奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』」 ![]() ▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らなかった〜 「奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD」 ![]() ▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略がここにある〜 #
by masa_the_man
| 2022-02-27 01:57
| 戦略学の論文
2022年 02月 24日
欧米当局は「ナワルヌイ氏はロシア政府によって毒をもられた」と発表したが、対外情報部長のナリシキン氏は、その事件はプーチン氏を倒すための「生贄」を求める欧米のエージェントによって仕組まれたものだと述べている。 ソ連秘密警察の犯罪を暴き、ロシアの安全保障体制を長く怒らせたモスクワの人権団体「メモリアル・インターナショナル」を先月解散に追い込んだことは、プーチン氏がシロビキたちの意見にさらに傾いたことを表している。 ![]() ▼〜奴隷人生からの脱却のために〜 「戦略の階層」を解説するCD。戦略の「基本の“き”」はここから! ▼〜あなたは本当の北京の工作の手口を知らなかった〜 ▼〜あなたは本当の「孫子」を知らなかった〜 ![]() ▼〜あなたは本物の「戦略思考」を持っているか〜 「奧山真司『一発逆転の非常識な成功法則〜クーデター入門に学ぶCD』」 ![]() ▼〜あなたは本当の「国際政治の姿」を知らなかった〜 「奧山真司『THE REALISTS リアリスト入門』CD」 ![]() ▼〜"危機の時代"を生き抜く戦略がここにある〜 #
by masa_the_man
| 2022-02-24 20:59
| 戦略学の論文
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