キッシンジャーはハーヴァード大学で何を語ったのか |
さて、数日前にTwitterのほうでも「さえずった」("つぶやき”は誤訳)通り、キッシンジャーが昔務めていたハーヴァード大学で行った講演について、私が著書を翻訳したこともあるスティーブン・ウォルト教授がブログに書いていたのでそのエントリーの紹介を。
キッシンジャーは日本の政治家にも参考になる、非常に興味深いことを言っていたみたいです。
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キッシンジャーはハーヴァード大学で何を語ったのか
●先日(4月21日)にハーヴァード大学のサンダーズシアター(講堂)では、「ヘンリー・キッシンジャーとの会話」という大きなイベントが開催された
●このイベントはこの老国政家に自身がハーヴァード大学に在籍していた時代や政府官僚の時代を振り返る他に、将来の米中関係などを語ってもらうという盛りだくさんのものだった。
●彼は私の仕事仲間である、グラハム・アリソン(彼は司会者)やジョセフ・ナイ、それに政治学部の大学院生などに囲まれて演壇に立った。
●もちろん私はここでキッシンジャーが語った全て書くつもりはない。その代わりに私自身が特に興味深いと思ったいくつかの場面をハイライトしたい。
●まず第一にキッシンジャー氏は、政府で働く際にもっとも役に立つ学問は「哲学」「政治理論」それに「歴史」であると述べている。
●たとえば政治理論を勉強すれば自分の考えというものを厳格にすることができるし、歴史に関する知識はいざ政治的な決断をしなければならない場面で広い視野を与えてくれるという意味で不可欠だ、と言っている。
●歴史についての確かな知識が、自分とは違う人々がどのような視点を持っているのかを理解し、また、できることとできないことの限界を知る上で決定的に重要であると彼が見ていたのは明らかであった。
●この点については私は非常に不思議な気持ちなった。なぜならこのような学問は、公共政策を教える学部などが(必要だとは認識されていながらも)よく強調して教えられているようなものではないからだ。
●通常の公共政策のある学部などでは、「経済学」と「統計」(回帰分析など)が強調して教えられており、それが時として「公共政策分析」や政治制度などと一緒に教えられることになることがあるくらいだ。
●私が教えているケネディ学院の院生は「倫理」(これは政治哲学が土台になっている)のコースのいくつか必修として取らなければいけないことになっているが、「歴史」は教えられていないため、最近の学生は昔よりも段々と歴史的に重要な事件について知らないと感じるようになっている。
●その代わりに最近の彼らに人気なのは「リーダーシップ」のコースであり、まるでこれを短期間に身につけられるようなものであると考えているようなのだ。
●わたしはキッシンジャー氏に最近の政府官僚はどのような訓練を受けているのか聞きたいと思ったほどだ。
●ジョセフ・ナイがキッシンジャー氏に「あなたが政府で行った決断で最も後悔しているのは何か?」と聞いたとき(彼はこのような質問を常に避けている)、彼の答えは「時の経過と共に私の考え方はだんだんと変わってきました」というものだった。
●彼が述べたのは、政府の仕事を離れてから書物を読む時間が増えたために、政府内で働いていた時よりも理解がはるかに深まったことが多いということだった。
●また、彼は自分が若いときに政府内で行ったいくつかの決断については「今でもそれほど自信をもっているわけではない」と答えている。
●ところが、あとでついた知恵を動員したら自分がよりよい政策家になれたかどうかという点については疑問だ、とも答えている。
●その理由は、「政策家であるためには強い自負心が必要だからだ」と言っている。たしかに多くの決定次項というのはあいまいであり、49対51という判断を迫られることばかりだからだ。
●彼が言ったのは「自分を疑っても何も得しないんですよ」ということだ。そしてこのような虚勢はむしろそのような仕事を得る意味で必須なことでさえある、ということだ。
●当然のようにこのイベントも、途中で抗議する若者たちがキッシンジャーの「国家犯罪」を告発しようと叫ぶという行為に出たために、何度か中断された。彼らの得意なことばは「よく安心して夜眠れますね!」というものだ。
●もちろんこのような疑問が彼に投げかけられるのは予測がつくものだ。しかし私はこのような戦術が政治的な意味を持つかどうかという点では、かなり効果が薄いと考えている。
●このような公共の集まりを妨害するのは「発言の自由」という意味ではありえるものだし、私もそれを禁止しようとは思っていない。
●ところが私が今まで見てきた経験から言えば、このような行為は常に逆効果なのだ。
●理由は単純で、だれかが突然立ち上がって抗議を叫び始めても、まずわれわれは自然とその行為が「マナー違反だ」と感じるものであるし、このような行為は観客を敵に回してしまうからだ。
●もちろん私ははげしい議論の応酬は大好きだが、それでも落ち着いたマナーで行う厳しい質問のほうがはるかに破壊力があるし、観客も味方につけられる。
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ハーヴァード大学の様子ですが、政治哲学、政治理論、歴史という3セットは日本の大学でも「絶滅学科」に近いのでは。