無人機、礼賛 |
さて、久々に記事の要約を。
本ブログではおなじみの無人機ネタです。これは個人的にもクラウゼヴィッツの言う「戦争の本質」を変えるのではないかと注目しているものです。
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無人機礼賛
by ジョブ・ヘニング
●無人機、もしくはUAVsは「来て」いる。
●2002年11月のイエメンにおけるアルカイダに対する攻撃は、戦場以外の場所で無人機が攻撃を行った(知られているものでは)最初のケースだ。
●それ以降はアメリカは無人機を大量に使いはじめており、たとえばパキスタンではブッシュ政権全般を通じて行った攻撃よりも、オバマ政権の最初の2年間の攻撃の数は4倍も多い。
●アメリカは今ではソマリアでも攻撃を行っており、アフガニスタンからNATOが撤退することからその数がさらに増えると予測されている。
●無人機による攻撃は不可避なところがある(偵察と攻撃を同時にできるから)と同時に、望ましいものであると考えられている。人命のリスクを軽減すると同時に、コストもおさえられるからだ。
●しかもアメリカの意識調査では国民の多数が無人機の使用を支持している。
●ところが問題なのは、このテクノロジーが戦域を拡大すると同時に、戦争のコンセプトそのものを変化させる可能性であり、しかもその使用法に関する包括的なドクトリンは存在しない点である。
●このままだと短期的にはテロリストを殺すリスクに直面しながら、長期的には同盟国や世界の世論を味方につけることができなくなるし、テロとの戦争や国際関係の安定性も危うくしてしまう。
●たとえば問題は他国の中で攻撃を行う場合だが、これは主権の侵害になる。
●ところがそれが侵害なのかどうかは、結局は(攻撃を行う側の)アメリカが決定することになる。こうなるとアメリカは多くの国々の恨みを買うことになる。
●他にも無人機の使用をどのように正当化するのかという問題もある。
●これについて米国防省は「テロとの戦争」だから戦時法が適用される、だから使ってもいい、というもの。
●ところが国務省は戦場から離れた場所で使うからダメだと言っている。使っていいのは「迫り来る脅威」がある場合だけ。
●実質的にこれは国際法的にも許されている「先制戦争」と、禁止されている「予防戦争」の違いにもなってくる。
●さらに混乱するのは、その攻撃のほとんどがCIAによる隠密作戦として行われているという事実。
●そうなると、クラウゼヴィッツのいう「敵の意志を変えるため」という古典的な戦争の理論が通じなくなるのであり、むしろ無人機だと「敵を消滅させる」ということになるのだ。
●ところが敵兵を多く殺すというのはマクナマラ長官がベトナム戦争で経験したように、それ単独ではまったく意味をなさないばかりか、アメリカのイメージを悪化させるだけだ。
●このリスクを避けるためには、アメリカは抑止論を無人機のドクトリンに採用しなければならない。つまり敵に恐怖を感じさせることによって余計なことをさせないようにするということだ。
●そのためには、まず隠密作戦からやめなければならない。そして無人機のターゲットとなる人物たちのブラック・リストも公開すべきである。現在これらはすべて秘密になっている。
●もちろん作戦を公開すると同盟国との関係を複雑化させることになるかもしれないが、それでも透明性は必要であり、それが正統性(レジティマシー)につながるのだ。
●とにかくアメリカの無人機を使った「テロとの戦争」は評判が悪い。パキスタンの陸軍の将軍は、最近になってアメリカの無人機をパキスタンで見かけたら撃ち落とせと命令したという。
●このような反発を避けるため、アメリカは無人機の使用に関するドクトリンを明示するべきなのだ。
●アメリカ国民は無人機の使用をまだ支持しているが、その支持だって長くは続かないかもしれないのだ。
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やはり事象が先で、理論や法律は後、というのはこのような新しいテクノロジーの場合にはとてもよく当てはまるかと。
この辺の話は数年後に国際関係論などでもかなり議論されそうな予感がしますね。ウォルツァーあたりが理論をまとめるかも?