シリア空爆:エアパワーの元祖の理論を復習 |
さて、アメリカのシリア空爆の時が刻々と迫っておりますが、ここでエアパワーの理論の元祖であるドゥーエの理論を振り返っておくのは参考になるかと思いましたので、いくつかの参考書から引用しつつ、以下のようにまとめてみました。
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ジュリオ・ドゥーエ(Giulio Dohet)は、一九二〇年代に活躍したイタリア陸軍の将軍。
「エアパワー」の効果を最も早い段階から熱心に提唱した人物で、彼の主張の核心は「エアパワー単独で戦争に勝てる」というもの。
つまり陸軍の兵士や海軍の水兵たちは戦場に送り込む必要性を劇的に減少させるから、エアパワーをもっている側にとっては、戦争をほぼ犠牲者を出さない形で勝たせてくれるのでありがたい。
彼の理論は単純。陸軍は地形、海軍は海岸線などによって行動の制限を受けるが、航空機は「行動と方向性について完全な自由を持っており・・・地上にいる人間は空を自由に飛んでいる航空機にたいして何も手出しできない・・・そもそも戦いを形作っている条件などは最初から影響を与える力を何も持っておらず、空の行動に影響を与えることは不可能」
もちろんこのような考えなので、発表された当初から批判を受けたが、とくに反発したのは彼の軍の上司たち。
ドゥーエはエアパワーについて多くの著作を残しているが、その中でも一番有名なのは、一九二一年に出版した『制空』(Command of the Air)。
この本では戦いの「ドゥーエ・モデル」とでも呼べるようなものが、いくつかの「原則」と共に提唱されている。
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第一の原則:「戦いの勝利は“制空”を達成することに絶対的に依存している」というもの。制空権をとれ。
この「制空」だが、現在は「航空優勢」(air supremacy)とほぼ同意。ドゥーエにとっての「制空」とは、「敵の飛行を阻止しながら、自分たちは飛べるポジションにいること」 を意味。ドゥーエは、「制空」を国家の安全保障を確実にするための唯一のものである、と主張。
第二の原則:敵の航空兵力が地上から飛び立たぬうちに破壊し、さらに航空兵力が装備の調達先である企業の工場などを狙え。
第三の原則:圧倒的なエアパワーによる攻撃を、敵国民に向かって使え。こうすれば敵国民にパニックを引き起こして意志を破滅的に喪失させ、それが自国の政府にたいする暴動を引起し、敵が陸軍と海軍を動員する前に敵国の降伏を引き出して、戦争を終わらせることができるから。
そのターゲットは広範囲で、産業、商業、そして民間の施設など。それらにたいして爆弾や焼夷弾、そして毒ガス弾(!)を使うべきだと主張。
ドゥーエにとって、空爆における狙いの正確性(精密性)というのは考慮すべき点ではなかった。なぜなら「もし標的があまりにも小さくて高い精密性を求められるようなものである場合は、そもそもはじめから狙っても意味のない標的」だからだ 。
ちなみにこのような政治・経済の中心部にある軍事・産業・民間施設にたいするエアパワーの使用は、今日では「戦略爆撃」(strategic bombing)という名で知られている。
第四の原則:エアパワーは、制度的な面だけでなく、他の戦いの次元とは独立した単独のアクターとして戦場で活躍しなければならない。つまり独立した「空軍」をつくれ。
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ドゥーエは、今日でいうところの「統合戦」には強く反対 。 この考え方に従えば、エアパワーの強さは戦略的な面にあるわけで、地上部隊を支援するというところにはないことになる。彼によれば、「補助的な航空隊」というのは「無価値で無駄で有害」であるという。「制空」に貢献しないから 。
あいにくだが、ドゥーエの理論のほとんどは第二次大戦の証拠から間違いであったことが後に証明されてしまった。
たとえばレーダーやそれ以前の対空砲の登場などによって、ドゥーエが述べていた航空機の行動と行き先の自由は失われた。さらにその後の防空システムの登場はこの状態に追い打ちをかける。
また、いままで空爆に毒ガスを使った国もないし、戦争の勝利には制空や空軍の使用よりもはるかに多くのことが必要であることが判明。
ドイツのロンドン空爆でもわかるように、民間人は意外に忍耐強く、空爆がパニックを起こすという点については過大評価をしていた。
それでもドゥーエの戦略思想は、エアパワーの役割と価値について、現代の理論の重要な議論の出発点になっている。
その理由は、それが現在にも通じる議論のカテゴリーや焦点を作ったという点や、冷戦後の時代におけるエアパワーの理論化の作業におけるほとんどの叩き台を形成したから。
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ちなみにドゥーエと同時代に生きた米陸軍の将軍のウィリアム・ミッチェル(William "Billy" Mitchell)は、ドゥーエと同じように、制空と経済・産業施設にたいするエアパワーの使用によって敵国を麻痺させるべきであるという考えを支持。
ところがドゥーエと決定的に違うのは、ミッチェルは敵の地上軍を攻撃する重要性についても信じていた点。
彼の戦略の考えには、敵の最も重要な拠点を攻撃することの重要性や、敵の地上にある航空機の空爆、そして艦船を攻撃することなどが含まれていた。
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以上です。
やはりテクノロジーが古い時代の理論という感じは否めませんが、その基本的な楽観思想、つまり「犠牲者なくても戦争に勝てる」というところはアメリカ的な考え方に馴染みやすい感じがしますね。