テクノロジーは他の手段をもってする政治の延長か? |
さて、最近とくによく考えていることをメモ代わりにここへ。
日本人というのは西洋でいう「テクノロジー」というものを、「技術」という言葉にいいかえている上に、しかもそれを単なる「ツール」というか「道具」程度にしか考えていないおかげか、なぜかそれに「思想」や「人間の意思」、それに「世界観」や「哲学」のようなものが込められているという点に非常に鈍感であると感じます。
それがどうした、とみなさんが感じる気持ちもわかるんですが、日本の企業が最近衰退している原因にはそのようなところからくる勘違いが大きいのかな感じることばかり。
たとえばクラウゼヴィッツは、
「戦争は、他の手段をもってする政治の延長である」
と言ったことは有名ですが、実はこれは「テクノロジー」にもそのまま当てはまることで、
「テクノロジーは、他の手段をもってする政治の延長である」
ということも可なりなんですよ。
これについてはすでに講演会などで少し話をしたことがありますが、現在は来週発行のメルマガのほうにまとめて詳しく論じるつもりでおります。
余談ですが、明日からイギリスの修士時代のクラスメートが日本に来るので、数日間アテンドをします。そいつは京都や広島まで新幹線で行くらしいですが・・・・。