ルトワックの「ポスト・ヒロイック・ウォー(試訳):その2 |
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▼ローマの包囲戦
ローマは部隊の損失を最小限化しつつ、ブリテン島からメソポタミアまでの敵に打ち勝つために、いくつかの対処法を使っていた。まず最初は彼らの基本として、開けた場所での戦闘を避けるということであり、とりわけ自分たちがはるかに優位にあっても自発的に戦闘を始めることを最大限避けるというものであった。ローマは時と場の不確実性に直面して、同じく不確実な犠牲の損害を出すよりも、むしろ敵に好きなポジション(しかもそれが強固に要塞化されていたり地理的に優位なものであったとしても)まで撤退することを許しているのだ。流動的な状況をより自らが統制できる状況に変えることによって、ローマ人は体系的な包囲作戦を開始することを狙い、部隊を編成して武器を集積し、供給したのである。それでもまだ彼らの最優先事項は敵の防御を突破することではなく、包囲している部隊を守るために精緻な要塞をつくり、敵の反撃によって出る犠牲を最小化することであったのだ。全体的にいえば、包囲戦はローマにとって、包囲技術の優秀さと兵站面での優位という二つの面で得意とするものであった。これによって、彼らは包囲している敵の食糧の尽きるまで待つことが可能になったのである。故意の計算された忍耐は、軍事面での優位を示すものである。
ローマ軍の包囲戦の現代版ともいえる貿易禁止や武力封鎖というのは、戦術的なものではなくて戦略的なものである。あいにくだが、ナポレオン式の概念が普及している限り、戦争に似たような結果を戦死者を出すことなく達成するのは無理であろう。興奮した国家は結果をすぐ求めたがるものだが、貿易禁止や封鎖の効果というのはすぐに出るというよりもむしろ累積的なものであり、その結果は思ったよりも長くかかることが多い。さらにいえば、ナポレオン式の戦争の概念では決定的な結果しか認めないものであり、貿易禁止や封鎖の効果というのは完全というよりも部分的なものでしかない(それでも何もないよりははるかにマシだが)。たとえば一九九〇年以来、このような手段はサダム・フセイン率いるイラクの軍事的復活を抑えてきた。イラク軍は一九九一年の湾岸戦争で受けた兵器の損失から復活することを許されておらず、破壊された、もしくは老朽化した兵器の更新はままならずに弱体化が進んでいたのだ。もちろん禁止となっていたのはタンカーやパイプラインによる直接的な輸出だけであったが、陸上で運びだされるそれよりもはるかに少ない量の原油取引では再武装には十分ではなかったのだ。
また、国連がイラクの輸出禁止を解いたとしても、実質的な「封じ込め」状態は深刻な軍事力の脅しのない状態ですぐに解消されるわけではなかったのだ。ついでに言えば、大々的な戦争だけが達成できる決定的な結果は、この場合にはさらに一時的で不確定なものとなっていただろう。なぜならイラクの軍事力の完全な破壊は、即座にイランという脅威に対する封じ込めを遥かに難しくしたはずだからだ。
それと同様に、元ユーゴスラビアでは国連、ヨーロッパ共同体、もしくなNATOによるあらゆる外交や軍事介入の大失敗の中で、ポジティブな効果を唯一生み出したのが、セルビアとモンテネグロへの輸入の拒否(といってもそれは完全なものからはほど遠いものであったが)だったのだ。セルビアとモンテネグロの軍事力への確実な(といっても計測不能かもしれないが)インパクトに加えて、禁輸措置はセルビアの最も過激なリーダーシップを和らげる効果があった。禁輸措置は少なくともボスニア・ヘルツェゴビナ、スロバキア、そしてクラジナにいるセルビアの武装集団に対するより露骨な戦闘・兵站面での支援を思いとどまらせたのであり、交渉に向かう態度を(それが武器禁輸の解除を狙ったものであったとしても)引き出すことになったのである。禁輸措置が長引きそうになると感じられたおかげで、ギリシャの悪行を幇助するセルビアの拡大に、まだ脆弱を抱えたままのマケドニアに対する侵攻を防ぐ効果があったことは間違いない。
あいにくだが、最も楽観的な計算によってもその結果は不都合なものであった。それでもこの禁輸措置は人命や血税を失うことなく、国連の高価で効果のない武力介入や、それ以上に高くつくNATOによるボスニア上空での航空警戒活動(眼下では大虐殺が続いていたにもかかわらず戦闘も爆撃もほとんど行わなかった重武装の戦闘爆撃機によるもの)よりも、はるかに多くのことを達成したのである。
この二つの(少なくとも部分的な)成功例をのぞけば、これまでの封鎖や貿易禁止の歴史のほとんどは完全な失敗だとして引用されている。ところがほとんどがそのような扱いを受けているのは、「すぐに結果が出ないものであれば価値はない」という想定が土台となっているからだ。そしてこのような封鎖や貿易禁止、もしくは進行の遅い累積的な形の戦闘を最大限活用するためには、計算された意図的な忍耐を尊重する、新しい(というか復活した)戦争の概念が必要になるだろう。これからもわかるように、ナポレオンやクラウゼヴィッツのように無意識に「テンポ」や「勢い」などを強調する考え方は、たとえ迅速に動く理由がないような状況でも強迫的ともいえる緊迫的な感覚を生み出すことになる。英陸軍元帥であったバーナード・ロー・モンゴメリー(Bernard Law Montgomery)は、他の人々が拙速な即興をして失敗した中で、単に徹底した準備を行って成功した、最初の、もしくは最後の将軍というわけではなかったのだ。
「強迫的ともいえる緊迫的な感覚」は、一九九一年の湾岸戦争の最初の週でも多く見ることができる。この時にイラク内の戦略目標に対して組織的な空爆が行われたのだが、これについて現場の多くの部隊の指揮官たちは明らかに我慢のできない様子で見守っていたのである。ニュースで流れてくる報道は彼らの戦略爆撃や、それがイラク軍をはじめとする戦術目標への破壊につながって素早く地上戦への道が広がるはずだという見方に対する、懐疑的な気持ちをさらに強めるものであった。
米軍の最高幹部たちは下から上がってくる圧力に抵抗している。しかもこの圧力にはいかなる客観的な緊急性がなく、むしろ直感的な感情や、さらには官僚的な欲望が反映されたものでしかなかった。そしてこの圧力を完全に抑えこむことはできなかった。地上部隊に対して航空支援を行うために戦略爆撃を実質的に止めるはるか前の戦争開始から三九日目の時点で、イラクの核・非核兵器に関する研究・開発・生産・そして貯蔵施設の組織的破壊に最適な航空機の多くは、四〇〇〇台にもおよぶ装甲車両の破壊任務にとりかかったのである。
航空作戦を戦略目標から戦術目標へと移してしまったことは、不満足な結果しか生み出さなかった。作戦後にも、多くの重要な核・生物・化学兵器関連の施設が破壊されないまま残ってしまったからだ。アメリカには戦闘機が豊富にあるにもかかわらず、精密誘導兵器で戦略目標を攻撃する兵器を完備していたのはたった二〇〇機以下であった。しかも結局この数は、三九日以内に指揮・統制、送電網、通信網、防空施設、そして石油精製・貯蔵施設、さらには航空基地や海軍基地、鉄道と車の陸橋、兵站集積所などを含む膨大な数のすべての目標を破壊するには、あまりにも少なすぎたのだ。
同じ「強迫的ともいえる緊迫的な感覚」は、たとえば戦争開始から四九日目ではなく、前述の三九日目の地上での攻勢開始の決定について、ある程度の役割を果たしたのである。すでに三九日目になると、イラク側の兵力は空爆作戦のおかげでほぼ壊滅状態にあり、とりわけ前線の部隊へのほとんどの兵站線が寸断されていたのだ。したがって地上での攻勢開始の決断は早まったわけだが、それでもアメリカと同盟国側の犠牲者の数は(そもそも全体的にも少なかったために)変わらなかったのだ。ところが空爆が一〇日間でも伸ばされていれば、戦略目標に対する出撃数は二〇〇〇回ほど増えたはずだ。戦略レベルの規模での精密誘導爆撃という新しい手法は、その全体的に進むスピードがあまりにも遅いが、累積的な結果においては効果が高いため、たしかにコストはかかるがアメリカ側の兵士の命という観点から考えれば非常に経済的である。ところがその潜在力を存分に発揮するための十分な時間は与えられなかったのだ。
地上戦での迅速な勝利は戦争後半に最も重要な役割を果たしたのだが、ここから判明したのは、ナポレオン時代の国民の意見について考え方が支配的な影響力を持っていたということだ。もちろん最後の地上戦は「掃討作戦」以上の役割は果たさなかったのだが、それでも全体的な世論に対するインパクトは空爆作戦よりもはるかに大きかったのである。なぜならそれが素早く実行されたと同時に、目に見える形で決定的なものであったからだ。
▼忍耐強いエアパワー
ボスニアにおけるアメリカの空爆使用の主張に対する批判の土台にあったのが、「すぐに結果が出るような作戦だけが価値を持つ」という暗黙の前提である。司令官たちは「領域爆撃に似たものは、どのようなものであれ一般市民の犠牲を多く出してしまう」という最初の声明の後、すべての攻撃目標は精密攻撃を効果的にするにはあまりにも特定しずらいものであったり、ボスニアの起伏のある地形の中に容易に偽装して隠すことのできるものであると論じている。彼らはあらゆる航空作戦を「素早く終わらせるべきもの」であったり「たった一度だけ行われるもの」という前提で論じていた。もちろんたった一度だけの精密誘導爆撃は簡単に失敗する。その瞬間に悪天候であったり、最後にいた場所から目標が動かされていたり、うまく偽装して隠されていたりするからだ。そして当然ながら、セルビア人民兵がサラエボを砲撃する際に活用した一二〇ミリ迫撃砲などは、すぐに移動したり隠したりすることが可能なのだ。さらに言えば、それよりもはるかに精緻な榴弾砲や野戦砲なども見つけにくい目標となりえるのである。
ところがこの議論は、一度だけの攻撃、もしくはあらゆる短期的な作戦と、何日も何週間も続けられる空爆作戦との間の違いを、完全にぼやけさせてしまうものだ。もし最初の空爆が分厚い雲のおかげで失敗してしまっても、次の出撃、もしくはその次の出撃は晴天にめぐまれるかもしれない。もし最初の空爆作戦で隠された榴弾砲を見つけることができなくとも、次の出撃では砲撃しているところを発見できるかもしれない。そして攻撃目標が民間人に近すぎるために最初の空爆が中止されたとしても、次の出撃では空爆できるかもしれないのだ。空爆作戦を素早く終わらせようとする原因は何なのだろうか?ボスニアでの戦闘は数年を経た今日までも相変わらず続いているが、その理由は軍の指導者たちが「数日間で戦いを止めることができる」とは考えなかったからだ。
もちろんもう一つのナポレオン式の戦争の考え方(「決定的な結果のみに価値がある」というもの)は、それ以上に重要である。米軍のトップが正しく指摘したように、空爆だけでは元ユーゴスラビアの戦争を終わらせることはできなかったし、ボスニアを敵から守ることもできなかったし、一般市民を強姦や殺人、もしくは強制退去などからも守ることはできなかったのである。ところが実際は、もしセルビア人民兵が国連の部隊に報復して撤退させたり、アメリカ主導の地上部隊の派遣が行われていれば、状況はさらにひどくなっていたはずである。
「国連の部隊が弱い民間人をしっかりと守ることができる」という怪しい想定や、「空爆は無駄だ」という思い込みがあれば、そこから出てくる結論は当然の結果となる。もちろん空爆だけで戦争を終えることはできないし、ボスニアを救うことができないというのは正しい。しかし空爆を継続させることができれば、とりわけ破壊的な戦い方である、都市部に対する大砲の使用は確実に阻止できたはずなのだ。そうなれば悲劇的な状況を改善できたかもしれないし、アメリカが状況を深刻に考えていることを周知させることもできたはずだ。もちろんこれは完全な解決策にはならなかったかもしれないが、それでも何もないよりははるかにましである。
▼犠牲者の出ない戦い
現在の軍備調達や戦術ドクトリンに関して、われわれは古代ローマ軍の実践からさらに学ぶことがある。たとえば攻撃的な行動をどこまで犠牲を出さないものにできるかを見るためには、ローマ軍の部隊の姿を思い浮かべるだけで十分であろう。大きな長方形の盾や頑丈な金属製の兜、大きな胸当て、肩当て、そしてすね当てなどは、あまりにも重かったために部隊の敏捷性を奪っていた。つまりローマ兵の身につけていた武具の防御力は非常に高かったのだが、撤退する敵を追撃することはほとんどできず、一時的な撤退に対しても追いつくことはできなかったほどだ。さらにいえば武具の重さを相殺するために、刺突用のけだけが支給されたのである。ローマ人は、敵の損害を最大化するよりも、味方の犠牲者を最小化することに明らかに努力を傾けていたのである。
現代では当時使われていた鉄や革よりもはるかにすぐれた原材料が手に入るが、不思議なことに高性能の防弾服の研究・開発には、現在までほとんど予算が振り分けられていないような状況だ。実際のところ今日入手可能なものとしては、民間が開発した警察をはじめとする国内治安維持組織向けのものしか存在しない。
現代においてローマ人の要塞と同じことを行うとすれば、それは現代の技術によって壁や要塞を建造することではなく、むしろローマ人がその前提として優先していたことを真似ることにある。これは兵器だけでなく、戦術面にも当てはまる。最も目立つのは、現在のコストパフォーマンスによる判断基準は、犠牲者を忌み嫌う時代の流れをまだ反映していないという点だ。予算全体の方向性を決定する際に、軍種ごと(陸・海・空)の枠組みの中ではまだコストや戦闘力の考慮が土台となっており、犠牲者の防止についてはそれと同等の考慮をされていないのである。ところが実際の軍事活動においては犠牲者を出すリスクというものが行動における決定的な要因となっている。もちろん軍種ごとによってはそのリスクが大幅に違っており、たとえばエアパワーによる攻撃の場合はそれが最小となり、陸軍や海兵隊の歩兵にとっては最大となるのだ。また、レーダーや赤外線などの探知から逃れることを狙って設計されたステルス航空機についての議論も興味深い。ステルス機というのは非常に高価格であると見られがちだが、その場合は暗黙のうちに同じような行動半径と積載量を持つ非ステルス機と比較されているものであり、しかもその場合に必要となる護衛戦闘機のパイロットが直面する高いリスクについては考慮されないことが多い。このような計算から欠けているのは、使用機会は限定されているがグローバルな行動範囲を持つ兵器である護衛なしのステルス爆撃機のような、「犠牲者の出ない手段」の獲得を尊重する対外政策である。犠牲者の回避は、現在の軍事計画においてはまだ高い優先順位を与えられていないのだ。
現在の状況から求められているのは、単なる戦争の新しいコンセプトだけではない。それは軍事計画に非英雄的な現実主義を取り入れた、軍事行動における過剰な小心さを克服するための新しいメンタリティなのだ。ナポレオン&クラウゼヴィッツ式のものから離れた新たな戦争の考え方には、忍耐力だけでなく控えめな要素も必要になる。そうなると、さらなる成果を求めれば兵士を危険にさらすことになり、かといって手を抜けば自尊心を傷つけてしまうような状況になるのだが、この結果としてわれわれには未解決な結果に甘んじる必要が出てくるのである。
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