本当に「成功」したい奴はいない |
さて、昨日と少し関連する話題について。
長年「戦略とは何か」ということを人よりは少しだけ考えてきた自分なんですが、戦略論の文献などを読んでいても、とてもむなしくなる瞬間があります。
それは、「これを読んでいる人たちって、そもそも本気で成功したいと思っているのだろうか?」という根本的な点。
戦略の分野で有名な本、たとえばクラウゼヴィッツの『戦争論』や孫子(孫武)の『兵法』などは、その読者の対象は、どちらかといえば「殺されないように必死で生き残りをはかりたい!」という人たちばかり。
ところが、それを読んでいる、私を含む現代のわれわれのの中で、本当にこれらが書かれた当時の「必死さ」で戦略を学ぼうとしている人っているのかといえば、ここはかなり疑問なわけです。
これは「読み手の問題」ということも言えそうなのですが、このような戦略書だけでなく、ごく一般のビジネス書や成功法則系にも、この「読み手の問題」というのは大きいのかと。
どういうことかというと、私は最近、世の中に本気で“勝ちたい”と思っている人は、実はかなり少ないのではと感じているからです。
というかむしろ、大多数の人は「勝つのは悪いことだ」と刷り込まれているのでは、と疑っております。
たとえば、世の中にはいわゆる成功系の本は溢れておりまして、ちょっと本屋にいけば、その手の本が、それこそ町の小さな本屋でも5冊くらいは簡単に手にいれられます。
ところがそれを読んだ人が全員成功できるのかというと、それは絶対無理なわけです。なぜなら、読んだ人の能力に個人差があるからで、そのために成功する人としない人の差が出てくる、と。
このような説明の仕方は一般的なものですが、私はいままでこのような説明にどうも納得いかなかったので、色々と周りの例などを観察してきたわけですが、最近に至って何となく結論として出てきたのが、
「勝つ人、成功する人の差は、それに快を感じるか、不快を感じるかにあらわれる」
という単純なベンサム的なもの。
たとえば成功する人、勝つ人というのは、そもそも勝ったり成功したりすることに抵抗感をまったく感じませんし、それが気持ちいいとさえ感じているわけです。
「そんなの当たり前じゃんか!」
と文句も聞こえてきそうなわけですが、本当にわれわれは「成功すること/勝つこと」に気持ちよさを感じられるかというと、ほとんどの人は無理なのでは?
たとえば最近「ブラック企業」として色々と話題になっている会社のトップであるW氏などは、成功することが大好きであり、おそらく自分がやっていることを本気で「素晴らしいことだ」と心の底から考えているはずで、彼はそこには何のやましさも感じていないはずです。
ところがその反対に、勝てない人、成功しない人というのは、そもそも勝つことや成功することに無駄な抵抗感を感じていたり、それが「後ろめたいことだ」と罪悪感を感じているらしいのです。
「らしい」と書きましたが、本人たちを外から見ていると、どうも彼らは表面的には「成功したい」みたいなことを言うわけですが、その行動はまったく正反対なことをしてぶちこわしたり、わざわざわチャンスを逃したりしているのです。
そうなると、こういう人たちはどう考えても潜在意識で「成功してはダメだ」と思い込んでいるとしか思えないわけで、結局はこういう人に戦略論を教えても全然意味はナシ。
もしかすると、口では「成功したい」「勝ちたい」と言っているのに、本心では成功してはいけない、勝ってはいけない、と考えている人は、世の中の大多数なのではないでしょうか。
成功本を書いている人というのは、自分が本気で成功したいと思っていたから成功した人であるがゆえに、実は本気で成功したいと思っていない人たちには、そのメッセージが絶対に届かないわけです。
なぜなら自分の世界観(成功していない自分)と違うアイディア(成功している自分)の間に、埋められない大きなミゾがあるからですね。
われわれはもっと、このような「書き手」と「読み手」の意識のギャップというところに注意すべきなのかもしれません。