日本人の持つべき世界観・政策? |
さて、今日は久しぶりに私が最近考えていることを少し。
私がここ数年イチオシ状態で推している戦略についての概念が「戦略の階層」であることは、本ブログを長年ご覧の皆様でしたらすでに耳タコ状態かと思います。
この「戦略の階層」ですが、おかげさまでここ数年の間に地方の経営者の方々の前で発表する機会に恵まれているわけですが、ここでたまに聞かれるのは、
「日本人、もしくは日本という国家が持つべき世界観や政策はどのようなものか?」
というもの。
これについては私も正直なところ、あまり明確な答えというものを持っていなかったわけでして、もしかすると日本人は概して世界観が「弱い」(無いというのはありえない)のでは?という疑念を持っていたこともあります。
ところが数ヶ月前に、ある本を横浜の某地下街にある本屋で立ち読みしておりまして、その疑惑に答えを与えるひとつのヒントになるものを見つけたかな、という感覚を得たものがありました。
そのヒントは、ある大手印刷会社を取材したジャーナリストの記していた言葉にありました。
このジャーナリスト、日本のさまざまな老舗企業を取材してきたらしいのですが、彼にとってとりわけ印象的だったのは、ある大手印刷会社。
この会社は単なる印刷業者ではなく、広告代理店的な仕事やエレクトロニクス分野、インテリア、ファッション、建設、それにシンクタンク的な分野まで実に幅広くこなしているというもの。
つまり「超」のつくほどの多角経営企業だったというのです。
彼が取材してわかったのは、印刷業というのがきわめて「受け身」産業であり、とにかく相手の注文に徹底的に応えるという、いわば女性的(?)に任務をこなしてきたわけであり、客のニーズの必死に応えているうちに分野を拡大させてきたとのこと。
しかも面白いのは、このように徹底的に受け身に徹することによって、それが逆にアクティブな企業としての体質につながったわけであり、このジャーナリスト、どうも日本の優秀な企業の特徴は、その受け身のしたたかさというか柔軟性にあるのではないかということに気づいたというのです。
このようなやり方というのは、逆にいえば「日本の企業には(外国の企業や国家のような)明確な政策や世界観がない」という風にも映ることがありますし、実際そういう部分があるのは私も認めます。
ところがここで問題なのは、このような「徹底的に受け身に徹する」というのも、実は立派な世界観であったり、政策ではないか、というもの。
「主体的・積極的に行け、受け身はよくない」というのは確かにある面では正しいのですが、どうも日本人の体質に合うのはこの逆で、ひたすら受け身に徹するというのも一つの方策なのではないかということを最近つくづく感じているわけです。
ただしここで決定的に致命的になってくるのが、そのためにどこまで柔軟性を保っていくことができるのか、という点です。
これがなくなってしまえば、「受け身であること」には何のメリットもなくなってしまうわけですから。