昨日の横浜はかなり涼しく、さすがに長袖で家を出ても暑くない秋の一日でした。
さて、時事問題に関する記事を訳そうと思ったのですが、今回は某所で教えている学生向けのちょうどいい小論文がありましたので、これを試訳。
掲載されていたのは米軍の戦術レベルの教育用のサイト。著者は現役の米陸軍の大佐で、中身はクラウゼヴィッツについての議論なのですが、短いわりにはなかなかよくまとまっていたので、資料代わりにご参考まで。
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by マイク・“シェック”・シェクレトン
カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』は、世界中の軍の学校で議論を巻き起こしている。しかし、ドイツのグンター・ブルメントリット将軍は、クラウゼヴィッツの著作をそのまま軍隊に渡すことは「子供に剃刀で遊ばせるようなものだ」と警告している。
たしかにクラウゼヴィッツの隠喩や哲学に満ちた難しい文体は、彼の考えと格闘する準備ができていない人にとっては、挑戦的で誤解を招きやすく、軽んじるべきものではない。したがってこれを克服するには、戦争に関するクラウゼヴィッツの洞察をしっかりと理解するための真剣な準備や反復、そして熟考が必要になる。
成長しつつあるプロであるわれわれ(訳注:米軍の読者たち)にとって、自分たちの専門とする「戦争」というビジネスを理解することは重要であり、クラウゼヴィッツの考えと格闘することは、
戦争の本質について学び始める際には最高の出発点となる(もちろんそれとは
反対の意見もあるが)。
最近のことだが、ジョー・バイアリーとネイト・フィニーたちは「近代戦争研究所ブログ」(the Modern War Institute Blog)に掲載された
「引き金を引く人のためのクラウゼヴィッツの読み方」というエントリーで、クラウゼヴィッツを独学で研究しようと考える中隊の士官(およびその他の士官)たちのために、優れた注釈付きの参考文献を提供してくれている。
このエントリーには、プロイセンの1806年の敗北とナポレオンの広範な作戦上の成功がクラウゼヴィッツ自身の知的な旅の舞台をどのように設定したかについて詳しい背景が書かれており、クラウゼヴィッツに対するこれまでのいくつかの誤解を明らかにし、彼の哲学的なアプローチについての短いガイドを提供して、読者がクラウゼヴィッツが洞察を生み出すまでにたどった道のりを理解する助けとなっている。
▼クラウゼヴィッツの『戦争論』のはじまり
学術研究の産物である現代の戦略の理論家たちとは異なり、クラウゼヴィッツは戦場と教室の両方の産物であった。彼は12歳でプロイセン軍に伍長として入隊し、少将として作戦中に死ぬまで生涯現役の軍人として務めあげた人物である。 最初の戦闘は13歳の時で、ナポレオン戦争(1806年~1815年)の間に成人している。
クラウゼヴィッツにとって最も重大な戦いは1806年の「イエナ=アウエルシュテットの戦い」におけるプロイセンの敗北だったのであり、このおかげで彼は戦争はもはや「王様たちのスポーツ」ではないと確信した。
ナポレオンがフランス革命のエネルギーを使って一気に堤防を突き破る勢いで利用したことはまさに「
軍事における革命」(RMA)だったのであり、プロイセンという国の存続を脅かすフランス軍を生み出したのだ。
このことが2つの動きを生み出すことになり、結果的にクラウゼヴィッツに『戦争論』を書かせることにもつながった。
第一に、プロイセンは一連の軍事改革を遂行し、プロイセン軍を「貴族主義の士官軍団」から「実力主義の士官軍団」へと転換させた。これを支えるために、プロイセンは戦争と戦争を広く検討する、専門的な軍事教育制度を整備している。 クラウゼヴィッツはこの整備に自ら参加し、後に陸軍大学で教授となったり部隊で指揮官を務めており、戦争の研究と経験の両方について反復的に反省することで、自分の考えを形にできる環境を得たのだ。
第二に、ナポレオンがフランス国家全体のエネルギーを利用したことは、『戦争論』において最もインパクトがあるとされる戦争と国家の関係についてクラウゼヴィッツに考えさせることになった。
▼『戦争論』とは何か?
クラウゼヴィッツは1818年から後に『戦争論』(On War)となる原稿の執筆を開始した。クラウゼヴィッツは、戦争をどのように実行すべきかというハウツー本を書いていた当時の多くの作家とは違って、戦争の本質を探ろうとした。
戦争とは何か、そしてなぜ戦争が独特な社会現象であったのか。
クラウゼヴィッツの考えは、数え切れないほどの草稿と改訂を経てから、いよいよ1827年には、その後の草稿や改訂に拍車をかけ、絶対戦争と限定戦争の両方をより深く探求し、政策が戦争の遂行を穏健化させる影響を持っていることを探るための突破口を得ることになった。そして1831年に亡くなるまでに、ここで得た新しい考えを、同書の第8編と第1編に組み込んでいる。
『戦争論』はすぐにヒットしたわけではなく、その数十年後、プロイセンの偉大な参謀総長であるヘルムート・フォン・モルトケが、クラウゼヴィッツの作品を『ドイツ統一戦争』(1866年~1871年)でのプロイセンの勝利につながったインスピレーションとして賞賛するまで高く評価されることはなかった。
クラウゼヴィッツの著作は1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカの文民の戦略家たちの間では読まれるようになったが、それがアメリカの軍事大学で必読書となるのは、ベトナム戦争後の1976年の海軍戦争大学、1978年の空軍大学、そして1981年の陸軍大学まで待たなければならなかった。
▼『戦争論』をどう読むか?
「もし私が早死して、この著作を中断されるようなことがあれば、すでにできあがった原稿はもちろん形をなさない施策の断片集といわれても仕方のないものとなり、それは不断の非難にさらされて、多くの未熟な批判に口実を与えるものとなってしまうだろう」 1827年7月10日、クラウゼヴィッツによる「覚え書」
未完の著作である『戦争論』は、かなりの数の批評家たちに批判されてきたし、その見識を選択的に利用(悪用)されてきた。
たとえばプロイセンの参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケはクラウゼヴィッツを称賛したが、戦争に対する政策の継続的な影響について洞察の部分は無視しており、「動員の瞬間から政治アドバイザーたちは口をつぐまなければならず、敵の完全な敗北の後に軍の司令官が自分の任務を終えたと国王に報告したときにのみ、再び主導権を握るべきである」と述べている。
これとは別に、B.H.リデルハート大尉は、クラウゼヴィッツを「大軍の救世主」と称し、クラウゼヴィッツの「戦場での戦力の集中」という主張を問題視し、この「攻撃の精神」が第一次世界大戦の塹壕で何百万人もの死者を出すことにつながったと非難したことで有名である。
ただしリデルハートはクラウゼヴィッツの哲学的アプローチを理解しておらず、クラウゼヴィッツの理論的な「絶対戦争」についての議論を、そのまま絶対戦争を肯定したものだと勘違いしていた。
次は
ハリー・サマーズ大佐である。彼は1981年に『
戦略論』を出版し、米陸軍士官学校でクラウゼヴィッツ研究を再興させた。クラウゼヴィッツの「第二の三位一体」である「国民・軍隊・政府」を用いて、
陸軍が通常兵器による大規模な作戦に集中できなかったことがベトナム戦争の敗因となったという説明を展開した。
ただし彼はアメリカと北ベトナムの「情熱・偶然・理性」という「第一の三位一体」を用いてその相互作用を探った方が、クラウゼヴィッツの見識をより適切に生かすことができたはずだ。
このように、クラウゼヴィッツを読んだり再読したりする際には、彼が何を言わなければならなかったのかをよりよく理解するためだけでなく、今日でも参考になるヒントはあるのか、そしてどのような洞察がもはや有効ではないのか、などを見極めることも注意が必要となる。
▼『戦争論』はどのように読むべき?
クラウゼヴィッツの『戦争論』は、戦争の性質の変化とは違って、永続的な「戦争の本質」、つまり時代を超えて真実である要素を明らかにしようとしている。これは「戦争」(war)と「戦い」(warfare)の違い、もしくは戦争の客観性と主観性の違い、という形で表現されることが多い。
これを達成するために、クラウゼヴィッツは『戦争論』の冒頭から比較検討するようなアプローチ使っている。この方法論は、カントの弟子であり、軍の初等士官学校で講師を務めていたキーゼヴェッターからクラウゼヴィッツが学んで導入したものだ。
第一の検討としては、その概念が論理的なものであるかどうか、つまり非論理的になるような矛盾を含んでいないかどうかを調べる。
第二の検討では、その概念が物質的であるかどうか、すなわちそれが現実世界に存在するのかどうかを判断するために概念そのものを調べるのだ。
そして最後に、概念がともに論理的かつ物質的であった場合、既知の概念に加えられるのだ。
その例としてクラウゼヴィッツの戦争の概念の検討を見てみよう。彼は「絶対戦争」という考え方を展開しており、それには武力の最大限の行使、敵の武装解除、力の最大限の発揮が必要とされるという。これは論理的なもの、つまり理論的に可能なものを表している。
しかし、物質的なものを検証する段階で、実践における修正が必要であることを発見した。 むしろ、戦争は決して孤立した行為ではないし、最初の一撃だけで終わるようなものではないし、その結果は決して最終的なものではない。
これを説明するものは何だろうか。クラウゼヴィッツは「戦争は他の手段による政策の継続」であると断定したのだ。
▼結論
『戦争論』は簡単に読める本ではない。しかし、クラウゼヴィッツがなぜ戦争を探求していたのか、彼の哲学的な探求方法を理解することで、彼の洞察をより簡単に解釈することができるようになるし、軍人たちは現在でも関連性があると思われる洞察を、自分自身の戦争の理論やその理解に取り入れることができるようになるのだ。
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いかがだったでしょうか。かなり端折っている部分はありますが、戦略研究と呼ばれる分野におけるクラウゼヴィッツの『戦争論』の必要最低限の知るべきことがよくまとまっていると思います。
また、クラウゼヴィッツに関しては
日本で唯一の学会もありますので、ご興味のある方はぜひ。
(The Company Leaderより)
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