リチャード・ベッツの「戦略の階層」 |
さて、私が以前から提唱している「戦略の階層」について、リチャード・ベッツというコロンビア大学の先生がかなり昔の論文で書いていたので、その一部を訳してアップしておきます。
現在問題になっている政軍関係についても触れている記述があります。
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戦争におけるすべてのこと
●クラウゼヴィッツが戦争の「摩擦」について述べたことは、戦略についても当てはまる。それは「非常に単純である。しかしこの極めて単純なものがかえって困難」なのだ。
●このような問題のそもそもの始まりは、「戦略」という言葉に数々の「原罪」が含まれている点にある。もちろん多くの人々は、この言葉が出てきた初期の頃のような、狭い考え方――大規模な軍事作戦の計画と管理という意味――だけで満足している。
●ところがクラウゼヴィッツは「戦略」を「戦争の目的のために戦闘を使用すること」という言葉で定義してしまい、そこに「政治・政策」という意味を加えてしまったのだ。
●この妨害によって、戦略というコンセプトは従来よりも一段高いレベルに押し上げられてしまったのである。ところがこの言葉はあまりにも広い意味で使われるようになったために、場合によっては「対外政策」と同意語になってしまっている。
●軍で働く人々は、そのような曖昧さを回避するために「国家戦略」(national strategy)と「軍事戦略」(military strategy)を、あえて異なるものとして区別して扱う傾向がある。そして、前者が後者を動かすものであるかのよう想定されるのだ。
●このような区別は、ある程度においては合理的であると言える。ところがよく見てみると、結局のところはこれによって多くの問題が発生してしまっている。
●たとえばこれは、政軍関係が根本的に緊張関係にあることを想起させる。米国防総省に「国家戦略」と呼ばれ、多くの歴史家や理論家たちには「大戦略」(grand strategy)と呼ばれるものは、あまりにも「政策」と重なり合っているものであるために、それらをわざわざ区別することは困難だ。つまり、ここでは最初から手段と目的が混乱しているのだ。
●概念を明確にしておくためには、三つの領域――政策、戦略、そして作戦――を分けて考えるよりも、むしろ戦略を、「政策」と「作戦」の間にかかる「橋」として考えるほうが良いかもしれない。なぜならそれを「橋」として考えれば、それが二つの領域を往来するものとして捉えることができるからだ。
●戦略を「政策」と「作戦」という二つの領域を橋渡しする「プラン」として考えた場合、これを効果的にするためには、政治と軍事を分けるのではなく、むしろそれらを融合しなければならないことになる。
●このような考え方にたいする抵抗は頻繁に発生するものだが、それはとりわけ政策と作戦を別の領域にわけて考えたがる軍のリーダーたちの間で顕著に見られる。
●たとえばこのような反発の中でとくに有名なものにはヘルムート・フォン・モルトケ(大モルトケ)のものがある。彼は「戦略はその狙いのために活用されることによって政治に貢献するものだが、この狙いの達成には、政治からの最大限の独立性を保つことが必要だ。よって、政治は作戦に介入すべきではない」と書いている。
●このような考え方は軍の制服組の人々の間では一般的なものであるが、これでは戦略の土台が崩れやすくなってしまい、政治を作戦に従属させることにもなりかねない。
●そしてもしこれが正しいことになれば、たとえばモルトケの後継者たちが二つの世界大戦で「戦略的な大損害」の代わりに、いくつもの「戦術的な大成功」を収め、自分たちの国だけでなくヨーロッパの大半を破壊してしまうようなことにもつながりかねない。
●もし政策と作戦の融合が原則的に許されているとしても、それは実践の際に抵抗されることが多く、「橋」の両端にいる政策家と軍の指揮官たちは、「戦略の融合」というものを、ただ単純に「自分たちのやりたいようにやることだ」と考えてしまいがちなのだ。
●そもそも文官のリーダーというのは、「政治目的と軍事作戦の二つをそもそも融合させるべきか、それとも区別すべきものなのか」という点まで意識して考えることはない。
●中には、「政治的決断と軍事的実行は慎重に行うべきであり、互いに順次的かつ独立的で、リーダーたちは自分たちの願いを大々的に宣言して、兵士たちにそれに合うようなことを自由にやらせるべきだ」という、軍の中で優勢な見方――これはモルトケの考え方に沿ったものだ――を喜んで認める人もいる。
●もちろんこのようなアプローチを採用すれば、政軍関係の緊張はやわらぐかもしれないし、時としてはそちらのほうがむしろ効果的なのかもしれないが、それでもそこには予期しない事件が起こるリスクがある。
●他には、「互いがどのような責任を負うのか知らずに、政治と軍事の決断をあえて融合させる」というアプローチを信じる人もいる。
●ところが戦略を融合したものとしてとらえる見方を正当化する政治のリーダーたちが無理のない判断をしたいと思ったら、あらかじめ軍事作戦のことについてかなり熟知しておかなければならない。
●そしてそのような知識を持っていたり、もしくはそれを習得することができるような時間をあえてつくろうとする政治家は、実際にはほとんど存在しないのだ。
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この論文の全文は、のちほど別の場所にアップする予定です。ご参考まで。
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