スティーブン・バノンは私の本「フォースターニング」からアイディアを得た |
さて、ルトワックの最終原稿の追い込みで忙しくしておりましたが、来週発売の『フォースターニング』に関連して、原著者の一人であるニール・ハウが、最近ワシントン・ポスト紙に意見記事を投稿しておりましたので、その要約です。
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バノンの世界観は私の本が元ネタだ
By ニール・ハウ
今月のメディアの見出しには以下のような警戒心を呼び起こすものが並んだ。
●スティーヴ・バノンの暗い歴史観への傾倒は警戒すべきものだ(ビジネス・インサイダー)
●バノンは最後の審判の到来や戦争の勃発が不可避だと信じている(ハフィントンポスト)
●バノンは第三次世界大戦の勃発を願っている(ネイション誌)
このようなメディアの報道に共通するのは、トランプ大統領の首席戦略アドバイザーが、彼自身の世界観に最も影響を与えた本(フォース・ターニング)の熱心な読者である、というものだ。
私はこの本を、ウィリアム・ストラウス氏と共に1997年に出版した。この本がバノン氏の心を奪ったという話は事実である。
彼は2010年に「ジェネレーション・ゼロ」というドキュメンタリー映画を発表したのだが、この映画はわれわれが描いたアメリカ史(そしてほとんどの近代社会の歴史)についての、4世代にわたる循環理論を土台にして構成されたものであった。
このサイクルには、社会政治面での「危機」(これをわれわれは「フォース・ターニング」と名付けたが)を含むものだが、この本について解説していた記事では、あまりにもその恐ろしさが誇張されすぎていた。
私はバノンのことをよく知るわけではない。ただし「ジェネレーション・ゼロ」を含むいくつかの映画制作で、彼と関わったことは事実である。
彼の文化面での知識は豊富で関心したし、彼の政治観もそれほど攻撃的なものには感じられなかった。私が驚かされたのは、彼がブライトバートというサイトの代表になり、しかもそのサイトの主張を拡散しはじめてからだ。
私がオルト・ライト(ブライトバート周辺の極右・白人至上主義を目指しているとされる動き)を知ったのは、多くの人々と同じように、主要メディアの報道によってだ。
2007年に亡くなったストラウス氏と私は、バノンに対してどのように考えて何を主張すべきかをアドバイスしたことはない。
ただし、われわれが彼に一つの示唆を与えた可能性はある。それは、ポピュリズム、ナショナリズム、国家独裁主義が台頭するというイメージなのだが、それはアメリカだけでなく世界中で起こるというものだ。
われわれは政治的なマニフェストを書いたつもりはなかったため、「フォース・ターニング」の内容が左派と右派の中の一部の熱心な運動家たちの間で非常な人気を博したのには驚かされた。
「フォース・ターニング」が出版された当時に最も受けたのは民主党の人々の間であったが、その理由は「ミレニアル世代」(これはわれわれの造語だ)がアメリカを進歩的な理想に向かわせるコミュニティー志向の楽観主義者たちとして記述したからだ。
しかし保守派にもファンがいて、彼らは別の教訓をその本から見つけている。それは、新たな時代になれば左派経済と右派の社会的価値観がうまく融合させることができるというものだ。
イデオロギー以外にも、われわれの本が注目を再び集めている理由がある。それはわれわれが近代の西洋の歴史家たちが大前提としている「線的な時間」(一方向への進歩や衰退)や「カオス的な時間」(複雑すぎで方向性を見いだせない)というものを拒否しているからだ。
その代わりにわれわれは、伝統的な社会のほとんどで受け入れられている「循環する時間」を採用しており、ある出来事が意味を持つのは、哲学者のエリアデが「再演」と呼ぶものが見られた時であるとしている。
循環論的な世界では、偶発的な事件やテクノロジーを除けば、その社会的な雰囲気は似通ったものとなり、その再演の順番も決まっている。
このサイクルの中には四つの節目(ターニング)があり、この一つの節目はおよそ20年ほどつづくことになる。ちなみにこの20年とは、一つの「世代」の長さに対応するのだ。
これを循環する「季節」として考えてみていただきたい。それは春からはじまって冬に終わるのであり、一つの「節目」で新しい世代が生まれ、年上の世代は人生の新たなステージを迎えることになる。
このサイクルは「第一の節目」(the First Turning)の「高揚」(High)の時代から始まる。これはその前の危機の時代が過ぎ去った後に始まるのだ。
この「高揚」という春の時代では、公的な制度機関の力が強まり、個人主義は弱まる。社会において、個人たちは同調圧力に不満を感じながらも、集団としては向かう方向に自信を持っている。
現在を生きている多くのアメリカ人の中には、第二次世界大戦後の「アメリカの高揚」(これは歴史家のウィリアム・オニールが名付けた)の時代の雰囲気を覚えている人もいるかもしれない。トルーマン、アイゼンハワー、そしてケネディ大統領の政権時代がこれに当たる。
それ以前のものとしては、「南北戦争後のビクトリア時代の高揚」(the post-Civil War Victorian High )というものがあり、この時代には工業の発展と安定的な家族が見られた。民主共和派が主導した「憲法制定後の高揚」(the post-Constitution High )や「好感情の時代」(Era of Good Feelings)もこれに当てはまる。
「第二の節目」(the Second Turning)は「覚醒」(Awakening)であり、この時代には高尚な原則や深い価値観の名の元に公的な制度や機関が攻撃される。
社会の公共面での進歩が最高潮を迎える時に、人々は突然にあらゆる社会的な規律に疲れを感じ、個人の権威という感覚を再び獲得したいと考えるようになる。仕事ではなく宗教による救済が若者の主張として叫ばれるようになる。
この時代の典型的な例が、1960年代後半から70年代にかけての「意識革命」(the Consciousness Revolution)である。歴史家の中にはこの時代を「アメリカの第四の覚醒」もしくは「第五の覚醒」と呼ぶ人もあるのだが、これは17世紀のジョン・ウィンスロップの時代か、18世紀のジョナサン・エドワーズの時代を最初とするのかでわかれる。
「第三の節目」(the Third Turning)は「分解」(Unraveling)であり、これは多くの面で「高揚」の正反対であると言える。公的な制度は弱体化して信頼を失い、個人主義が強まって賞賛されるのだ。
「第三の節目」の時代としては、1990年代以外にも、1920年代や1850年代があるのだが、これらの時代はその懐疑的な態度やマナーの悪さ、そして公的機関の力の弱まりによって知られている。政府の力は縮小され、投機的な狂信が頂点に達する。
最後の「第四の節目」(the Fourth Turning)は「危機」(Crisis)である。この時代に入ると公的な制度機関は根本的に再編されるのだが、その原因は国家の存続の危機が感じられるからだ。もし歴史でそのような緊迫した脅威が生み出されなければ、この時代のリーダーたちは国民的な行動を動員を行う目的で、そのような危機を発見したり、さらにはでっち上げたりすることになる。
公的な制度機関の権威は復活し、市民や集団は、より大きなコミュニティーに参加者として協力を始める。このような集団的な努力が実って解決法を生み出すと、第四の節目はわれわれの国家としてのアイデンティティを活発化させたり再定義したりすることになる。
1945年、1865年、そして1794年は、アメリカ史においてそれぞれが新たな「創建的な瞬間」を決定づけたのだ。
「第二の節目」がわれわれの内的な世界(価値観、文化、そして宗教)を再構築したように、「第四の節目」はわれわれの外的な世界(政治、経済、帝国)を再構築するだろう。
われわれの理論によれば、これからやってくる時代(たとえば10年間など)は、その本質的な人間の働きによって過去のある時期と同じようなものになるはずだ。
われわれは『フォース・ターニング』の中で、アメリカは2005年頃に金融市場において「偉大な低下」を経験し、これが契機となって1930年代のような時代に突入すると予測した。
たしかにわれわれがこれまで経験した時間を考えれば、1930年代と同じような道筋を辿っているという考えはかなり当てはまると言えるだろう。
たとえば経済では、1930年代も2000年代も世界的な金融危機によって始まり、経済成長率の鈍化や慢性的な雇用や資本の低下が見られる。投資は低下し、デフレの恐怖や格差の拡大、そして中央銀行による消費増大への刺激策も不調に終わっているのだ。
地政学的な観点からいえば、現在では孤立主義、ナショナリズム、そして右派のポピュリズムの台頭を世界中に見たのだ。地政戦略家のイアン・ブレマーはわれわれが「Gゼロ」の時代にいると述べており、これはすべての国家が利己的になる時代という意味だ。
これは1930年代にも当てはまる。大国による同盟の権威は失墜し、新たな独裁的な政権がなりふりかまわず行動するような状態を見ることになったからだ。
社会的なトレンドにおいても、この二つの時代は似た部分を示している。たとえば出生率や持ち家率の低下、数世代同居の世帯の台頭、そして地元主義の拡大やコミュニティーのアイデンティティ、そして若者による暴力事件の数の劇的な減少(トランプ大統領はこの事実に気づいていないようだが)、そしてポップな若者文化の定着などである。
結局のところ、われわれは世界中の有権者の間に生まれつつある「リーダーたちにより大きな権限を与え、プロセスよりも実行、そして抽象よりも具体的な結果を出してもらいたい」という欲求を感じているのだ。
われわれは歴史がそのスピードを上げ、リベラルな民主制度は弱体化しつつある、極めて不安定で最も重要な時代に生きている。レーニンは「10年間何もなかったとしても、その10年を決定づけるような出来事は数週間のうちに起こる」と記している。
われわれは公的な制度の創造的な破壊に準備すべきだ。これはあらゆる社会が時代遅れになったり硬直化したり機能しなくなったものを破棄するために、定期的に必要とするものだ。そしてこれは、老人から若者に富を移行させる点でも必要になる。
森は定期的な山火事を必要としているし、川にも洪水が必要だ。社会も同じであり、新たな黄金時代を迎えるためにわれわれには支払わなければならない代償があるのだ。もしわれわれが歴史の大きなリズムを見ることができれば、このようなトレンドに落胆すべきではなく、むしろ励ましとすべきである。
過去数百年間にわたる英米史では社会的な危機がかなり定期的なサイクル、つまり80年から90年ほど、もしくは人間の一生分の長さで巡ってきている。
このパターンを見ると、植民地における名誉革命の時代、アメリカ革命、南北戦争、そして世界恐慌から第二次世界大戦という時代が繰り返されている。そして1930年代からのサイクルを一回し進めると、われわれが生きているまさに現代がその時代に当てはまる。
アメリカは2008年に新たな「第四の節目」に入った。これは2030年前後まで続く可能性が高い。われわれの理論では、現在の流れはその時代の半分に近づくにつれてさらに明確になってくるということが示されている。
新たな金融危機や、大規模な軍事紛争など、今よりもさらに不都合な出来事が発生すると、国民の議論を活発化させ、リーダーたちにさらに断固とした行動をとるよう求めることになる。
世界中で台頭する地域主義やナショナリズムは大きな政治主体(おそらくEU)の分裂や、紛争の勃発(おそらく南シナ海、朝鮮半島、バルカン半島、もしくはペルシャ湾)につながる可能性がある。
新たな孤立主義の台頭にもかかわらず、アメリカは戦争に巻き込まれるかもしれない。私は戦争を望んでいるわけではないし、単に冷静に観察をしているだけだ。
それによると、米国史上におけるすべての総力戦は「第四の節目」の時代に発生しているのであり、この時代が総力戦で終わらなかった事例はないのだ。もちろんそのような戦争におけるアメリカの目標は、非常に広範囲な分野から決定されるものであろう。
2020年代の後半になると「第四の節目」は頂点を迎え、終わりに近づくことになる。講和条約が交渉され、協定が締結され、新たな国境線が確定し、おそらく(1940年代の後半のように)新たな強い世界秩序がつくりあげられるはずだ。
また、2030年代初期までにわれわれは新たな「第一の節目」を迎え、若い家族は歓喜し、出生率は上がり、経済格差は縮まり、新たな中間層が台頭し、公共投資は21世紀のインフラのために増大し、秩序ある反映が復活するだろう。
次の「第一の節目」、つまり新たな「アメリカの高揚」の時代には、今のミレニアル世代たちが社会のリーダーとなり、彼らの楽観主義や賢明さ、能力、そして自信を見せつけることであろう。そして2030年代後半のどこかの時点で、ミレニアル世代の初の大統領が誕生し、新たな伝説を創り出すことになるだろう。
それからさらに数年後には、集団的な考えを持つミレニアル世代は、新たな若い世代から思いがけない形で猛烈な批判を浴びることになる。それが次の「覚醒」だ。
このように、歴史のサイクルは容赦なく回り続けるのだ。
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拒否するのかと思いきや、ここぞとばかりに本の内容を説明しまくってますね。
しかもその考えは、バノンと同じく(というかバノンが学んだのでしょうが)、「2008年のリーマンショックによって危機が始まった」という考え方ですね。
個人的には「2008年に1930年代が始まった」というのはちょっと大げさであり、もしかしたらテクノロジーの発展によって彼らのいう「危機」が回避されているのかと思いたいところですが、トランプ政権の誕生と、しかもこの理論を信じているバノンが政権の中枢にいるという事実は「危機」の到来を予感させるに十分なほど異常事態でありまして。
ということで、この理論が書かれている『フォースターニング』は来週後半に本屋に並びます。賛否両論ある「奇書」かもしれませんが、ぜひ書かれている内容をお楽しみいただければ幸いです。
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