今日のバンクーバーは朝方に一瞬激しく降りましたが、午後は少し晴れました。
さて、昨日は弱者が勝つ方法として、老子の『道徳経』では、相手の「帝国的過剰拡大」を利用しろ、と説いていることを説明しました。
ところが弱者にはそもそもつぎ込めるだけのリソースがありませんから、相手の勢いを積極的に衰えさせることはできません。
ではどうすればいいのでしょうか?
「相手が衰えるまで待つ」という消極的なやり方も、もちろんあります。
それは、自然(タオ)を客観的に観察することです。
「客観的に観察と言われてもそれは無理でしょう」
とお感じになるかたも多いと思いますが、老子はそのやり方を『道徳経』の第48章の中でこう説明しております。
「学問をするときには日ごとに(学んだことが)増してゆく。“道”を行うときには、日ごとに(することを)減らしていく。
うーむ、ますますわかりづらいかもしれませんが、これは要するに
「余計な知識やバイアスを取り除いて、現状をまっさらな気持ちで見ろ」
ということですね。
そうするとタオ、つまり自然の実相がわかり、そこから物事の流れが見えてくる、ということになります。
ではまっさらな気持ちでタオの流れが見えてきたとして、その次に注目すべきが
「破壊のタネ」
です。すべての自然現象には、それを破壊するタネが初めから入っているからです。
そしてタオが見える人は、その「破壊のタネ」を助長して、あくまでも自然に相手を自滅に追い込むのが最適だ、と老子は教えているのです。
実は孫子も似たようなことを言っています。それは先日の
エントリーにあった、
「怒りたけっているものは撹乱」
という部分です。
孫子の場合は「怒り」という感情の話をしているわけですが、これはあえていえば
「火に油を注げ」
と言っているようにも思えます。
つまり怒りというものが、老子的に言えば「破壊のタネ」であるため、これを助長してしまえ、と説いているのが孫子なのです。
これでおわかりいただけたでしょうか?
孫子よりも老子のほうが「弱者が強者に勝つ方法」を強調して説いているわけですが、その核心にあるのは、ただ待つだけではなくて、
「相手の動きの中にある破壊のタネを見極め、それを助長して自滅に追い込め」
ということなのです。
こうやって考えてみると、マーシャルが提唱した競争戦略との親和性の高さというものがおわかりいただけるでしょうか?
明日はさらにわかりやすくするために、これを実例に当てはめて考えてみます。
(昼前のネルソン通り)