なぜ義理チョコは「必要」なのか |
さて、気づいたら本日はバレンタインデーということで、ちょっとくだらないかもしれませんが、国際政治の理論から日本全国を毎年揺るがす「義理チョコ」についての簡単な分析を。
戦後のある時期から日本のチョコレート屋(一説にはメリーチョコレート)のマーケティングにより始まったとされる「女性が好きな男性にチョコレートを上げる」という奇妙な風習ですが、その当初から問題になっているのが「義理チョコ」という存在。
この「義理チョコ」を定義すれば、それは
「別に相手を好きなわけでないが、とりあえず付き合いや義理であげるバレンタインデーのチョコ」
ということになるかと。
そして毎年のことながら、おそらく世の中の女性たちの間で話題になるのは、「好きでもない男性に義理チョコをあげるのかどうか」という深刻なテーマ。
これについては女性の間ではさまざまな意見があると思われますが、私が全人類の男性の意見をあえて代表して言わせていただければ、それは
「義理チョコはあげたほうがいい」
ということ。
ではなぜあげたほうがいいのか?その理由はツキュディデスの理論にあります。
ツキュディデスは、歴史的名著である『戦史』の中の一節で、国際政治を動かす人間の動機として「恐怖」「名誉」「利益」の三つを挙げております。これは本ブログを昔からご覧のみなさんにはすでにおなじみのことですよね。
それがなぜ義理チョコの話につながるのかというと、「チョコを女性からもらう」という行為は、それが「義理」であれ「本命」であれ、もらう側の男にとって「名誉」の部分をいたく刺激するものだからです。
実際のところ、別に男は義理チョコをもらわなくてもそれほど「恐怖」は感じませんし、ましてや「利益」をうばわれるわけではありません。しかし、決定的なのが、それが「名誉」を傷つけるということ。
つまりたとえそれが「義理」であったとしても、チョコを女性からもらえたかどうかというのは、男の沽券、つまりリスペクトや名誉に直結してくる問題なのです。
この「名誉」という動機ですが、男にとっては命に関わる大切な動機でありまして、たとえば昔のサムライの場合は、この「名誉」(家のものであれ自身のものであれ)を傷つけられたということだけで切腹(ハラキリ)をする者もいたほど。
国際政治学者の中には、この「名誉」こそが、国家の戦争の最も大きな動機になったと言いきる人もいるほどなのです。
女性にとっては男性に義理チョコをあげるのは「お金もかかるしめんどくさい」ということなのでしょうが、男性にとっては、それがたとえ義理であっても、自分が女性に「男」という生き物として認められているというアイデンティティーの認証の問題、つまり「名誉」にかかわってくる一大事なのであります。
ということで本日まだ男性に義理チョコを渡していない女性のみなさん、あと数時間ありますのでチャンスがあればぜひ渡してあげてください。
世の中のすべての男性の「名誉」のために。