ルトワックの「ポストヒロイック・ウォー」(試訳):その1 |
さて、連日にわたって孫子本の訳で忙しいので、だいぶ前に訳したルトワックの論文の「試訳版」をここにおいておきます。完成版ではないので誤字脱字がかなり含まれております。
お気づきになられた方はコメント欄でぜひお知らせください。修正します。
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ポスト・ヒロイック・ウォーに向かって
by エドワード・ルトワック
May/June 1995 Foreign Affairs
▼総力戦の衰退
元ユーゴスラビアで長期化する戦い、グロズニーの破壊、そして最近のエクアドルとペルーの国境地帯での戦闘をつなげる共通項が一つある。それは数世紀前と同じように、戦争が再び「容易に開始しやすく、明確な制約もなしに戦われるようになった」ということだ。参戦者同士が戦争開始や戦闘であらゆる手段を使うこと――空爆や砲撃などによって町全体を破壊することなど――に対する罰を与えられないと考えるようになると、軍事力の行使に対して自ら課した制限は下がるものだ。エクアドルとペルーの間の国境紛争は戦術爆撃が使用されてから始まったのであり、しかもそれは単なる歩兵同士の小競り合いくらいの結果しか生み出さないかのような形で実行されたのだ。
この新しい戦争の時代の到来は、冷戦の終焉によるもう一つの結果である。とりわけ冷戦では、紛争地域におけるいくつもの熱戦を誘発もしくは強化したのであり、米ソ両国はそれぞれの同盟国や保護国に対して、現地の能力を遥かに越える武器や専門技術を供給してきた。そのような代理戦争の場となることが多かったのが中東である。
ところが同時に、核戦争へとエスカレートする恐怖は、米ソ両国がヨーロッパやその他の地域で(それが最小規模のものであっても)直接対決するのを阻止したのである。結局のところ、冷戦は世界各地における多くの潜在的な戦争を抑えこんできたのであり、その理由は米ソ両国が自分の隷下の国々に勝手に戦争を起こすことを許さなかったからだ。さらにいえば、両国とも朝鮮半島やベトナム、それにアフガニスタンでの戦争のような形や地理的な範囲や、自分の同盟国や衛星国が戦った戦争をコントロールすることに関して非常に神経質になっており、ここでも直接対決や核戦争へとエスカレートすることの恐怖があったのだ。
このような戦いを条件づけている戦争の概念というのは、特定の状況によって生み出されるものと認識されているわけではなく、むしろ普遍的なものであると見られてきた。この概念では、戦争が国民の熱狂を引き起こす国家の偉大な目的のために戦われ、ビジネス的に戦う職業軍人の集団ではなく、国家を代表する軍隊によって戦われることが想定されているのだ。ところがこのような想定は戦争の概念のうちのたった一つであることは、軍事史に少しでも関心のある人々であればよく知っていることだ。この概念は「究極の真理」からはほど遠いものであり、むしろ近代によって発明された、どちらかといえばより最近の時代に関連したものなのだ。フランス革命以前のほとんどの戦争は、国民の熱狂を呼び起こすことはほとんどない、はるかに切迫性の少ない目的のために戦われたのであり、高価なプロの軍隊を温存するために慎重な戦略や戦術が使われていた。一八世紀の戦争では偉大な目標がなかったおかげで全国民を戦争に向かわせることはできなかったが、それでもそれを正当化するだけの控えめな目的があり、犠牲者が出るのを避けることがその標準的な規範となっていたのだ。
▼戦争の新しい文化
緊張の度合いは高いが統制された「冷戦文化」では、軍事力の使用に対する抑制的な制限が必要とされていたが、これはインドやパキスタンのような非同盟志向の国家にも影響を与えているように見える。軍事力の使用は、冷戦期には世界中で非常に恐ろしいことであると見られるようになり、最大限の熟慮の上でのみ決定され、普通は「最後の手段」として用いられるものとなったのである。関与を否定できるようなゲリラ作戦ではなく通常の歩兵戦をエスカレートさせたり、歩兵戦ではなく機甲戦や砲撃支援、そして地上戦よりも空爆を行うことは、過去の場合のような現場の部隊の指揮官の自由裁量ではなく、国のトップの政治的な判断が必要とされるとみなされるようになったのである。もちろん現場の指揮官たちは(時には大声で)不満を漏らしたが、それでもこの新しい抑制的な文化を受け入れて従ったのだ。
もちろんこの抑制は一九四五年から八九年までの間の(最も多く見積もった場合の)一三八回もの戦争と二三〇〇万人もの犠牲者を防ぐことはできなかったが、それ以前の二つの世界大戦を含む四四年間ではそれよりもはるかに多くの人々が犠牲になっているのだ。また、一九四五年から八九年までの国内の暴動鎮圧や内戦では、抑制的な考えから生じる戦略面での慎重さが欠如した状態であったために、一三八回の戦争の合計よりもさらに多い犠牲者が出ている。
冷戦が「熱い戦争」を抑圧できなくなった今、軍事力の使用に対する抑制的な制限を促す文化は全体的に消えつつある。イラク戦争を除けば、その結果は主にソ連やユーゴスラビアであった地域で出現しつつある。東部モルドバ、コーカサス地方の三つの共和国、中央アジアの一部、そして最近ではチェチェン、クロアチア、ボスニアなどで続いている長期戦や壊滅的な破壊、そしておびただしい数の残虐行為は、たしかに多くのアメリカ人を恐れさせその考えを変えさせた。ところがこれらの多岐にわたる暴力は、帝国が植民地へと権力を大々的なスケールで移譲した時とまったく同じ構造や、純粋に土着的な原因から発生していたのだ。それゆえに、われわれは新しい無制限戦争の始まりも、少なくとも地理的に限定されたもの(といってもその対象地域は広大だが)であると考えることもできる。
エクアドルとペルーの間の戦闘、ギリシャとトルコの間の増大する無謀さ、そしてカシミール地方における増長するパキスタンの大胆さなどから感じられるのは、新しい、そしてより制限の少ない戦争の文化が、はるかに広範囲で台頭しつつあるという不吉な予感である。今やこれら多くの事例に対抗できる手段は何もない。侵略行為や故意のエスカレーションなどは処罰されずに存在し、勝者はすでに獲得したものを保持したままであり、敗者は自らのものを奪われたままである。冷戦期はこのような状態ではなく、ほとんどの国は米ソどちらかの保護を受けることができたのであり、その両国自身もその国々をコントロールする理由を持っていたのだ。そして勝者たちは米ソ両国との協定によって獲得したものを徐々に減らされ、敗者は勝者側と同盟関係にない両国のどちらかに支援してもらえたのだ。
もちろんエクアドル・ペルー間の戦闘がどのような前例となるのかは謎のままだ。地図が変わるような結末がでなければ、ラテンアメリカ諸国間で凍結されていた国境紛争が復活するとは主張できないからだ。ただしこれらの紛争は、当然ながら極端に民族主義的な立場をとる政治家たちに再評価されているはずだ。軍事費が低下傾向にある多くのラテンアメリカ諸国においては、明確な反発は無理だとしても、軍事費削減の減速は確実に起こるだろう。政治・経済面で大きな利益をもたらした近年における最もポジティブな流れは、いまや危機的な状態にあるのだ。エクアドル・ペルー戦争はラテンアメリカ諸国全体に対してかなり大きな損害になるかもしれず、それは地理的な制限を越えてアメリカにも波及しかねない。
▼「戦争」の意味
ではアメリカは倒錯した事例や、容易かつ無制限な暴力の新しい文化に対処できるだろうか?外交の先には、多国間的な枠組みや他国の援助を必要とする、もしくはしない、「武力介入」という問題の多い対処法が存在する。ところが状況的には武力介入が有効な場合(もちろん想像不可能な状況もある)があるにもかかわらず、米軍は武力介入について、アメリカ国民からの全般的に繰り返し否定されることになる。
このような政治的な制約は当然のこととして受け入れるべきである。なぜならこれらは米軍の指導層が現在採用している、特定の戦争の概念や介入手法によって生じる不慮のコストだからだ。もしこれらが戦闘で米軍兵卒がさらされるリスクを最小化する目的で大きく変換されるものであれば、提案された軍事介入に対する国民側の反応も変わるはずだ。アメリカは侵略やエスカレーションを今よりも積極的に思いとどまらせることができるようになるだろう。
アメリカが当事者となって介入している場合は、たとえば米軍の公式マニュアルや一般的な「戦争」という言葉の理解において、これらのほとんどは政治議論でも暗黙のものとなっている。当然だが、ワインバーガー・ドクトリン、パウエル・ドクトリン、それにチェイニー・ドクトリンなどは、米軍を戦場に送り込む決定をする際のいくつかの条件を提示しており、それらは同じ戦争の概念に則っているにもかかわらず、それを議論せずに暗黙の状態でベースとしているのだ。これらの三つのドクトリンで触れられている条件の詳細は異なるものだが、そのすべてではアメリカの明白かつ致命的な国益が脅かされていることが条件となっており、アメリカは国民の熱狂が冷めるまでに決定的なだけでなく迅速に勝てるだけの十分な戦力を使用する必要があるとされている。
「大きな目標のために戦われる戦争」というのは、当然のようにフランス革命やアメリカ独立戦争から生み出されたものだ。ただし私は歴史的な正確性は無視して、ここではとりあえずこれを「ナポレオン戦争」と名づけておく。なぜならここで言う「大きな目標」は、まさにナポレオンがやったように、大規模な作戦において大兵力を決定的に使用することを意味することが多いからだ。この概念は、ナポレオンによってあざけられ、カール・フォン・クラウゼヴィッツによって体系的に批判された、一八世紀のヨーロッパにおける典型的な戦い方に対する反応として生まれたものだ。
もちろんクラウゼヴィッツは、前世紀の注意深い戦い方がその時代と「内閣戦争」(cabinet wars)と呼ばれた戦争の狙いと一致していたことを十分認識していたにもかかわらず、それを極めて手厳しく批判している。その際に使われていた、相手に見せつけるための部隊の機動的な動きは、一度も銃を発射することなく敵を撤退させる目的で行われたのだが、一旦激烈な戦闘が始まってしまえば、すぐに中止されるようなものであった。優位な部隊でさえ、勝利において犠牲が多く出ることがわかれば戦闘を避けたほどなのだ。戦闘の勝利にあたっては、決戦よりも長期的な包囲戦、そして全面攻撃よりも慎重な追撃のほうが好まれたのである。戦略レベルにおいては、よく練られた攻勢でもその目標はかなり控えめなものであり、成功しそうな作戦でも単に犠牲者を避けたいがために冬期に備えて早めに手仕舞いされることが多く、攻撃による成果の発揮は、犠牲者の回避という遥かに優先順位の高いことによって常に避けられ、次回の戦闘のために部隊を温存し、線的な防御や要塞の構築や配備のためにはるかに多くの努力が傾けられたのだ。
ナポレオンはそのような慎重な戦い方に対して、大規模な兵力や急速に集中する部隊の勢いを使った大胆な戦略的攻勢を用いることによって勝利したのであり、クラウゼヴィッツが提唱したのはまさにこのような戦い方だったのである。偉大な国家目的のために戦われる戦争や、ドイツ統一を念頭におきつつ、クラウゼヴィッツは熱しきらずにリスクを避け、しかも長期的にはコストがかかるような戦い方が抱える論理面での誤りを明らかにした。もちろんクラウゼヴィッツは、政治的な考慮の優位を主張することによって、戦略における慎重さ推奨する最も強力な議論を展開している。ところがこれも、彼の戦術・作戦面における大胆さの効率性の良さを示す議論の前ではほとんど力を持つことはなかった。この効率性の議論というのは、その野心的な目標を正当化するような文脈から簡単に切り離されやすいものであったのだ。
戦争に内在する永続的な構造や心理学について深い洞察力を備えたクラウゼヴィッツの教えは、いまだにそれを凌ぐものがないほどだ。リスクをとって成功した歴史上の偉大な指揮官たち
(ブラッドレーやクィントゥス・ファビウス・マクシムスたちのような慎重な勝者を排除し、パットンやハンニバルのような人々を集めた極めて偏ったもの)のリストと同様に、これらの教えは米軍の教育機関は国防大学などでの議論で浸透しており、現在の野戦教則(フィールド・マニュアル)や公式のドクトリンなどでも容易に見つけることができる。このような文書の多くでは、冒頭で「戦争の原則」(戦力の集中、多勢、勢いなど)を言い直したものが掲載されるのだが、実際それらのほとんどが、ナポレオン戦争時代におけるクラウゼヴィッツ式の原則なのだ。
この「原則」は、核兵器を使わない軍事作戦の計画という意味においては、二つの世界大戦や冷戦の状況にとってたしかに当てはまるものであった。ところがそれは現在の国内外の状況には当てはまらないのだ。現在の国際政治において世界を脅かすような大国は存在せず、わずかな数の動きのない「ならず者国家」や、遥かに規模の小さな戦争や内乱が発生しているだけであり。そのどれもがアメリカを直接脅かすことはないし、その重大な国益を害するものでもない。したがって、ナポレオン戦争や、たとえばワインバーガー/パウエル/チェイニー・ドクトリンなどによって示されている軍事介入のための前提条件は、そもそも存在していないのである。
ところが最大規模の残虐行為にあふれた侵略行為を注目しながらもただ傍観していたという事態のおかげで、アメリカは倫理・道徳面で被害を受けることになった。さらにいえば、戦争における新たな文化の広まりが、アメリカの物理的な利益に対して容易かつ急激に被害を与えつつあることは明らかである。銃撃が発生する場所では商業のチャンス(しかもその多くはかなり大規模なものだ)が毎日に失われ、将来においてはさらにその数が増えるかもしれないのだ。
いくつかの現代兵器が発揮できる機能から考えれば、軍が本気でテクノロジーの潜在力を活用して一八世紀のような犠牲者を避ける方法を真似ることができるかもしれないし、実質的には血の流れない武力介入を実行可能となるかもしれないのだ。もちろんアメリカの狙いは、それと同時に控えめなものとしなければならず、「部分的かつ制限的な成果以上のものを達成したい」という誘惑に負けずに、一八世紀の将軍たちのように遅く出てくる結果を生むような状態を維持しなければならないのである。
それとは対照的に、現代の軍にはクラウゼヴィッツによって補強されたナポレオン戦争のタイプの考え方がいまだに浸透しているのだが、それが直近の軍事面での必要性と極めて大きな違いを見せている。たとえばアメリカのソマリア介入は、ハイリスク/ハイリターンの特殊作戦方式の大胆なヘリによる急襲が大失敗したことによって突然終わりを迎えた。ところがこれがアメリカの国益にとっては最も関係の薄い国における自由裁量度の高い介入であったという事情を考えると、リスクの高い手法は、それがどのようなものであれ原則として全く不適切なものであった。さらに結果がどのようなものであれ、この介入を行う判断そのものがひどいものであった。米軍のトップの計画担当者たちは、アメリカの特殊部隊司令部に対し、浸透しているメンタリティに沿う形で本質的に犠牲者を出すリスクの高いタイプのソマリア介入作戦の開始を許してしまったのである。
ナポレオン式の概念が応用できる限り、米軍にとって合理的な範囲で犠牲者を出すことは重大な決断要因とはならなかった。「偉大な目的のために戦われる戦争」が暗示しているのは、たとえその数が大規模なものになっても犠牲が出るのを積極的に受け入れるということだ。さらにいえば、犠牲に対する許容というのは、産業革命以前、もしくは初期の産業社会の人口動態、つまり家族には多くの子供がいて、そのうちの何人かを病気で失うのはまったく日常的であった状況と一致しているのだ。若者を戦闘において失うのはたしかに悲劇的ではあったが、それでも一人から多くても三人の子供しかいない現代の家族に比べれば、完全に許しがたいことではなかったのである。現代ではすべての子供が成人することを当然視されており、家族の感情的な絆を抱えていることが多い。アメリカでさえ、植民地拡大や目立たない動機を目的として戦われた、任意の大国間戦争の「燃料」となる「消耗品的な兵士」を過去に十分に供給できたことはない。しかも現代のような低出生率のポスト産業化社会では、回避可能な戦闘におけるそのような「消耗品的」な命の供給は許されないのである。
現代のように、プロとして給料や退職金も出る、出世を狙う兵卒によって占められ、犠牲者を出すことに不寛容な国家に属する軍隊が、民族主義や宗教過激主義によって感情を燃え上がらせた敵と対処できるかどうかはほぼ不可能なことのように見える。ところが戦闘を避けて何もしないと、セルビアのような攻撃的な小国だけでなく、ソマリアの軍閥のように、自由に暴れまわったり、自らの意志で勝利を獲得できるような事態が生まれるのだ。
このジレンマを、前代未聞であったり解決不能なものであるとみなす人々もいる。ところが実際はそのどちらでもない。もしわれわれがナポレオン式の概念から離れ、一八世紀型の歴史的に「普通」の状態を認めることができれば、同じジレンマが出現してそれをうまく克服できた、多くの歴史的な事例に気づくことができる。たとえば二千年ほどさかのぼってみると、まさに現代と同じようにプロとして給料が出て退職金ももらえ、出世を狙う人々によって構成されたローマ軍の兵士たちは、部族や宗教のために栄誉を持って死を恐れない戦士たちと、日常的に戦わなければならなかったのである。そしてその当時から、ローマ軍側の上官たちは戦闘での犠牲者には無関心でいられなかったのだ。その理由として、戦闘部隊を訓練するのにはコストがかかり、しかもローマ市民の人材が豊富というわけではなかったという点などが挙げられるだろう。アウグストゥスが数年前に行われた「トイトブルク森の戦い」で三個軍団を失った指揮官ウァルスの墓に行って哀悼の意を表した話は有名である。
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つづきはのちほど。
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