今日の横浜北部はやや雲が多めですがなんとか晴れております。
さて、引き続き大戦略について。
リデルハートが第一次世界大戦から、エドワード・ミード=アールが第二次世界大戦勃発前後の状況を見てそれぞれ大戦略を考えたということを説明してきたわけですが、ではその後の、とくに大戦略についての議論はどうなったかというと、ほとんど出てこなくなりました。
理由はシンプルでありまして、1945年の8月に我が国に落とされた2発の原爆のせいです。
このとんでもない破壊力を持った爆弾の能力を、それからたった4年後にソ連が開発しはじめたことによって、戦前・戦中から戦後へと続いてきた大戦略への関心が、世界の学者や専門家、軍の関係者たちの間で一気に消滅してしまったのです。
となってしまったわけですね。「大戦略」のような大きなことを語る前に、まずは人類が消滅するかもしれない核の問題を語ろう、となったわけです。
ではその後の大戦略の議論がどこへ行ってしまったかというと、少なくとも冷戦時代の前半は、主に米海軍や米連邦議会において、「国家戦略」(national strategy)という名前でオフィシャルな形で使用されることが大半だったのです。
しかもこれは「アメリカの大戦略」に特化したもので、他の国にも適用できるような普遍性を持っていたとは言いがたいもの。
そういえば冷戦期のアメリカの大戦略として「封じ込め」を提唱したことで、おそらく史上最も影響を与えた人物である
ジョージ・ケナンは、自分のことを「大戦略を提唱した人物」とは考えていなかったという点が興味深いところです。
いずれにせよ学界で大戦略の議論が復活するのは、ベトナム戦争(これで限定戦争の議論は消滅した)を経て、冷戦期の後半になるまで待たなければなりませんでした。
学界などで盛んに議論されるようになったのは1970年代半ばからなのですが、これに関して私が思いつく有名どころは4人おりまして、それぞれ大戦略について集中して論じたものを合わせて挙げると、
となります。
彼らはそれぞれ「普遍的な大戦略」として本を書いたわけですが、あらためてその中身を思い起こしてみると感じるのは、やはりその時代ならではの特徴を備えたものである、ということです。
たとえば上記の4人の議論には、ベトナム戦争で負けたことや、経済的に弱くなったことを自覚したアメリカの状況というものが色濃く反映されております。
これらの本は普遍的なことを書いているつもりであったにもかかわらず、結局はその次代の雰囲気や状況、文脈(コンテクスト)というものに大きな影響を受けていたわけです。
そういえば私の指導教官であったコリン・グレイは、『
戦略の格言』などでも強調しているように、戦略を考える際にはその状況の特殊性、つまり「コンテクスト」が重要であると格言の冒頭に持ってきて論じております。
これと同じように、何か大きなアイディアというのは、やはりそれが出てきた時代背景や状況というものに左右されるものであることをわれわれは忘れてはいけません。
では明日はいよいよルトワックの大戦略について書いてみます。
(根津さん)