戦略にまつわるトラブル:その2 |
●クラウゼヴィッツが戦争の「摩擦」について述べたことは、戦略についても当てはまる。それは「とても単純なものであるが、最も単純なことだからこそ難しい」のだ(*1)。
●このような問題のそもそもの始まりは、「戦略」という言葉に、数々の罪が含まれている点にある。
●もちろん多くの人々は、この言葉が出てきた初期の頃のような限定的な考え方――大規模な軍事作戦の計画と管理という意味――だけで満足している。
●ところがクラウゼヴィッツは、戦略という言葉を定義する際に「戦争の目的のための戦闘の使用」と言って、「政治・政策」という意味を加えてしまったのだ(*2)。
●この妨害によって、戦略というコンセプトは、必然的にそれまでよりも高いレベルに押し上げられることになったのである。
●ところがこの言葉はあまりにも広い意味で使われるようになったために、場合によっては「対外政策」と同意語になってしまったのだ。
●軍で働く人々は、そのような曖昧さを、「国家戦略」(national strategy)と「軍事戦略」(military strategy)とにわけて扱う向がある。そして前者が後者を動かすものであるという風に想定されるのだ。
●このような区別はある程度は合理的であると言える。ところがそれをよく見てみると、結局のところは多くの問題を発生させてしまっているのだ。
●たとえばこれは、政軍関係が根本的に緊張関係にあることを想起させている。
●米国防省に「国家戦略」と呼ばれ、多くの歴史家や理論家たちには「大戦略」(grand strategy)と呼ばれるものは、あまりにも「政策」と重なり合っているものであるために、それらをいちいち区別することは困難なのだ。
●したがって、目的と手段の違いは最初から混乱していることになる。
●概念を明確にしておくためには、三つの領域――政策、戦略、そして作戦――を分けて考えるよりも、むしろ戦略を「政策」と「作戦」の間にかかる「橋」として考えるほうが良いだろう。なぜなら「橋」として考えれば、要素が二つの領域を行ったり来たりするものとして捉えることができるからだ。
●戦略を「政策」と「作戦」という二つの領域を「橋渡しするプラン」として考えた場合、これを効果的にするためには、政治と軍事を分けるのではなく、むしろそれらを融合しなければならないのである。